2008年10月27日

早食いの誘発、あった!

2008/10/27

「早食いの誘発、あった!」         
あることがきっかけで、昔の給食風景を思い出した。 ちょっと不潔な感じの給食当番の男子が、シチューの入ったバケツの中に鼻水を落としてしまった。

それを見た女子の一人が「私、食べない!」というと、女子皆が食べないと言い出した。 男子たちはシメタ! と思い大喜び。 もちろん全部平らげた。

鼻水落とした男の子はホッとしていたが、すきっ腹かかえて、給食食べ損ねた女の子たちの心中はどうだったのだろうか。

今でも聞いて見たいような気がする。 あの食料難時代に「食べない」という行為は最高の抗議をあらわしている。

冒頭に書いた「あること」とは先日あった小学6年生の給食窒息死事故のこと。 

さっそくQPに「テレビで早食い競争なんかやるからいけないんだ」と、同意を求めると、以外にも反論してきた。

大好きなテレビのせいにしたのが、面白くなかったのだろう。 あ〜だ〜こ〜だ〜と屁理屈言うのだ。 

今度は私が面白くないからブログに「想い」をぶちまけた。それが先日の「オジサンは怒っているぞ!」である。

私が小学生だったころは給食を食べながら先生が「食」について、いろいろ話してくれた。 あるとき先生は「ミルクにパンを浸して食べると美味しくなりますよ」と言った。

翌日には「パンはよくかんで食べましょう。唾液の力で栄養が行き渡ります」という。 話は矛盾するが、食べ方や栄養が、いかに大切かということは十分に伝わって来た。

「口の中で36回噛みましょう」と言いながら口をモグモグ動かせて見せてくれた。 子どもたちもそれを真似して回数を勘定したりしたものだ。

先生も生徒も口に入れたものはトコトン栄養にしようという執念があった。 それが、今はなんだろうか。 「早食いに大食い」、こんなことがもてはやされていいのだろうか?

10月25日の北海道新聞の見出しにこう書いてあった。 「早食いの誘発、あった 小6パン窒息死 校長会見し謝罪」。
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2008年10月24日

美味しいお握り作り

2008/10/24

「美味しいお握り作り」         
コンビニから自家製へ 〜オニギリ異変〜

「残念です。せっかくオニギリ作ったのに」
「まさか自分で握ったんではないだろうね」
「皆さんにも、喜んでもらおうと思って、心を込めて沢山にぎりました」

「アンタのオニギリなんか誰も食べないよ」
「美味しいオニギリの作り方覚えたのですが…」

今まで、オニギリはコンビニで買っていました。 理由は簡単です。家で作ったオニギリが不味いからです。

ところがある日、異変が起こりました。 たまたま家で食べたオニギリが飛び切りに美味しかったのです。 

「このオニギリ、最高に美味しいですね」
「オニギリはね。 お米と海苔が美味しければ、
誰が握っても美味しいのよ」

「そうですか。 10月20日は オニギリ記念日! これからは、私にもオニギリ握らせて下さい」

美味しいオニギリの作り方
・米は「おぼろづき」を硬めに炊き上げる。
・上等な海苔を贅沢に使う。
・梅干は寺田屋の熟成三年梅
・適当に塩をつけ、柔らかく握る。 
・海苔は食べる前に包む。 
(パリパリ感があると、いっそう美味しく感じる)
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2008年10月23日

買物はつらいよ

2008/10/23

「買物はつらいよ」       
又、サトさんがやって来た。退職したばかりの人はよっぽどヒマなんだな。私のように無職を7年もやっていると、けっこう忙しいものだ。何かにつけ頼まれごとが多くなってくる。ボランティアといっても約束した以上は守らないと、信用にかかわる。おろそかには出来ないのだ。

「人生相談は、もう止めたよ」
「違うんです。今日は女房の悪口を言いに来たんです」
「そんなこと言いに、わざわざ来たのか」
「奥さんとケンカするんじゃないよ。愚痴ぐらい聞いてやるから。と言ったでしょう」

確かに言ったかも知れない。しかし、バスと地下鉄乗り継いで、ホントに来るとは思わなかった。かいつまんで言うと、こんな話だった。
「風が強くて寒い日に買物を頼まれた。買物を書いたメモ書きを渡されたが、いつものように、メモ書きは見ないで財布と一緒にポケットに入れた。スーパーに着き、買物開始。メモ書きの中に『かにもどき』と書いてあったが、そんな品物はない。 一生懸命に手がかりを考えると、サラダに使うと言っていたことを思い出した。さんざん探した挙句、『サラダに合う』と表示してある『かに風味』をカゴに入れた。他にいくら探しても『かにもどき』というものは見つからない」
「フムフム……」 

