2008年12月28日

自分が何をやりたいか

2008/12/28

「自分が何をやりたいか」       
麻生首相はハローワークで土木作業員を失職して職探しをしていた青年に

「まず自分がなにをやりたいか決めないとね。なにかありませんでは、仕事はみつからんよ」と、親しげに話しかけという。

ここまで、苦労知らずのお坊ちゃんとは知らなかった。 この青年は年の瀬を迎え、切羽詰り何でもいいから「食うための仕事」を欲しいと思っているに違いない。

叉、土木作業員がやりたい仕事の第一志望という人は稀だと思う。 ほとんどの人はやりたい仕事には就けないのが現状だ。 

自分の好きな仕事をして暮らしが立てば、こんな幸せなことはないと思う。 しかし、そんな人は滅多にいない。 ほとんどの人は生きていくために与えられた仕事を精一杯やっているだけだ。

一般的な話としては麻生首相の考えは正しいと思う。 就職する前に、先ず自分がなにをやりたいか決めるべきである。 

だが、麻生首相に「なにをやるか決まりました。仕事を紹介して下さい」と言ったら、就職先を見つけてくれるのだろうか? 

具体的に困っている人に一般論など言っても何もならない。 返って見捨てられたと思い、絶望されてしまうことを知らないのだろうか。

ところで、「先ず自分がなにをやりたいか決めるべき」との考えには大賛成である。 しかし、やりたい仕事に就けない現実をどう変えたらいいのだろうか。 

日本の仕組みを革命的に変更しなければならないし、変更したとしても果たしてそれで「食って行ける」か、見当もつかない。

そこで考えたのだが、「50歳定年」というのはどうだろうか。 50歳までは生活する為に与えられた仕事を一生懸命する。 

50歳からの1年間は「どんな仕事をやりたいか」見極める期間。 51歳からは自分が選んだ「やりたい仕事」をする。 

高齢になって分かったことだが、いい歳になると肉体年齢は人によって大差がある。第二の定年は決めない方がいいと思う。 

好きで自分が選んだ仕事なので、体が続く限りやって行けばいいと思う。 結果として、採算の合わない仕事も沢山出るかも知れない。

自分のやりたい仕事なら打ち込み方も違う。効率的な仕事が出来ると思う。問題は偏りである。ミスマッチをどうするかが課題となるだろう。 

しかし、働かない人に年金を支給する制度と比較すれば、案外、実行可能かも知れない。 検討の余地があると思うが、どうだろうか?
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2008年12月27日

ハゲて悪いか!

「ハゲて悪いか!」
「頭の不自由」な人の前では、髪の話題はタブーのようです。 そう思うと破ってみたくなります。 

こんな軽い気持でおよそ600人が所属するML(メーリングリスト)に投稿してしまいました。


2007年6月25日 8:09
件名:ハゲて悪いか!

別に私が怒っているわけではありません。 それどころか、皆様には日頃の温かい心遣い、感謝しています。

「ハゲて悪いか!」は今朝の北海道新聞の見出しです。一部抜粋して要約、私の感想を付け加えました。

アンケート調査の問は 「髪の薄い男性は好き?」

「はい」が0%
沢山あるハンディキャップ中の一つのです。乙武さんの「五体不満足」に比べると、かなり微細なハンディです。

「いいえ」が53%
当然でしょう。 私も「いいえ」です。

「無関心」が47%
このメール読んでいる人の中には、ホッとしている方もおられるかも知れません。 私が適切な言葉に置き換えてみました。 → 「髪の薄い男性は無視。付き合いたくない」という事です。

以上、首都圏の女子大生に対するアンケートで、カツラ会社が実施しました。

私達?は大変な荒海の中を航海しているのです。お互いにハゲマシ、頑張りましょう! カツラ買わないでね。

今になって思うのですが、私はパンドラの箱を開けてしまったのかもしれません。
 
タブーは破ってはならないものです。災いが降りてくるかもしれません。 

既にその兆しは見えてきています。この記事は序文です。
本論への導入部分に過ぎません。重要な部分は別の機会に書こうと思っています。 
 
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2008年12月25日

腹いっぱいでバイキング

2008/12/25

「腹いっぱいでバイキング」  
こんな経験は初めてだ。 腹いっぱいなのにバイキングに行ってしまった。 しかも、料金は7000円。 

結婚披露宴でご馳走攻めの後のバイキングだ。 終わってみればこれもアリかなと思った。

「東京の結婚披露宴は料理いっぱいでしたね」
「食いしん坊だから、好かったでしょ」
「残念ですよ」
「嬉しそうに食べていたじゃない」

「その後がバイキングでしょ」
「最高のバイキングよ!」
「腹いっぱいだから、少ししか食べられないじゃないですか」
「だから、バイキングなのよ」

「はぁ?」
「好きなものだけ、つまんで下さいという配慮なの」
「でも、一人前7000円ですよ!」
「いいじゃない。招待なんだから」

「もったいないですよ」
「ディナーとかコース料理だったら残すでしょ」
「そうですね、そっちの方がもったいないかもしれません」
「それに、ビフテキ取りに行ったら、すごい行列」
「お腹すいていたら、のんびり並んでいられませんね」
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2008年12月24日

