2009年02月10日

夫の家出

2009/2/10

「夫の家出」       
少し年上のお洒落なAさんと、こんな話をしました。 まさか、叱られるとは思いませんでしたよ。 話を合わせているつもりでしたから。

「友だちが奥さんと別居しているんだけど、ホテル代が月20万かかるんだって」と、Aさんが言った。
「友だちのご主人が家出しちゃったのですか?」
「新聞をパラリとめくる音が煩くて、奥さんがテレビ観ているのに気になる、と言って怒るんだって」
「新聞をパラリより、テレビの方が煩いでしょ」

「そうなんだけど、理屈抜きで嫌なのでしょ」
「嫌なら奥さんが出ればいいでしょう」
「女が家を出るわけないでしょ! 根が生えているんだから」
「そんなもんですか」

「毎月20万払うのはもったいないから、家を買うことにしたんだって」
「お金持ちなんですね」
「私のせいじゃないかと心配してるのよ」
「貴女のせい…?」

「だって、家を出ちゃったのよ」
「新聞読むと文句言われるからでしょう」
「それだけじゃないでしょ」
「だから、理屈抜きで嫌なんでしょう」

「私のせいかも…」
「奥さんのせいでしょう」
「別居しているのよっ!」
「一人で退屈しているかも知れませんね。 遊びに行って上げたら?」
「あんた、常識ないね! 亭主がいるのにそんなこと出来るわけないじゃない!!」

突然怒り出しました。 私のせいでしょうか? 話を合わせるのも楽じゃありません。 どこから歯車の噛み合せが狂ったのでしょうか。 さっぱり分かりません。
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2009年02月08日

北海道、未来の夢

2009/2/8

「北海道、未来の夢」         
地球が温暖化しているかどうかは私には分かりません。 ただ、北海道が温かくなっていることは、肌で感じています。 

24歳のころ、東京から帯広に転勤し、厳しい寒さにしばれました。「しばれる」とは体験しなければわからない超極寒気温を表す方言です。 帯広市郊外は市内より10度も低く、マイナス30度以下になる日も珍しくはありませんでした。 

あれから43年たちました。札幌市中央区に住んでいますが、「しばれる」という方言も忘れそうです。寒さで苦労することなど滅多にないのです。 地域、環境も変わりましたが、個人的にはだんだん温かくなったと感じています。

「客観的にはどうなっているのだろうか」と、思っていたらタイミングよく北海道新聞に、気象予報士菅井貴子さんの話しが載っていました。 

「札幌は100年間で平均気温が2.3度上がっている。学者の計算では100年後の北海道は、年間平均気温で3度から4度、オホーツク海側では5度上がる」そうです。

北海道の気温が、今の東北地方の気温になると言うのです。 28年前、札幌から仙台に転勤したころのことを思い出しました。 リンゴとイチゴが特段に美味しかったのです。これにはビックリしました。

ところで、日本の食糧自給率は39%と言われていますが、北海道は200%です。 100年後は、今の東北の気候になるそうです。 そのときリンゴとイチゴを作ったらどうなるでしょう。さぞかし美味しいでしょうね。 

温かい北海道は海産物に加えて、美味しい果物の産地にもなります。 オマケに自給率200%。 北海道の未来は、まさにバラ色ですね。

温暖化は防がなければならない。しかし、明るい部分はないかと、自分なりに、身近なことを参考に考えてみました。 

夢ですね。 素晴らしい夢です。しかし、捨て難いですね。 

「みなさん、北海道に移住しましょう! 人口が2倍になっても、ご飯食べられます」とか、言ってみたいです。 
これも夢です。 1945年にみた夢と同じです。
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2009年02月06日

中福祉中負担とは?

2009/2/6

「中福祉中負担とは?」       
麻生首相は「中福祉中負担」というが、中福祉とはなんだろうか。意味不明である。 一方、中負担の意味ならすぐ分かる。今は小負担だから税金を上げよという意味だろう。