「無いことを確認するのは、ある物を探すのに比べ、数倍の手間がかかる。さんざん探した後で諦めたのだ。『もどき』『風味』『らしき』と続けば、私だって頼まれたものとは違うのではないかとの不安はもっている。なにか嫌な予感がした。リンゴ、牛乳、ジュース、醤油など重いものをいっぱい持って、雨混じりの強風の中を歩き、やっと家に着いた」
「そりゃあ、大変だったな」

「『遅かったじゃない。寄り道でもしてたの』と言いながら女房が受け取った。買物を頼まれるのは天気が悪いときか、重いものを買う必要があるときだ。今日は両方重なって少々辛かった。しかし、案の定『かに風味』を見ると嫌な顔をした。こういう予想は当たれば当たるほど傷つくものだ。『これ違うじゃない』と聞くと更にガックリくる」
「そりゃあ、そうだ。しかし随分長い話だな」

「人に買い物を頼んでおきながら、『かにもどき』という、どこにも無いようないい加減な品名を書いたことには、何の反省もない。自分のイメージしたものと違うという、極めて自分勝手な理由で不機嫌になる。更に、頼んだ物と違うといって文句を言うのだ。正確に品名を書かなくては通じないとは言ってみたものの『私だったら分かるよ』と言われて押し切られてしまった。後はケンカしかないでしょ」

彼の愚痴はやっと終わった。 
私の役目も終わってホッとした。

「奥さんだったら分かるだろうね」
「先輩だったら分かりますか」
「分かるわけないだろう」
「男はつらいですね」
「分かるよ」
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2008年10月22日

オジサンは怒っている

2008/10/22

「オジサンは怒っている」         
〜オジサンは怒っているぞ!〜

日6年生の男子児童が給食のパンをのどに詰まらせて窒息死した。なんとも痛ましい事故である。ご両親の悲しみを思うと胸がいっぱいになる。世の中まるく治まれば全てよしとする私だが、今回ばかりは腹が立った。テレビの「大食い番組」「早食い番組」は一体何だ! 反省して欲しい。

様に愛されるブログを目指しているので、悪口は書きたくないのだが、あんな低俗・害毒番組を見る方も見る方だ。誰も見なくなれば番組は成立しないはずだ。しかし、一番悪いのはテレビ局に決まっている。公共の電波を使って世の中に害毒を流すのは法律違反である。なぜ牢屋に入れないか不思議でならない。

は決して悪いことは報道してはならないと言っているのではない。大食いや早食いを褒め称えて賞品を与えたりすることが問題なのだ。「どの食べ物も、よくかんで食べる」のが正しい食べ方。早食い、大食いなどという食べ方は、食育に反している。悪以外のなにものでもない。 断じて褒められるものではないし、ジョークに出来ることでもない。

ップ入りゼリーの会社も気の毒だ。製造中止に追い込まれてしまった。どの食物も正しい食べ方をしないと危ないのだ。ゼリーに限ったことではない。厚労省の調べでは、2006年の食べ物窒息死は4、407人である。その内で例のゼリーでは8人だ。もち77人、米飯61人、パン47人。消費量から言えばゼリーによる犠牲者が少ないとは言わない。しかし、ゼリーだけの問題でないことは明らかである。

題は食べ方ではないか。あのゼリーの食べ方は標準より少し難しいかも知れない。しかし、克服できない問題とは思えない。どんな食物も食べ方がある。問題は食べ方。だから、それに反する「大食い」「早食い」のコンテストには腹が立つ。出るごとにチャンネルを変えるが間に合わない。

の中には観て気分がよくなる美しい話がゴマンとある。わくわくするような未知の世界、新しい発見、楽しいスポーツ、音楽など、楽しいことは山ほどある。それなのに、なぜ娯楽番組として「大食い競争」や「早食いコンテスト」などの番組を流すのだ。気分が悪くなるから止めてくれ。電波は国民皆のもの、公共の利益に資する使い方をしなければいけないもの。 放送に携わる者は、そのくらいの気持は持って欲しい。 

送の理念以前の問題として、せめて人の迷惑にならない放送を心がけて欲しい。これが第一歩である。政治・経済・外交批判など荷が重過ぎないか。似合わないぞ! 早食い大食いを賛美する「アンタに言われたくない」と、言われても知らないよ!