中島パフェ12月更新

2008/12/24

「"中島パフェ12月"更新」         
今朝は午前4時に起きてしまいました。 例によってパソコンでいろいろ書いている内に朝刊が来たので、再びベッドに入って新聞を読みました。

午前中は英語の勉強に円山まで行きました。恥ずかしながら「初級」です。 今、初級ということは一生初級です。

「でも、頑張ります」というのはウソ。 パソコンばかりやっていないで目先を変えた気晴らしも必要ということでやっています。楽しいですよ。

午後は中島公園の写真を撮りに行って、それを最新資料として「中島パフェ」を更新しました。 やっと今、終わりました。 長い長い一日でした。
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2008年12月19日

私の初めてのジャンプ

2008/12/19

「私の初めてのジャンプ」         
Aさん と Bさん がバンジージャンプを体験した、と聞いた。 一体なんだろうと思いネットで調べた。 終わりに次のように書いてあった。

「バンジージャンプは、最短時間で人生観を変えてしまうとも言われています」

果たして人生観変わっただろうか。 お会いしたら、そのことについて是非、聞いてみたいと思った。

ところで、Cさんと雑談しているうちに当然の成り行きとして、私たちの仲間では評判のAさん・Bさんのバンジージャンプの話になった。 

ネットで知ったばかりの知識を、ここぞとばかりにまくし立てたてた。 そして、最後にこう言った。

「下に向って飛び込んではいけません。 ちょっと上に向って飛ぶのです。 少し頭を下げれば自然に下に向くものです」

得意になって話している内に、いつのまにか半世紀ちかく前に、一度だけ経験したことのある「高飛び込み」と混同してしまった。 

幾つになっても忘れられないほど印象の深い経験である。 もちろん悪夢のような失敗に終わっている。 

21歳のころだがアメリカ人専用のプールに通っていた。 日本人の入場には厳しい制限がある。事前の許可が必要だし、人数制限もある。 

アメリカ人はすいすい入っていくが、日本人は炎天下に列を作って、順番が来るのをジッと待っている。 そうしてまで入りたくなる素晴らしいプールだ。

水がとてもきれい。 当時の日本のプールは濁っているのに、こちらは透明。 それに飛び込み台があるのだ。 4段?ある。最高は10m近くあると思うが、よく分からない。

最初は一段目から飛び込んだ。 高さは2mくらいと思うが、感覚は自分の目の高さが基準になるから、水面は4mくらい下に見える。 

最初は腹を打つのを恐れて、下に向けて飛び込む。 そうすると必ず背中をぶっつけることになる。 凄く痛い。 

スタート台から飛び込むのと同じように少し下に向けて飛び込むと、やや裏返しになってしまうのだ。 飛距離が長いせいだと思う。

「ちょっと、上に飛べ。 それから頭を少し下げればよい」と友人から聞き、その通りにしたら、上手く行った。 スポッと水に入れる。 とても気持がよくて病みつきになった。

アメリカ人の子どもは最上段から足をバタバタさせ、鼻を摘みながら次々と飛び降りてくる。 

とても楽しそうに見えたので、いきなり最上段に挑戦した。 梯子で上ってみると、とても高く感じ、少し後悔した。

今だったら、やっぱし止めた。 と思い、梯子で降りてくるが、21歳のときは違う。 アメリカの子どもにバカにされるのは耐え難いことだった。

こうなったらやるだけだと決意を固めた。 周りは子どもたちばかりで、大人は私一人だけしかいない。

飛び込み台の先端に立つと、プールが凄く小さく見えた。 記憶ではマッチ箱くらいに見えたが、これは気持の問題。 正確なことは覚えていない。

ホイスルがピーと響いて、4段目?飛び込台に対して飛び込み許可の合図の旗が揚がった。 各段が同時に飛び込むと、事故が起こるので、許可を出す女性がプールの反対側に配置されている。

