2010年10月31日

道新コラム朝の食卓「中島公園百年」

17回 中島公園百年

2010年10月31日北海道新聞「朝の食卓」掲載

<第17回「中島公園百年」本文>

先日、札幌・中島公園の「見どころ探訪ツアー」に参加した。興味深い内容だったが、ガイドさんから「来年は中島公園100周年」と聞き違和感を感じた。来年は中島公園と称して100年目なのだが、中島遊園地時代を含めると今年で122年目にあたるからだ。

中島公園の歴史は札幌の歴史そのものと言われている。札幌の発展に合わせて、その姿をいろいろと変えてきた。例えば、NHK札幌放送局、中島球場、子供の国等、多くの施設が中島公園から市内各地に移設されている。

一方、同じ場所に70年間もありながら世間の目から、見えたり見えなくなったりしたものもある。公園内の「木下成太郎像」である。政治家らしく台座の裏を見ると発起人として、時の首相を始め、有力者の氏名がズラリと並んでいる。立派な像だが終戦後は、まったく目立たない存在だった。

終戦により、中島公園内に設置された旧陸軍第五方面軍憲兵司令部が米進駐軍に接収されたことが関連していると思う。当時の日本人が像を守るため、意図的に無視したのではないだろうか? それが、最近になって、にわかに重要な芸術文化遺産とし再認識されることになった。この像は、建立当時と同じ場所にありながら、日が差したり陰ったりしているのである。

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2010年09月15日

輝く!木下成太郎像

2001年9月中島公園近所転居
9年前に定年退職して、中島公園の近くに転居した。職場中心の暮らしを止めて、さあ!これからは地域貢献と意気込んだが、結果は悲惨だった。さっそく町内会の鴨々川清掃に参加してみたが、知らない人の中で右往左往するばかりだ。長靴を履いていなかったので、川にも入れない役立たずになり、
惨めな気分だった。

地域の新聞をボランティアとしてお手伝いしたが、これと言った経験もなく、出来ることは新聞配達くらいだ。しかし、マンションの前の「チラシ配布お断り」の掲示に怖気づいて止めてしまった。

ホームページ開設し札幌彫刻美術館友の会入会
失敗に懲りて方針転換。7年前に、自己紹介代わりと思って、近所の人に親しまれている中島公園のホームページ(HP)を開設した。それからはHPを介してボチボチ知り合いができるようになった。

2007年に、近所に住む「札幌彫刻美術館友の会」会長と出合った。それからは、とんとん拍子。情報提供のHPから脱皮して、取材して行動するHPへと進化した。

木下成太郎像を重要な芸術文化遺産と認識
彫刻清掃と調査のボランティア活動の中で、林の中に放置されている銅像が、郷土史上でも重要な芸術文化遺産であることを知らされた。さっそく、HP「中島パフェ」に特ダネ記事として載せたが、何の反響もない。誰も驚かないし、中島公園近所の住民も全く無関心のままだ。少なくとも私の耳には聞こえて来ない。

あれから3年たった。”木下成太郎像(朝倉文夫作)〜シンポジュウム2010「北の彫刻」〜”が2010年10月17日、札幌パークホテルで開催されることになった。世の中は不思議なものだ。3年間鳴かず飛ばずの「木下成太郎像」だが、ここに来て、ブレイクしてしまった。喜びを通り越して、ただ驚いている。 

主催:札幌彫刻美術館友の会 共催:武蔵野美術大学、大東文化大学
後援:観光情報学会、北海道芸術学会、札幌市、NHK、STV、道新、他
協賛:札幌パークホテル、ノボテル札幌、キタホテル、キリンビール、他
タグ:彫刻友の会
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2010年05月15日

道新コラム朝の食卓「歴史散歩」

13回 歴史散歩

2010年5月15日北海道新聞「朝の食卓」掲載

<第13回「歴史散歩」本文>

JR札幌駅から中島公園まで、約2Kmの駅前通を真っすぐ南に歩いてみよう。新しい街から古い街へと、札幌の歴史をさかのぼるような気がして楽しい。超高層ビルJRタワーのある札幌駅前の地下に降りると、工事中の地下通路をガラス越しに見ることが出来る。後1年足らずで巨大な地下都市が誕生する。

大通公園を過ぎて5分も歩けば、明治初期からの歴史がある狸小路商店街だ。5丁目には「狸神社」と呼ばれる本陣狸大明神社がある。さらに南に行くと歓楽街ススキノだが、南7条では東に新栄寺、西に豊川稲荷が見える。この辺りは寺が多い。