(厚労省発表は北海道新聞10月22日参考)
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2008年10月21日

nakapaの人生相談5

2008/10/21

「nakapaの人生相談5 」         
〜相談ないから これでお仕舞〜

レビ、ラジオの人生相談を聞いていて、歯がゆく思い人生相談始めたが、これでお仕舞とする。 私は間違っていない、しかし相談がない以上続けられない。

「けっきょく、従者になることにしました」と、サトさんは言った。
「ジュウシャって、何?」 もはや やる気は失せている。

「いやですねえ。二人暮らしはどちらかが従者になるしかない、と言ったでしょう!」
「あっ、そうだったね。奥さんにドンキホーテを押し付けたんだ。それは賢い」

「人の考えを理解する能力がないのだから説得は不可能です。 毎日ケンカも楽じゃないですからね。従者になって大人しく言うことを聞くことにしました」

「奥さんは優しいから、100%言うこと聞いてもヘトヘトになってつぶれる心配はないし、いいと思うよ」

人で暮らしていると客観的にみる人がいない。どちらかが相手に尽くすか、我慢しないと毎日が喧嘩になる。 

男でも女でも惚れられて結婚して、尽くされるのが一番楽だが、そんな人は少ない。

ほとんどの人は何となく一緒になったのだから、尽くしも尽くされもしない。 後ろ向きの意味でイコール・パートナーである。 

手がガマンしてくれない以上、自分がガマンしなければならない。しかし、一方的な我慢はストレスがたまる。ストレスがたまっては楽しい生活ができない。 

これでは何の為にガマンしているか分からない。 自分なりのストレス解消法が必要だ。 その極意を考えてみた。

<ストレス解消法、同居人=妻からみて夫、又はその逆>
その1
 言うことを聞き、尽くすふりをして、同居人の機嫌をよくさせて働かせ、楽できる環境をつくる。

その2
 同居人の外出時はなるべく家にいて、自由にやりたいことをやる。

その3
 同居人が居るときはなるべく理由をつけて外出するか個室にこもる。

その4
 話し相手が居ないからという理由で話しかけない。 最後に気分を悪くさせられるのは自分であることを忘れないこと。


トレス解消法のつもりが、「べからず集」みたいになってしまった。 

要は安全間隔を取ること。 車間距離のようなものである。 これさえ守れば事故はゼロ。

さっそくプリントアウトして、この極意をサトさんにプレゼントした。もう相談には乗れないから、これを読んで夫婦舟を巧みに操って欲しい。

「なんですか、これ?」
「ガマンの暮らしを支援する。ストレス解消の極意だよ」

「逃げ回っているだけでしょ」
「逃げるが勝ちよ」

「負けるが勝ちでしょ」
「そうとも言うな。 五十歩百歩だ」
「もうよしましょう」

  歯がゆくて人生相談 始めたが相談ないから これでお仕舞
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2008年10月19日

nakapaの人生相談4

2008/10/19

「nakapaの人生相談4」         
〜ドンキホーテか、従者か〜

サトさんは7歳下の定年男性。又相談にやって来た。 私がヒマそうだから来てくれるのか、相談事があって来るのかよく分からない。

「無理して相談に来なくてもいいんだよ。 せっかく来たんだから思い出話でもしようか」

「そうですね…。先輩にはよく足を引っ張られました。 花巻に一件、あれはヤバかったですよ。 あの時……」

「それはそれとして、今日は何の相談だい」
「思い出話はいいんですか」
「せっかく遠くから来たのだから、相談にのってあげないとね」

「女房が、退職してうるさくなったと言うんですよ」
「一日中顔を突き合わせていたら、そう思われるよ」

「90%は譲っているんですよ。 うるさいのは一体どっちだと言いたいですよ」

「一つでも反論したらうるさいといわれるよ。 一言も反論してはいけないんだよ。 分かる? 一言もだよ。 居候は静かにしているものだ」

「居候?」
「家でゴロゴロしている年金爺さんのことだよ」

「それでも100%言うこと聞くなんて情けなくないですか」
「譲るなら100%。譲らないのも100%。 中途半端はダメだよ」
「話し合うのが人間の知恵というものでしょ」