一瞬躊躇すると。 子どもたちが、口々に「クリアー」「クリアー」と甲高い声で叫びだした。 それに押されて、飛び込み姿勢のことなど何も考えずに飛び込んでしまった。

大失敗だ。 どうゆう格好で水に入ったか全然覚えてない。 ともかく体が痛くてしばらく水中でうずくまっていた。 

二度とあんな真似はしたくない。 高いところはこりごりだ。 そう思ったのは半世紀も前のことだった。 こんなことを考えていたら、Cさんが言った。

「来年はニュージランドに行って一緒に飛ぼうね」

他にも高い所はこりごりの話はある。 私は高所恐怖症どころか高所恐怖症だ。 しかし、こう応えた。

「それは楽しみですね。 ぜひ、ご一緒させてください」

去年はシルクロード、今年はニュージランド、来年が叉、NZであるはずがない。 S会の海外旅行は毎年違う場所に行く慣わしである。

余談だが、今でもあの「クリアー」は何を意味しているのか考えることがある。 

「邪魔だ、どけ!」と言っているのか、
「許可がでているよ。飛び込んでいいですよ」と、親切心で初心者に教えてくれているのか。 一体どっちだろうか?

ちなみに飛行機に着陸を許可するときの用語は「クリア・トゥ・ランド」(着陸支障なし)。 

辞書では一番後ろの方に出ている「許可」だが、運輸・軍事関係では頻繁にこの意味で使われる。
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2008年12月15日

恋泥棒?

2008/12/15

「恋泥棒?」         
退職後、初めての一泊旅行は定山渓へ「やさいい英会話」の皆さんと行った。 一次会も終わり二次会は部屋に帰ってから始めた。 皆でいろんな話をした。 

「今度はnakapaさんの初恋の話でもきこうか」と、仕切り役のAさんが言った。

「なんで、今度なのだ。 だれも初恋の話なんかしていないじゃないか」と、心に思った。 無理難題を押し付けて困らせたいのだろうか。

私の風采から判断して、恋とは無縁と断定しているようだ。 「恋は心でするものです」とか言ってやりたいが、笑われるだけだろう。

25歳の頃だが、地に足が着かない経験をした。 たとえ話ではない。 心がウキウキして、ほわほわして畳に足が着いた感じが全然しないのだ。

なぜか、6畳一間の部屋をホワホワと雲の上を歩いているような感じでアチコチと動き回った。 歩いているのかホワリと浮いているのかよく分からない。とにかく、ウキウキしているのだ。

初めてのデイトの前の日のことである。 「恋は一生に一度はかかる麻疹(はしか)のようなもの」と、聞いたことがある。 
きっと、これに違いない。 後になってそう思った。

翌日、約束の動物園前に行ったが、彼女は来なかった。 紹介された友人の手前、約束はしたものの、気が進まなかったのだと思う。 後で考えるとだが…。

考えてみれば、これは恋でも、初恋でもないと思う。 しかし、一生一度の「はしか」に罹ってしまった。 その後、現在に至るまで「地に足がつかないようなホワホワ感」は味わったことがない。

こんなことで一生一度の貴重な「はしか」を盗られてしまった。 あれから40年以上たった、今でも残念に思っている。 
ドロボーに遭ったような感じだ。 恋泥棒?
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2008年12月13日

フー・アー・ユー

2008/12/13

「フー・アー・ユー 」  
昨日、テレビ観て、笑っちゃいました。 
有名な話らしいから皆さんご存知かもしれません。 
ともかく、私は初めて聞いたので可笑しかったです。

モリ首相がクリントン大統領と会ったとき、
ハー・ワー・ユーと言おうとして、
「フー・アー・ユー」と言ってしまったんだって。

それを聞いたクリントンさん何と応じたと思いますか? 
素晴らしいユーモアで答えてくれましたね。
「アイ’ム・ヒラリー’ズ・ハズバンド」

それで、モリさんは何と言ったと思いますか? 
これが、また凄いんですよ。 
「ミー・ツー」
なんだって。 どうゆう意味でしょうね。 me too. ??

復習します。ご挨拶は、次のように進みました。

モリさん「フー・アー・ユー」
クリさん「アイ’ム・ヒラリー’ズ・ハズバンド」
モリさん「ミー・ツー」

この会話のヤマは、やはりモリさんの「ミー・ツー」ですね。

そのまんま、でいいのでしょうか。
ブラック・ユーモアかな? それとも、モリさんの願望? 
からだを張って日米友好とか?