駅前通の終点は中島公園だ。ここには移設された国指定重要文化財がある。江戸時代の茶室八窓庵と貴賓用ホテルとして明治13年に建築された豊平館である。最近注目されているのが東側の林の中に鎮座する「木下成太郎先生像」だ。作者の朝倉文夫は東洋のロダンと称される彫刻家だが、戦時中の金属供出のために400点余の彫像はほとんどが失われた。ブロンズ像として残された作品は珍しい。

札幌駅から中島公園への散歩は小さな旅だが、123年をたどる長い歴史の旅でもある。大通公園以北は未来の街、狸小路以南は歴史ある街、そんな印象を与えてくれる駅前通歴史散歩である。

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2009年10月28日

切り倒される大木

2009/10/28       

10月28日撮影、切り倒される予定の大木

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「nakapaさん、ムクドリが巣を作っていますよ」と、ムクドリの子が親鳥より餌をもらっている絵を送ってもらった。 
この木の洞の中が巣になっていた。絵を添付したメールを送ってくれたのはコマドリ(HN)さん。
また、思い出の木が倒木される。仕方がないことだが、残念だ。 

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この木がなくなると、ノボテル札幌も少し淋しくなるだろう。

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北島に立つ、界隈で一番高い木がなくなる。

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反対側の岸に行くとこんな感じだ。木が折れる前10月1日。

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その後、右側の大きな枝が折れてしまった。

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木の中には大きな穴、こうなっては仕方がない。突然倒れたら危険だ。倒してしまうより方法はないだろう。
タグ:事件事故
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2008年12月14日

1890年、鯉を放流

2008/12/14

「1890年、鯉を放流」       
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菖蒲池と藻岩山
この池が貯木場として完成したのは1871年(明治4年)。その後、住民はここを遊園地にする運動を起こしました。山が一番美しく観えるのは仰角8度。まさにこの位置です。

中島公園は明治時代には珍しく、民意で造られた公園です。もし、札幌が千年の古都になったとき、この景観がなかったら、と思うと慄然とします。そんな思いで中島公園を守るウェブサイト「中島パフェ」を開設しました。と言うのは、後付講釈でしてご免なさい。 

しかし、それがあるから6年間、続けることができました。 更新を重ねているうちに、貴重な事実を知り中島公園を大切に思うようになったのです。昔の話で恐縮ですが、フォーリーブスの「急げ!若者」をご存知でしょうか。こんな歌詞が好きです。

『… 若者なら死んだあとで あいつはとてもいい奴だった
と 言われてみたい… 急げよ急げ生きてるうちに…』

若者を「じいちゃん」と置き換えて歌ったらどうでしょうか。私の場合急がなくたって先が短いのですが、こんな思いで「中島パフェ」の更新を続けています。
 
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山内壮夫の彫刻のある芝生の広場
反対側から観るとこんな感じです。建設中のビルもだいぶありますが、これはこれでいいのです。景観だけでは飯は食えません。「花より団子」も、一方の事実ですね。

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菖蒲池と影
凍結した池はカンバス、木々と太陽はそこに絵を描くアーティスト。 

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菖蒲池の河口
ここから池に流入する水量は大切。唯一の酸素供給源です。 必要な水が流入しないと池の中の生物は酸欠を起こします。1890年(明治23年)に放流し、延々と生命を引き継がれてきた鯉。池の主と言われ親しまれていた鯉が死にます。もうだいぶ減ったような気がしますが、どうなんでしょう?

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中島公園内唯一の車の通れる道路です。
タグ:事件事故
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2008年08月07日

花魁道中の写真

2008/8/7

「花魁道中の写真」  
「すすきの祭り」にいってきました。主な目的は花魁道中の写真を撮ることです。 花魁ご一行は豊川稲荷神社前を19時40分に出発しました。

豊川稲荷神社は薄野遊郭の娼妓達を供養し、その陰にある水子と現代の水子(見ず子)の霊を慰める目的で建立されました。

提灯に「薄野祭り」と書いてありますね。 
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一番後ろの人はカメラマンです。
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花魁の履物を見て下さい。ずいぶん高いですね。歩き方が面白いですよ。男性の肩を借りないと歩けないようです。
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今年の花魁道中は以前と比べると、少し寂しいような気がしたのは私だけでしょうか。

4年前見たときは札幌の中心三越前出発と記憶しています。現在は薄野娼婦、縁の地ではありますが、薄野のはずれの豊川稲荷神社出発です。

新聞の前宣伝が何もないのです、薄野観光協会に電話をかけて花魁道中の出発時間を聞くありさまでした。ネットでも探せなかったです。

翌日の新聞を読んでも、「すすきの祭り」に北海道知事が参列したことは書いてありますが、花魁道中の記事は一行もありません。

ちなみに見出しは「夏の夜はビール! すすきの祭り開幕」でした。 やはり「女性差別問題」が尾を引いているのでしょうか。
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2008年07月30日

花魁道中は女性差別?