「3人以上いればな…。2人では話し合いにならんのだ」
「はぁ?」

「二人暮らしは勝負の世界。話し合いの余地はないね。勝って恨まれ、負けて悔しがり、妥協すれば双方が不満を持つ」
「厳しいですね」

「二人暮らしの舞台にはドンキホーテと従者の二つの役しかないのだ。 どちらか好きなほうを選べばいいんだよ」
「ドンキホーテはご主人様ですよね」

「だけど、ドンキホーテはドンキホーテだよ」
「もっと立派なご主人様だっているでしょう」
「他所に行けばね」
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2008年10月18日

nakapaの人生相談3

2008/10/18

「nakapaの人生相談3」  
〜人生相談をやりたい訳〜

が人生相談を始めたのには、ちゃんとした訳がある。テレビやラジオで聴く人生相談の回答があまりにもお粗末だからである。

答者はマスコミの寵児、いわゆる人気者だ。常に羨望あるいは尊敬の眼差しで見つめられている。一方、相談者と言えばヨボヨボでクタクタな哀れな人たちだ。彼らはいつも人々から無視され、冷たい視線を受けている。

じことをしようとしても周りの反応はまったく違う。例えば「人の輪に入る」こと。人気者の回答者にとって極めて簡単なことだが、嫌われ者の相談者にとっては至難の技である。

答者は「人の輪にはいりなさい。そこから道が開ける」と簡単に言うけれど、陰気でヨボヨボの相談者なんか誰も仲間に入れたくないのだ。そこに入らなければ道が開けないとするならば、前途は絶望的である。

「そういう訳で苦労人の私が人生相談に乗り出したんだよ」
「相談が一つあります」
「どうぞ」
「ソファに座って動いたりすると、ソファーがズレるのですよ」
「床がフローリングだったな。滑り止めをつければいいだろう」

「100円ショップで買っても、ソファが4脚だから1個100円としたら400円かかりますね」
「それがどうしたと言うのだ」
「400円もするなら東急ハンズで買った方がいいのじゃないですか」
「そんなこと、相談するまでもないだろう」
「今日は相談日でしょ。相談者だれもいないみたいですね」

計なお世話だ、キズつくな〜、まったく。困った人を救いたいから人生相談を始めたのに、真面目な相談は一件もない。どこの誰もがズレている。どなたか相談にのってくれないかな。
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2008年10月17日

nakapaの人生相談2

2008/10/17

「nakapaの人生相談2」          
〜私の夢は人生相談回答者〜

「シニアになったら人生相談」。これが私が抱いていた長年の夢である。 

パソコンがネットに繋がると、さっそく「メル友コーナー」に登録。 「人生相談承ります」と掲示板に書き込んだ。

「さて、忙しくなるぞ」と、待ち構えたが一週間たっても一通のメールも来ない。

 「変だな〜、故障かな?」と思って、5人の同年輩の見知らぬ男性にテストメールを送った。

3人の親切な男性から返信があった。 内容はみな同じようなものだ。 「メル友に登録したらメールが来ると思ったら大間違いですよ」

苦節6年、ようやく相談者が現れたが、退職したばかりの職場の後輩だ。 ここではサトさんと呼ぶことにする。 

「別れたい」と相談に来たサトさんの問題を見事に解決。 好調なスタートを切った。

それでもサトさんは相談に来た。 ヒマを持て余している私を慰めに来ているつもりかもしれない。 そう思えるほど相談内容がくだらないのだ。 

「いつも飲んでいる薬の置き場所を居間から台所に変えようとしたら、女房がエライ剣幕で文句を言うんです」

「そんなこと、いちいち言いに来ないでよ。これでも結構忙しいんだよ」

「相談がぜんぜん無いと、こぼしていたじゃあないですか」
「そりゃあ、そうだが…」

「私が建てた家なのに、少しでも便利に使おうとすると大騒ぎになるんです」
「そりゃあ、大変だね〜」

「完全に女房に占領されてしまたのです。私の家がですよ!」
「時効だね」
「はぁ?」

「長い間、家のことは奥さんに任せきりだったろう」
「それが何か…」

「時効とはね、一定の期間、その権利を行使しないと、その権利が消滅してしまうというものなんだよ。諦めな」
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2008年10月16日