しかし、この話ホントでしょうか? できすぎています。
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2008年12月12日

緊張しない夫婦関係

2008/12/12

「緊張しない夫婦関係」       
日あるところで、嬉しいコメントに出会いました。 こう書いてありました。

「nakapaさん!『緊張しない定年後の夫婦関係』について、ブログ考察などヨロシクお願いします」

私はこれを人生相談と受け止めて、回答することにしました。 実は、次のようなな訳があるのです。

年退職直後ですが、趣味の人生相談をやろうと考え、「メル友コーナー」に、「人生相談承ります。60代男性」と出したのです。 しかし、何の反応もなかったのです。

インターネットもメールも初めてなので、ネットで募集すればメールが殺到するだろうと思っていました。 ところが一通もこないのです。 パソコン・トラブルかなと思いました。

結局、トラブルではないことが分かり、かえって寂しい思いをしました。 あれから7年、待ちに待った相談です(よね?) 張り切らずにはいられません。

談をもっと具体的な形にしてみました。 後になって「主人は酒乱です」とか、言われても困ります。 回答者は慎重でなければなりません。

相談
「飲まない、打たない、買わない、そしてヤク(薬)もしない。 健康状態も普通の、二人暮らしの夫婦です。 緊張しない
定年後の夫婦関係を、どう築いたらいいでしょうか?」

回答
先ず、「愛」「誠実」「真心」などというような難しいものは横に置きましょう。 

何事も直ぐに出来ることから始めるのが近道。 難しいことは後回しにして、棚上げにすればいいのです。

人間も集団生活をする動物ですから、主従の関係は大切です。 二人暮らしならどちらかは「従」にならなければなりません。 

相手が従にならないのなら自分が「従」になりましょう。 これが緊張しない夫婦関係構築の第一歩でです。

方が「主」なら必ず緊張状態は生じます。 二人暮らしは絶対に主従でなければなりません。 イコール・パートナーは、幻想に過ぎないのです。

どちらかが「従」に徹することにより、緊張感は遅かれ早かれ消滅します。早い夫婦は1か月、遅い夫婦でも1年あれば十分です。 

緊張感がなくなるとお互いの意思の疎通が軽やかになり、話し合いが気楽に出来るようになります。 小さなケンカをしても後に引きません。

上げにしていた「愛」「誠実」「真心」なども自然に降りてきます。 だから、無理して誠実になる必要はないのです。

両方が「主」になれば緊張が生じます。 集団で生きる動物は主従になるようにできています。 そのようにして自然界を生き延びてきたのです。 

由平等、民主主義は大きな集団には必須ですが、二人暮らしには邪魔なだけです。 いつも「1対1で引き分けです」。これでは何も決められません。

結論
『緊張しない定年後の夫婦関係』を築くことへの回答は、主従関係を明確にすることです。 

「従」だからといって格下というわけではありません。 単なる役割です。二人でも頭は一つしか要りません。 二つあれば間違いなく緊張が生じます。

回答者らしく断定
憧れの回答者になったつもりで書いてみました。 
人生で「これはこう」と断定できることは少ないのですが、
回答者らしく断定してみました。 
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2008年12月09日

美男・美女でなくても

2008/12/9

「美男・美女でなくても」         
NHKのアナウンサーが、だんだん美しくなり、最近は美男・美女ばかりになってしまった。 言うまでもなく、NHKは公共放送である。

もっと普通の人が出演すべきと思う。 アナウンサーはボランティアでもいいと思う。 マスコミ関係を目指している人で、その方面に就職できない人は沢山いるのではないだろうか。