田中首相の「日本列島改造論」や池田首相の「所得倍増論」は分かり易いスローガンである。功罪はともかく当時の国民に夢を持たせた。 

「中福祉中負担」では夢も希望も感じない。 むしろ「高福祉高負担」の方が夢や希望がもてる。 なんといったって「高福祉」というバラ色の夢が入っているのだ。

人は老いる。自分の世話が自分でできなくなる。寝たきりになり、糞まみれになり、腹が減り、痛みに苦しんで死ぬ。 しかし、高福祉ならこれらをやわらげることができる。

あるいは、障がいがあっても、それを援助する社会的なシステムがある。 子どもを安心して生み育てることができる。 憲法で保障された文化的生活を誰もができる。

夢と希望がある素晴らしい社会と思う。 しかし、問題もある。言うまでもなく高負担のことである。 国民一人ひとりが負担に耐えられるかどうかが問題だ。

世の中にはお金持ちも、貧乏人もいる。 その中間の人も沢山いる。 その中で高負担に耐えられる人は、お金持ち及び、それに近い人たちである。

ところが、高負担に耐えられる人は、そもそも高福祉など不要な人たちだ。 高額な保険をかけたりして、個人的に高福祉を実現できる人。 彼らにとって高福祉+高負担=高負担に過ぎない。

言うまでもなく、貧乏人及び、それに近い人にとっては、高福祉+高負担=高福祉 となる。 私はこれを「非算術算術」とと呼んでいる(笑)。

このように「高福祉高負担」と言っても、立場によっては意味が正反対になる。 「中福祉中負担」にすれば大岡裁きの
「三方一両損」になるのだろうか?

Google検索で"非算術算術"と入力しても何もでません。 非算術演算あるいは、非算術加減法ならあります。そもそも計算式自体が怪しげですね。

「三方一両損」といっても、誰と誰と誰が三方か、この記事では明確でありません。 

ものごとを正確に書こうとすると、ドンドン長くなり、だんだんつまらなくなります。この問題でいつも悩んでいます。

あいまいを笑ってごまかす苦笑です nakapa心の川柳
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2009年01月21日

機能する政府への道

2009/1/21

「機能する政府への道」         
「オバマ大統領就任演説の最後の方で「政府の大小ではなく機能するかどうかが問題」と言っていた。 ようやく、この問題に触れてくれたか。と、ホッとした。

「アメリカ輸入の大きな政府=高負担=悪」というような図式が、検討もされずにがまかり通っていた。 問題は政府が機能するかどうかであって、大小などは問題のすり替えと思う。 

例えば、生きるための医療と、国を発展させるための教育を無料にしたとすると。膨大な経費がかかる。 結果として極めて大きな政府になってしまう。 税金も今までに経験したことないほどの額になるだろう。

医療は国民だれもが必要なもの、無くても暮らせる贅沢品とは違う。 これが無料になると、人々の幸せにつながることは間違いない。

「そんなことしたら財政破綻になってしまう」という、識者の意見は聞いたことはあるが、真面目な試算を見たことがない。 いくら掛かるから、税金をいくらにしなければならないという試算をだ。

どこかに試算した結果があるかもしれないが、新聞とテレビが情報源の庶民には届かない。 情報を積極的に公開しないから、議論にもならない。

教育の問題もそうだ。 教育全体を無料にした場合の試算はあるのだろうか。 現在できた経済格差は教育格差からきている部分も大きい。 試算はあるかもしれないが、庶民には届かない。

「教育を無料にすると、税金がいくら必要か」という試算があって当然である。 教育が国の発展を促すからだ。 あるなら積極的に公開して当然と思う。マスコミが議論を主導してもいいと思う。 

「せっかく教育しても頭脳が海外に流れてしまうから」と懸念する識者もいる。 仮定の問題でものを言うのなら、次のような仮定も成り立つではないか。

仮に、「医療と教育が無料の理想的な国で国民が幸せな暮らしをしている」とする。 優秀な頭脳を持つ人が、海外に出たとしても、いずれ幸せな暮らしがある母国に戻って来るのではないか。 海外の先端技術をお土産に持ってくるかも知れない。

あるいは海外に在住したままでも、母国の応援団になってくれるのではないだろうか。 母国には幸せに暮らした、いい想い出がある。 それに、父母、友人が残っているかもしれない。

国民生活の幸せに直結する「医療と教育の無料化」問題について、最初から不可能と決めつけて、国民全体の議論を深めない。 単に「大きな政府はダメ」と言ってきたのは、なぜだろう? 