nakapaの人生相談

2008/10/16

「nakapaの人生相談」  
〜お前は既に別れている〜

七つ下の定年男性から相談を受けた。人生相談は大好きなので張り切ってしまった。
 
「あなたは一番よい選択をしましたね。 私に相談すれば問題は速やかに解決されるでしょう」

「退職して二人暮らしを始めて女房の正体が分かったのです。もう別れたいですね」
「心配いりません。 あんたは既に別れています」
「はぁ?」

「生まれてから現在に至るまでズ〜ッと別れているじゃあないですか。 今更法律的に別れる必要などありません!」
「家庭内別居を勧めるんですか?」

「別居はお金がかかりますよ。あるんですか」
「う〜ん? 家の中を二つに分けるとか…」

「バカなことは止めてください。小さな家を半分にしてどうするんですか! 不便になるだけですよっ」
「じゃあ、どうしたらいいんですか」

「今のままでいいのです」
「それが最悪だから、相談に来たんです。もう帰ります。 
来るんじゃなかった」

「ちょっと待った! 
問題を解決したいのなら、最後まで聞きなさい!!」
「いいですよ。最初から期待していなかったんですから、
ダメでもともとです。拝聴しましょ」

「奥さんは買物、サークルなど、よく外出しますね。
その間あんたは一人でしょ。 あんたが外出すればあんたは一人。 書斎にこもればあんたは一人…。
 
寝ているときもあんたは一人でしょ。 
まさか一緒に寝たりしていないでしょうね?」

「いえいえ、とんでもない!」
「しっかりと別れているじゃあないですか。それ以上別れたって、自分の生活が不便になるだけですよ」

「何だか、はぐらかされているみたいですね」
「アンタが私を騙しているのですよ」
「はぁ?」

「奥さんと仲良くしたいのに、なついてくれないものだから、別れたいとか言っちゃって♪」
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2008年10月13日

お風呂でケンカ

2008/10/13

「お風呂でケンカ」  
我家の風呂は早い。夕食前に入るので17時過ぎには入り終えている。 その日はちょうど日ハム・オリックスをテレビ観戦していた。

この試合に勝てば西武との決勝戦である。とても目が離せる状態ではない。

それなのに「ちょっと、来てよ」とやかましい。 何回も呼ぶので嫌になってしまう。用事があれば、こっちに来ればいいのだ。

やっとチェンジになったので風呂場に行くと身体を洗っていた。 まるまる裸のQPがお湯が少ないと言って、血相変えて怒っているのだ。

「あんたが余計なことするから、お湯が減っちゃったじゃない! 湯船に半分しかないよ」

「ここを押せば増えるでしょ。 自分で押してください」
「あんたが減らしたから悪いんじゃない」

クリックすると元のサイズで表示します
  湯量の上の▲を押すと増え、▽で減る、簡単でしょう

どうやら湯量を調節した私に、全責任を押し付けないと気がすまないようだ。 

所詮は誰が蛇口をひねるかの問題である。 風呂に入っている人がひねればいいのに、なぜ怒るのだろう。

ときどき、訳の分からないことを要求されて困っている。 『ひねるとジャー出る』がボタンになっただけで、何もかも分からなくなってしまうのだ。 

お風呂は使い始めて7年たつが、「自動ボタン」以外触ったことがない。終われば「お風呂が沸きました」と報告までしてくれる。人間様は入るだけだ。 

前の日にボイラー系統の点検があり、担当者が「どこか異常がありませんか?」と聞くと、QPが「お風呂のお湯が多すぎるので、もったいないのですが…」。

「ここを押すと湯量が増えて、こちらを押すと減ります」と、丁寧に説明してくれた。 なぜかQPはポッと顔を赤らめた。 湯量が多いのはお風呂の故障と思っていたに違いない。

減らしたのは確かに、私だがQPが担当者に教わっていて、「ええ、ええ」と返事をしていたのだ。 私は側で見ていただけ。 当然、QPは理解しているものと思っていた。

「少なかったらボタンを押して増やせばいいでしょ」
「あんたが減らしたんだから、増やしてくれなきゃダメ!」
「ボタンを押すだけですから簡単でしょう」
「簡単ならやってよ!」

相手が他人だと自分の間違いに気付いて、ポッと顔を赤らめるのに、このずうずうしさは一体なんだろう。
 
外に弱く内に強い。他人に優しく、身内に非情。 もっと公平にふるまえないものか? 同居人としてはとても辛い。分かって下さいこの気持。
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