2015年08月15日
2015年08月10日
2015年08月06日
ホタルの居ないホタル水路
以前、鴨々川にホタルを呼び込もうという試みがあったようだ。立派な案内板を掲げてのことだから、本気だったと思う。しかし、この13年間ホタルを見たことがない。見たという話も寡聞にして聞かない。
2015年06月01日
2015年05月31日
第27回鴨々川清掃第14回野外彫刻清掃
今年は鴨々川清掃と野外彫刻清掃を合同で始めて5年目の節目となる。2007年6月3日、初めて札幌シニアネット(SSN)の仲間二人と一緒に参加した。2011年からは彫刻清掃と合同ですることになったので札幌彫刻美術館友の会の一員として参加した。今年は事情があって個人参加とした。別の仲間と別の場所を清掃してみると新たな視点があることに気付いた。偶然の個人参加だが、とても有意義に感じた。

画像の様な案内板がある。たった一人の個人参加なので、各地区の下の方ばかり見ていたが見当たらない。困ってしまって係りの方に聞いたらA地区の一番上に書いてあった。もう十数回も参加しているのに迷ってしまった。

担当のA地区に向かって出発。後ろには小学生、中学生等が続く。私は中島公園の散歩中によくすれ違う、顔見知りの方と話しながらついて行った。実は話し合ったのは初めてだ。5日前ごろ親子鴨が藤棚辺りに居たことを教えてもらった。7羽の子だったそうだ。

清掃終了5分前の声がかかる。作業の最終段階。川は見違えるように綺麗になった。ところで向こう岸は自由広場。札幌まつりの為に建設中の見世物小屋が垣間見える。6月14日〜16日は中島公園が一番賑わう「札幌まつり」だ。
タグ:彫刻友の会
2015年05月01日
2015年01月27日
冬の鴨々川1
これを初回として冬の鴨々川を何回かに分けて紹介する予定。「冬の鴨々川1」の範囲は札幌コンサートホール・キタラに一番近い中島公園への入口に架かる中洲一号橋から、行啓通に架かる南14条橋まで。
1887(M20)年に、エドウィン・ダンによって競馬場が設置された時、鴨々川を渡る形で馬場が設置されたため、ここに橋が架けられている。1907(M40)に競馬場が廃止されたが、大正天皇が皇太子時代の1911(M44)年に札幌に行幸された時に、この橋を渡って中島から山鼻に入られている。
(中島公園管理事務所「中島公園三十三選」)
(中島公園管理事務所「中島公園三十三選」)
白鶴橋から南14条橋(上流)方向を見る。
中島公園の場所は、もともと豊平川の河川敷であり、ヤナギを中心とした水辺を好む木が生えていたと考えられる。中でもエゾヤナギは護国神社にかけて大木が数本あり、園内一の太い木が、南14条橋のたもとに立っている。
(中島公園管理事務所「中島公園三十三選」)
(中島公園管理事務所「中島公園三十三選」)
2014年10月17日
鴨々川ノスタルジア
2014年10月17日(金)〜19日(日)鴨々川ノスタルジア
「寺町すすきのを遊ぶ」も行われているが、主に近くの中島公園に行った。
10月19日(日)鴨々川ノスタルジア第3日目
いよいよ最終日を迎えた。天気は次第に好くなり、本日は降水確率ゼロという絶好のイベント日和となる。
なりわい村(日本庭園)正門。三日間の内、一番の人出と思う。
ここは竹細工、この他に古着物販売、野菜・豆売り、茶会・三味線、易者など。
13時30分より「南京玉すだれ」。
14時より「鼻笛演奏」。
15時より大正琴演奏。
そして、15時30分からは、今年の鴨々川ノスタルジア「なりわい村」での最後の出し物。16時から閉村式。
10月18日(土)鴨々川ノスタルジア第2日目
晴天に恵まれ、昨日日本庭園では中止になった薩摩琵琶、南京玉すだれなども行われ、露店のたつ「なりわい村」も賑わっていた。