医療と教育の無料化は難しい問題だが、国民全体の関心事である。 議論くらいは出来るはずだ。 マスコミでちょっと盛り上げるだけでよい。 議論に乗ってくる人はいっぱいいると思う。 

やはりダメだったと確認したとしても、全く議論しないよりもましだ。 議論の中から「どのような国を目指すか」という重要な課題が浮かんでくるかも知れない。
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2009年01月17日

機長、神業の着水

2009/1/17

「機長、神業の着水」       
今日(1月17日)の北海道新聞朝刊に素晴らしいニュース。次の様な見出しが躍っていた。「全員無事ハドソン川の奇跡」
「NY旅客機不時着」「機長 神業の着水」。 

写真には次の様な説明がついていた。「15日、ニューヨークのハドソン川に旅客機が不時着し、翼の上で救出を待つ乗客」。

サレンバーガー機長の顔写真もついていた。 英雄的行為に相応しいプロフェショナルの顔である。

離陸から着陸までの恐怖の5分間。職責を全うした機長に敬意を表したい。と言うよりも腹の底から感動してしまった。 

大惨事を紙一重のところで切り抜けた機長については、いくら賞賛しても、しすぎることはない。

空港に向ってもダメ。着水に失敗してもダメ。パニックが起こってもダメ。この寒空で水に入ってもダメ。 もちろん、飛行コースや着水角度が少しでも狂ったらダメ。

素人の私が思いつくだけでもこれだけの「ダメ」を避けたのだから驚きだ。 強調したいのは「船がいなかったのは運がよかったね」と、言った人がいるからだ。

「断じて行えば鬼神もこれを避く」という言葉がある。機長が自分の職務を断じて行ったから鬼神が避けたのではないだろうか。

鬼でもない、神でもない船などは避けるに決まっているではないか。と、思いたくなるような偉業だ。 船一隻でこの大偉業の全てが水泡に期されてはたまらない。 

素晴らしい記事をよんでいい気持になっていたのに、水をさされてしまった様な気分になった。 

たとえハドソン川に船が一隻もいなかったとしても、着水角度が少しでも狂っていたら「ハドソン川の奇跡」は起こらなかったのである。

大切なことは機長が無数の「ダメ」を操縦技術と胆力で切り抜けてきたことだ。 運がいくら良くても一つの「ダメ」で万事休す。155人の命は救われなかっただろう。 

いつ沈むか分からないのに、機長は機内に残った人がいないか確認する為、通路を二回も行き来したと言うではないか。 

危機に直面してマニュアルどおりに行動できる人は滅多にいない。素晴らしい機長に感動して、感情の赴くままに書いてしまった。
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2009年01月15日

筋書きのないドラマ

2009/1/15

「筋書きのないドラマ」         
〜あの日があったから今がある〜

「人の輪に入りなさい」と簡単に言われても困る。生活環境が急変した定年退職者にとっては、かなり難しい問題なのだ。

知りたいのは「いかにして」という各論である。総論だけでは突き放されたような気がしてしまう。

退職後は静かな生活に満足していたが、QPにとっては邪魔らしい。高齢者向けサークルをいろいろ紹介され、最後に勧められたのが「やさしい英会話」だった。

「これなら続けられると思うよ。1年間は絶対止めたらダメだからね!」と、念を押された。家の中に、私の居ない時間を作りたいらしい。

背中を押されるようにして入った「英会話」だが、無趣味の私は話し相手もなく、教室の片隅にじっと座って9か月もたってしまった。
 
新年会でKさんと出会ったのは、そのころだった。 話題が豊富で面白く、直ぐに打ち解けた。

「何か一つくらいできることあるでしょ」と聞かれたので「パソコンを少々」と答えた。すると「一緒にサークルのホームページを作ろう」ということになった。

趣味のパソコンを活用する機会を得て、その後はとんとん拍子だ。 自然に人の輪に入って行けるようになった。偶然の出会いも必要だが、長年続けて来た趣味も役に立ってくれた。

それからと言うものは、ときには簡単に人生航路を変えてしまう、偶然の出会いが楽しみになってきた。自由な人生は「筋書きのないドラマ」のように面白い。
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2009年01月13日

格差社会解消法

2009/1/13

「格差社会解消法」         
「格差社会の問題点は上の人が下の様子が分からないことにあります」
「カップメン400円の麻生首相のようにだな」
「それは小さな問題です。他にもっといろいろ大きな問題が…」
「下の人間だって上のことは知らんぞ」

「そうです。二極化してお互いに見えないのです」
「それじゃあ、あいこじゃないか」
「それは違います。上の人は権力や権限をもっています」
「それに、お金も土地も株券もだな」

「平等に持っているものもありますよ。命、心、
それに選挙権です」
「そろそろ選挙も近いな、政治番組でも観て、
情報収集しなきゃあな」
「テレビは観ない方がいいですね」
「それでは、どの党を選んでいいか分からないよ」
「党もいりません」