アナウンスに万全を期することはないと思う。 NHKが全国民に対して国語教育をする必要はないとは言わないが、しなくてもいいと思う。教育機関はあるのだから。

日本各地の普通の人が、地方なまりで、その地方のニュースなどを読み上げれば、かえって臨場感があるのではないだろうか。

それから、市町村単位で地方の番組をボランティアで作ってもらい、ビデオで送ってもらったらいいと思う。 このような番組が全体の半分くらいあっても、いいのではないか。

これだけビデオが普及したのだから、お金をかけて番組を作る必要は薄くなっていると思う。 素人のボランティアといっても、ビデオ作成に習熟した人が増えている。

ビデオの出来の細かいことに拘る必要はないと思う。 ある程度の水準になって、伝えたいことが伝わるようになったらそれでいいのではないか。重要なのはコンテンツ。

こう思うのはインターネットから得る、膨大な無料情報に比べて、NHKの受信料が余りにも高いからだ。 受信料を下げる方法はいろいろあるに違いない。

受信料が、美しい映像を作るため、技術開発のため、優秀な人材を、大量に採用するために使われては勿体ない。 公共放送なのだから、いかに安くという視点も大切である。

最強の映像は民間放送に任せればいいと思う。 NHKはひたすら、全国民の意見をくみ上げて、全国民に地味に放送すればいいと思う。それが公共放送の味になる。   

公共放送なのだから、視聴率競争などに参加する必要はない。 ニュースは毎日頻繁に放送され、視聴者との接点になるものである。 

美男・美女の反対側の人も出てくれなくては困る。 芸術でもなければ、芸能ショーでもない。 普通の人、白髪の人も禿頭症の人も、その他の人も、出てもらわなければ困る。 

視聴者による視聴者のための放送であることを忘れてはならない。公共放送の原点に帰ってほしいのだ。

人間は誰でも平等であることを、放送で毎日、毎時間、知らせるべきである。 そうすれば、誰もが、いろいろな顔があっていいと思うようになる。 いろいろな顔に慣れてくる。

それに普通のひとをボランティアで出せば費用だって安くつく、受信料の大幅値下げにつながると思うが、いかかだろうか?
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2008年12月07日

QPならこう書くだろう

2008/12/7

「QPならこう書くだろう」  
時々「作り話を書いているのではないか」と言われることがある。 しかし、面白い事実はあるが、面白い作り話など、ど素人の私に書けるわけがない。

「お粥を内緒で作った」「ご飯の代わりに肉じゃがを食べたと疑われた」とか、出来事については、ほとんど事実。 事実と事実を繋ぎ合わせることはある。

セリフは脚色する場合が多い。 QPは口下手だから、そのままでは読物にはならない。 分かり易いように直す必要がある。 

いずれにしろ、全ては書いている私の主観。 客観的事実とはかけ離れている場合はあると思う。 

以下、QPならこう書くだろう(nakapaの想像)。

同居人に仮名をつけることにした。 何がいいだろうか? 
そうだ!PP(ピーピー)がいい。 響きが彼にピッタリだ。 

「貧乏自慢のピーピー」、ドンピシャだ。 テレビで「おしん」をやっていた時も「オレのほうが、もっと貧乏だった」と自慢していた。

「今度生まれ変わったら、パンダになるんだ。 大事にされて、楽してモテるんだ。こんないいことはない」と、耳にタコが出来るほど聞かされた。 パンダ名はピンピンにしよう。彼の憧れだから。 

PPは私がご飯の支度をしているときに、ノンビリと新聞を読んでいる。 仕事をしているときならともかく、退職してまでこれではたまらない。

手伝わせてはみたものの全然使いものにならない。不器用なのは仕方がないが、まったくやる気がない。 邪魔になるだけだから、何も頼まないことにした。

ピンピンコロリと行ってくれればいいが、私が先に行ったらどうするつもりだろう。 

「PPがころがりこんできた。自立できないのは教育が悪いせいだ」とか、あの世に行った後までも、息子に非難されたらたまらない。

飯早糞芸の内とは言うけれど、こんな遅い人は見たことない。いつまでたっても片付かない。 仕方がないから新聞でも読んでいよう。

「あなた、ちょっと ご覧にならない。 いいこと書いてありますよ」

『妻に頼らず 元気で長生き 男の料理 実習100回』と、見出しに書いてある。

「オレはちゃんと自立しているよ。 コンビニでも食堂でも食べるところは、どこにでもある。頼ったりしないから心配ないよ」

「他人事ではないのですよ。 経済だってどうなるか分からないんですからね。 外食すればお金もかかるでしょ」

「金のことなんか心配ないよ。 オレなんか1か月3000円の食費で暮らしたこともあるんだ」

「それは昔の話でしょ。 あなたは作ったことがないから分からないのよ。 

ちゃんと栄養のことも考えなければいけないし、安いからといって買えば、危ない食品もあるのですからね」

「はいはい、分かった分かった。 安全と言ってもね〜。 
どれだけ延ばせるかね〜、オレの命。 
はいはい、感謝していますよ。頑張って下さ〜い」

以上、QPならこう書くだろう(nakapaの想像)。

しかし、私が実際に書いたのはこんな具合だ。 短くしただけのつもりだが、どうしても身びいきになってしまう。 困ったものだ。

「あんたも見習いなさい」と言いながら、新聞をみせた。 
『妻に頼らず 元気で長生き 男の料理 実習100回』
との見出しが目に入った。

「この人たちは、すっかり奥さんに頼りきっていたのですね」
「何言ってんのよ。他人事みたいに」
「はぁ…?」
「あんたもそうじゃない。 自分で作ったことないでしょ」
「そうですね。 いつも有難うございます。 感謝してますよ」
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