待ちに待った素晴らしい薩摩琵琶の演奏。
踊りも芸もユーモラス。掛け声も楽しい南京玉すだれ。
日本庭園の背景がピッタシ、青空の下で楽しさ倍増。
ここは日本庭園、この三日間に限り「なりわい村」となる。
第一村民発見! 天秤かついで野菜売り。
お店でも野菜を売っている。
こちらは洋品のようだ。今日は財布を忘れたので遠くから見るだけ。
「寺町すすきのを遊ぶ」の主会場は新善光寺(南6条西1丁目)。ここでは朗読会、演奏会、寄席、芸者衆の踊りを見る会、その他いろいろなイベントが開催されている。
すすきのは歓楽街だけでなく寺町でもある。この辺りを舞台にした長編小説『すすきの六条寺町通り(佐藤梅子)』がある。割烹料理屋で繰り広げられる物語だが、出だしの一部に次のように書いてある。
「イマ子は新善光寺の南側の塀に沿って歩いてきたその足で、回れ右をする格好で体ごとうしろ向きになった。陽子さんと昼の食事をしてきたホテルの建物を確かめるように眺めた。もう一度真正面の空地に目をやって呟いた。店がなくなっている」
これを読んで、今はない料亭の並ぶ町でもあったのだなと思った。すすきのは札幌の歴史を感じさせる町、札幌駅前とは違った味のある、魅力ある街と思う。
「中島パフェ」訪問者より投稿
当ブログでは訪問者の投稿を歓迎しています。以下、投稿
鴨々川ノスタルジアを中パで知って、今日(18日)昼頃に日本庭園会場へ行って見ました。南京玉すだれ、薩摩琵琶の演奏、お茶と琵琶演奏のコラボや、幾つかの出店で賑わっていました。
南京玉すだれ
南京玉すだれ、翌日違うアングルで撮影
薩摩琵琶の演奏
今回の行事の様子を見て、これからの方向を探っているように見えました。好天の紅葉を楽しむ来園者も多くいらっしゃいました。
10月17日(金)鴨々川ノスタルジア第1日目
あいにくの雨模様だったが、一部を除き、ほぼ予定通りに行われた。
朝10時から文学館で開催された「鴨々同窓会」に参加。
鴨々川沿いで生まれ育った方や縁のある方に対する学生ボランティアの聴き取り調査。すなわちインタビュー。ついお喋りに夢中になる鴨々同窓生。私も喋りまくった1時間30分。
一方、日本庭園では昭和のワザを今に伝える「なりわい村」。庭園正門にスケジュール表が貼ってある。
雨が降り、ちょっと寂しい出足だったが。
次第に入村者も増えてくる。こちらは「箸づくり」。
お茶と和楽器の音色を組み合わせた体験会。「私も帽子を被ったままで良いでしょうか」と伺ったところ、「ここは日本で一番敷居が低いお茶です」と仰ってくれた。やっぱし脱いだ方が好かったかなと少し後悔。音楽、羊羹付きの楽しいお茶だった。
posted by nakapa at 19:38| Comment(0)
| 鴨々川
2014年10月07日
詩情を誘うに十分なヤナギ並木が…
詩情を誘うに十分な柳並木が崩壊しようとしている。試しにヤナギが何本あるか数えてみた。なんと、カラフルな遊歩道になったばかりの頃に比べて4分の1以下になっていた。
「鴨々川には中島橋がある。中島橋はかって中島公園への正面入口であった。(中略)そこから川ぶちにシダレヤナギが続く。札幌で一、二といわれるヤナギの街路樹は詩情を誘うに十分なものがある。その数64本、一部は補植されている。(『中島公園百年』 山崎長吉著より)」
2年前の2012年11月9日現在の状況
日本庭園近くの中島橋から豊平館、札幌コンサートホール・キタラ裏へと続く散歩道を中州第1号橋まで歩いた。鴨々川沿いの500mを北から南へと歩き、街路樹としてのヤナギ植栽状況を調べてみた。
現状はヤナギの古木14本、倒木の後に植えられた若木7本、計21本。これに対して、倒木した柳の後に植えられたイチョウは30本。合計51本。そして倒木の後、何も植えられないで放置された空地が13ヵ所もあった。