「自分の考えに一致する政策を進める党に入れる
べきじゃあないか」
「政策もいりません。必要なのは『チェンジ』です」
「だから、野党に入れてチェンジするのだ」
「それではチェンジになりません」
「なるっ! 野党に政権を持たせてチェンジだ」

「政党に属しない、名もない人がいいと思います」
「泡沫候補に入れろというのか!」
「格差社会の下の方の代表として…」
「オレは泡沫じゃない!」
「お伺いしますが、上流社会の方ですか?」

「そうではないが、そんな奴らに、この国は任せられない」
「格差社会の下の人が格差社会の上の人を選んだから、今のようになったのですよ。チェンジしたくないのですか?」

「だから、野党に…」
「ちょっと待って下さい。野党も含めて国会議員は
格差社会の上の人です」
「そう言えば、世襲議員も多いしな…」
「その通りです。 格差社会では2極化して、お互いに見えない状態になっているのです。 野党は格差是正とはいいますが、下が見えない点においては、与党と同じです」

「分かったようなことを言うけど、屁理屈だな」
「そうです。しかし、チェンジしようと思うなら下の者は下の者を選ばなければなりません」
「オレは、別にいいよ」
「どうにかしたいと思わないのですか?」
「胴は首から下だからね」
「そうですね。どうにもなりません」
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2009年01月09日

まさか! の朝の食卓

2009/1/9

「まさか! の朝の食卓」  

「Aさんは人生には上り坂下り坂、それに『まさか』がある。
と、よく言ってましたね」
「そして、あの素晴らしいシャンソン・リサイタル!」

「私も、その『まさか』なんですよ!」
「ほう、嬉しそうだな」
「道新『朝の食卓』に書かせてもらいました」
「まさか?」

退職後の人生は、予想外に楽しくエキサイティングだ。 新しい出会いが毎日あるような気がする。 

今年は北海道新聞のコラム、「朝の食卓」の執筆を頼まれた。 私にとっては驚きである。もちろん、初めての経験だ。

先日の道新「読者の声」にこう書いてあった。「定年までが人生のリハーサルとすると、その後の時間こそが本番で、人生の収穫期に当たる」。 まさにその通りと思っている。

私にとって、定年後の人生こそ本番のような気がする。振り返ってみれば、それまでの人生は、あまりにも受動的だった。

仕事に誇りをもっていたし、喜びを感じることもあった。 しかし、私にとって仕事とは、ひたすら義務を果たすことだった。 

与えられた仕事は神経をすり減らすだけで、創造性のかけらもなかった。 ミスするかも知れないという不安感は、退職するまで消えなかった。

それ故に、「退職してからが本番であり、収穫期である」という考えには素直にうなずけた。 本番の人生は予想をはるかに超えて、楽しくて有意義なものとなった。

世間に通用する経験も知識も無いことが、なんの障害とも感じない。興味を感じたことには、何にでも手が出せるようになった。 

いつの間にか「楽しい気分」が「恥ずかしい気分」に勝ってしまっていた。 何のことはない、子どもに戻ったようなものだ。

今では苦手なカラオケまで楽しんでいる。 「お前みたいな下手なヤツは、歌えと言われても歌うな」と言われたことなど忘れ去ってしまった。

「そんなの関係ねえ」と言う感じで「カラオケクラブ」で歌っている。 

もし、六大学野球には東大が入ってなかったら面白くないかもしれない。この例えは分かり難いかも知れないが、ここまでしか言えない。

楽しめるのは、まわりの人たちの優しさ、温かさのお陰と思う。 たまには、パラパラと拍手までして、励ましてくれるからありがたい。

しかし、これはやり過ぎ。評価無しで歌わしてくれるだけで十分楽しめる。「ここを直せば、もっと良くなる」と言われても直せない状態だ。 

そんなことで叉、新しい発見をしてしまった。
「子どもとシニアは下手でも許される」

子どもの場合はこれからの成長に期待が出来るので当然だが、シニアについては こう考えたらどうだろう。 

励まして元気にして「寝たきり」にさせないのが、社会の為だ。 このように、都合よく解釈して、遠慮なく励ましてもらうことにした。 

ブログに駄文を綴っても一部の心優しき人は面白いと言って励ましてくれる。 感謝!