2008/7/30

「花魁道中は女性差別?」         
街の生活は面白い。冬のイベントは「雪まつり」くらいしか思いつかないが、5月から10月はいろいろな行事が目白押しだ。

夏になるとスケジュールも更に込み合い、とても全部は付き合いきれない。

その中で一番好きなのが「すすきの祭り」だ。札幌の夏も昼はけっこう暑いが、夜は涼しい。

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この祭りは夕方から始まるところが良い。花魁道中で始まり、神輿が威勢良く練り歩く。

華やかな歓楽街のネオンの中でくりひろがれる豪華絢爛なショウは素晴しい。

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2008年8月7日19時40分豊川稲荷神社発、薄野中心街へ。
豊川稲荷神社は薄野遊郭の娼妓達を供養し、その陰にある水子と現代の水子(見ず子)の霊を慰める目的で建立。


花魁道中は女性差別だから止めろという声もあるが、世の中に差別など星の数ほどある。

花魁道中だけやめても何の意味もない。クリック→花魁道中

私にとって花魁は過去の文化。見たことも触ったこともないし、復活の気配もない。

過去の忌まわしい事実を全部取り除いてしまったら、歴史が歪められてしまうと思うが、どうだろうか。

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格差差別、学歴差別、ハゲ差別、数え上げればきりがない。どれが許されてどれが悪いなどということは誰にも決められない。

法の下では平等でも、それぞれの人の立場は違う。 
差別も好き嫌いも同じ仮面を被ってやってくる。
区別などできない相談と思う。

「あんた、勘違いしてないか」
「はぁ?」
「花魁と下々の娼婦を比べてみろ。 天国と地獄ほどの差があるぞ」
「女性間差別ですか?」
「華やかな部分を残し、悲惨な部分を隠蔽する」
「いつから社会派になったのですか」
「違う! 俺は薄野,人情派…」

 パチパチパチ
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2008年07月29日

天皇皇后両陛下が札幌パークホテルにご宿泊

天皇皇后両陛下が札幌パークホテルにご宿泊

豊平館は鹿鳴館よりも古い明治の建物です。 
明治、大正、昭和、三代の天皇陛下が宿泊されました。
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過去の話ですが、現在の天皇・皇后両陛下も中島公園に隣接する札幌パークホテルに宿泊されました。
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2006年9月撮影、札幌パークホテル構内
豊平館に関する情報はこちらをクリック→豊平館 国指定重要文化財 札幌
タグ:事件事故
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2008年07月19日

やはり日本でした

2008/7/19

「やはり日本でした」  
黒澤明監督の「白痴」を観ていました。1951年の中島公園が映っているのです。感激ですね。

今はなき「氷上カーニバル」。素晴らしいですね。57年まえにはあのような素晴らしいイベントが、中島公園で開催されていたとは驚きです。

馬車が走っている雪の札幌も素晴らしい景観です。雪の中で洋館が冴えています。1951年当時、私は東京渋谷区立常盤松小学校の5年生でした。

当時札幌と聞くと北欧のイメージでした。北海道など行ったことのない私は、いろいろな映像や、絵などから札幌をイメージしていたのですね。

それから15年後、札幌に来ましたが、映画「白痴」で観たような北欧というか、ロシアのイメージはなかったです。やはり日本でした。
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2008年07月09日

古き渋谷のような山鼻

2008/7/9

「古き渋谷のような山鼻」  
中島公園の隣は山鼻地区。 山鼻には高級住宅街もあるが、やや破壊された部分もある。 そこはには私が育った、敗戦後の東京渋谷と似た雰囲気があり、懐かしさを感じる。

今どき珍しい泥道。雨が降ると水溜りが出来る。砂利道にしては砂利が少なすぎる。細くなったり太くなったり突き当たったりする不規則な道。子供の頃、こうゆう道をよく歩いた。
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ここはお屋敷と古いアパートと中高層マンションが混在している地域。所々に倒れそうな家がある。長い間、雪の重さに耐えて来たのだから、しっかりした作りに違いない。 空き家もあるが、殆どは人が住んでいる。
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最後に札幌らしい建物を紹介する。 いかにも山鼻の旧家という感じだ。 山鼻は札幌で最も古い住宅地である。
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とっくの昔に山鼻と言う地名は無くなっているのだが、慣例としてこのあたりを山鼻と今でも呼んでいる。 したがって、どの地域をしめすのか明確なものはない。薄野も同様である。
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