札幌コンサートホール・キタラ裏辺りは殆どイチョウ並木。2014年10月5日撮影
『中島公園百年』が出版されたのは1988年、それから24年たったが64本と言われるヤナギは補植された若木を含めても3分の1になっていた。もはや「札幌で一、二といわれるヤナギの街路樹」とは言えない。しかし一部にその面影を残している。
ヤナギ並木らしく見える日本庭園の裏側。鴨々川沿い散歩道2014年10月5日撮影
原因の一つは台風などの被害。直接倒れるものもあるし、根が浮いて危険木として伐採したものもある。しかし、植え替えは何故イチョウなのだろうか。強いからかも知れないが「詩情を誘うに十分」とは言えない。
2002年の台風第21号後、根が浮いたヤナギは危険木として伐採された。
シッカリ根が張ったヤナギは2004年の強力な台風第18号で折れてしまった。
更に2年後、2014年10月6日と同じ場所を再調査
約2年後に再び数えてみると、ヤナギは更に減っていた。21本あった筈のヤナギが植え替えられた若木を含めても14本しかない。あれから2年で7本も減っている。イチョウは30本で変わらない。
何も植えられていない空地は13より19へと6ヶ所増えているが、私としては良い傾向と思っている。イチョウを植えられたらヤナギ並木の復活の望みを絶たれてしまう。
2014年10月7日現在、19ヶ所が空いたままになっている。
なお、2012年と2014年の調査では、合計64と63との1の差がある。これは私の数え違いを含め、いろいろな原因が考えられる。真偽を確認する方法もあると思うが、とりあえずその時に見たままを書くことにした。
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2014年09月28日
2014鴨々川清掃運動のまとめ秋
2014年9月28日 クリーン鴨々川清掃運動
毎年2回、恒例の「クリーン鴨々川清掃運動」の様子。
市民ボランティアが自主的に参集して行う鴨々川と中島公園内の野外彫刻清掃作業。今回は250人が参加した。9時30分からセレモニーが始まり、開会宣言、ラジオ体操などが9条広場(中島児童会館前)で行われる。その後、地区別に分かれ中島公園内鴨々川、薄野方面鴨々川へ、そして野外彫刻清掃はその場に残り「森の歌」の清掃にかかる。
高所作業には様々な決まりがある。費用の関係で清掃作業は地上から行う。そのとき力を発揮するのが高圧洗浄機。いろいろ難しい面もあるけれど創意と工夫でブロンズ像がきれいに水洗いされた。
台座もキレイに洗われて清掃終了。「森の歌」は山内壮夫の作品。
・9条広場に一番近い鴨々川。ここで鴨々川と菖蒲池よりの流れとが合流する。川向こうは水天宮。
この水は菖蒲池から流れ児童会館の下をくぐり水天宮橋手前で鴨々川と合流する。
先生に引率された小学生も参加。左岸にはマンションが建つ。この風景も今年で見納め。生徒にとっても良い思い出になると思う。
明治時代に競馬場を造るため中島公園遊園地(中島公園と改称前)内に二つの橋を架けた。その名残が前方に見える白鶴橋。競馬場は大正時代に入る前に桑園方面に移された。
行啓通に架かる南14条橋下流。競馬場に関わるもう一つは南14条橋の近くと思うが、当時行啓通は無かったので違う場所になる。ところでこの日自由広場ではフリマが開かれていた。
緑の中で開かれるフリーマーケットもいいものだ。
タグ:彫刻友の会
posted by nakapa at 14:27| Comment(0)
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