退職後の人生は、健康と人に恵まれ、日々新しい発見がある。 こんな思いを今朝の「朝の食卓」に書いてみた。

気がつけば、活字となった拙文を見て、うっとりとしている自分が居る。 「まだ小学生」と言いながら、しっかりと「老人力」を身につけている。

用語解説:老人力
赤瀬川原平著 1998年流行語大賞。

加齢による衰えを肯定的に捉える言葉。使用例:
「そんなことを言って、恥ずかしくないのか!」
「老人力がついたんだ」

その他、何でも肯定できる、老人にとって便利な言葉。 
使いすぎに注意! 良薬は劇薬?
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2009年01月03日

だんだんのタンバリン

2009/1/3

「だんだんのタンバリン」  
テレビはほとんど観ないのにNHKの朝のドラマだけは、40年以上観続けている。 不思議なことに、終わった番組にはぜんぜん興味がわかない。 

思い出そうとしても思い出せない、ほとんど忘れてしまっている。 ただひたすら、今、進行しているドラマだけを興味深く観ている。

「だんだん」にでてくる、あのタンバリン兄ちゃんは何だろう。 いつもタンバリンばかりやっている。 普通パーカッションが兼ねたり、ボーカルがやったりしていると思うが、どうなのだろう?

しかし、このドラマに出てくる人で一番私に似ているのが、このタンバリン兄ちゃんである。 だから言い方も、つい、きつくなってしまう。他人事とは思えないのだ。

どこが似ているかというと、「好きだけど、できない」。 この点がそっくりなので嫌になる。 ドラマで自分に似てる人をみるのはホントにつらい。 

その行動は、パッとしないが、気持が分かるのでつらい。 一生懸命やっても、報われないのが分かっているから、観ていてもせつない。

もう、そろそろだろうな。 あのタンバリン兄ちゃんが退場するのは。 と思っていたら年末にそれを予告するような場面があった。 来るべきものが来た感じだ。

なんとか、他の道で幸せになれるといいのだが。 気をもんでいる。
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2008年12月31日

三省(今年の反省)

2008/12/31

「三省(今年の反省)」         
来年も気でしくかけず、 
様のお役に立てれば幸せと思います。

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冬でも、気にジョギングしている姿を、札幌コンサートホール・キタラの中からして撮りました。 外は寒風が吹いていますが、ホールの中は暖房がしてあります。

ジョギングも只、キタラもホールまでなら只、ここまで歩いて来たのでおはかかっていません。

nakapaの三省

元気に欠けるなかりしか?
まわりの方々にも恵まれ、気分的には極めて元気に過ごしました。 しかし、2月には過労で3週間ばかり入院してしまいました。原因ははしゃぎすぎです。 これを反省し、大人しくします。

楽に亘るなかりしか?
ほぼ99%の「楽」と1%の「汗」でした。深く反省します。 
入院したことを大袈裟に考え、振り子が「楽」の方に大きく振れすぎてしまいました。来年の目標は20%の汗としたいと思います。

お金に憾みなかりしか?
何年ぶりか忘れましたが、東北旅行に行ってしまいました。とても楽しかったけれど、これも反省。なぜなら、QPと旅行したのは13年前の沖縄旅行が最後でした。

毎年、「行こう行こう」と、矢の催促ですが、「はいはい」と言いながら行ったことがありません。

この件についてはQPにも反省してほしいと思います。 一緒に旅行すると、その間、私の自由がなくなってしまうのです。 

「左に行こう」というと、「行かない」と言い、無視して左に行くと、そのまま立ち止まっているのだから、どうしようもありません。

仕方なくQPの後をついて歩くことになります。これでは楽しくありません。 

反省するつもりが、QPを反省させる話になってしまい申し訳ありません。 これも今年の反省に追加します。

そうです。「金かけず」の反省でした。 まあ、少しくらい使ってもいいじゃあないですか。 

反省って難しいですね。 書いている内に息切れがしてくるのです。 来年こそ、しっかりと反省できる人になりたいと思います。

大反省
「人様のお役に」を忘れていました。何か役立ったことをしたような気がします。多分? 自信はありません。 

みなさん、よいお年をお迎え下さい。

ドクタークラブ五省(「ドクタークラブ便り」より抜粋)
姿勢に歪みなかりしか
言語にもつれなかりしか
記憶に欠くるなかりしか
監督に恨みなかりしか
不精の出腹なかりしか

参考 海軍五省
至誠に悖(もと)るなかりしか
言行に恥じるなかりしか 
気力に欠くるなかりしか 
努力に憾(うら)みなかりしか
無精に亘(わた)るなかりしか    
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