2009年03月14日

朝の食卓の筈だったが

2009/3/14

「朝の食卓の筈だったが」  
 今日は2回目の「朝の食卓」です。 私が書いたエッセイが北海道新聞のコラム「朝の食卓」に載る日です。 
 と、思って早々と新聞を取りに行って、開いてみると「出ていない」。ガッカリです。 その内のるかも、あるいは早くもクビかもしれません。

 しかし、書いてしまいました。ご丁寧に「補足」をです。 なにぶん550字では、書ききれません。 それで補足を用意したのです。 本文と同時掲載のつもりでしたが、補足だけになりました。 かなりマヌケな話ですね。

 私は、他人のことでも、自分のことでも、このマヌケな感じが好きです。 ですから、映画で一番好きなのは「男はつらいよ」です。 やってる寅さんは大真面目なのに、はたから見ると大マヌケ。こんな感じが好きです。 

 一般にマスコミで活躍するような識者と言われる人たちは、趣味やスポーツに長けています。見てくれもよく、人気者でもあります。 一方、疲れた感じの定年退職者はどうでしょう。 その反対ですね。
 
 識者と言われる人でも、その発言は自分の経験に基づいていることが、多々あります。 彼らにとって人の輪に入ることなど、朝飯前です。 ですから、輪に入らない人は、その意思がないものと思い込んでるようです。「人の輪に入りなさい」とか、極めて難しいことを簡単に言うのは、そのせだと思います。  
 
 私にとっては新しい人間関係を築くことは至難の業でした。 輪に近づいては弾かれる、近づいては弾かれる。これの繰り返しです。 
 例えばこんな具合にです。
「始めまして、よろしく」と挨拶すると、同年輩の小父さんはニコニコして応じてくれます。

「こちらこそ、どうぞよろしく。さっそくですが、山登りの予定があるのですよ。ご一緒しませんか」
「山は、ちょっと…」。 虚弱体質なので登れないのです。
「ゴルフもあるんですよ」
「すみません。できないのです」
「それでは挨拶代わりに、指しますか?」と、将棋の手つき。

 囲碁将棋、麻雀もカラオケもできないことが分かると、小父さんは言葉を失ってしまいます。 文字通り、黙り込んでしまうのです。 もう、こうなるといけません。こちらから話しかけても生返事です。

 しかし、同年輩でも女性はちょっと違います。「…ひとつくらい出来ることあるでしょう」とズケズケ言います。「パソコンを少々…」と小さな声で答えると「ホームページ作ろう!」と、話が一挙にジャンプしてしまいます。

 初めてのホームページ作成が、キッカケになり、その後「中島パフェ」を開設し、それから、6年もたち、その間に多くの出会いがありました。 
 一つの出会いから、趣味を生かしてホームページ作成が始まり、趣味のホームページから多くの出会いが生まれました。 

 北海道新聞「朝の食卓」との出会いも、その一つです。 これが私にとって一番大きな出会いとなりました。 「中島パフェ」及び、このブログへの訪問者のお陰です。 心から感謝しています。 

 以上、「本文なしの補足」でした。 「この出会い」は早くもお別れになるかも知れないし、運が好ければ続くかもしれません。 いずれにしろ、皆様への感謝の気持ちは変わりません。 これに懲りずよろしくお願いします。

 お騒がせしてすみません。15日に載っていました。「お別れの挨拶まがい」のことを書いた、翌日なのに申し訳ないです。
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2009年03月10日

大人は子供が見る幻

2009/3/10

「大人は子供が見る幻」         
大人とは何か? 1940年生まれの私にも分からない。 第一、自分が大人になった意識がないのだから困る。 しかし、若いお母さんから「私、まだ大人になりきれないの」とか言われると「おいおい、しっかりしてくれなきゃ困るよ。お母さんなんだから」と言いたくなる。

そう思っている私は、当のお母さんの父親より年上だ。 それなのに大人になりきれない。 もし「大人なのだからしっかりせい!」と、言われたら戸惑うだろう。 迷ったら、先ずネットに相談だ。何とか答えれくれるだろう。 

「Hatena::Question」を覗いてみたら、いろいろな意見が出ていた。
・廻りからとやかく言われなくなったら大人。
・身体的に大人、法律的に大人、社会的に大人等、定義。
・思慮分別があり、社会的な責任を負えること。
・真の定義は存在しない。されど尺度は存在する、その他。
 ↑
「けっきょく、分からない」ということかな。
「年をとっていても人間として成熟していなければ大人とは呼べない」というのもあった。 これなら分かる。私にピッタリだ。
考えてみれば子供のときは、こんな問題で悩まなかった。 答えは明快。大人は頼りになる。 そして自分も大きくなったら大人になれる。 大人は怖い。これも一方の事実として感じている。 

ようするに、子どもにしてみれば、疑問の余地もなく、大人ははっきり見えるのだ。 しかし、子ども達から大人と断定されている私からは、大人は見えない。 なぜだろう?

大人とは子のみ見られる幻か
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2009年03月06日

何々は何々に似ている

2009/3/6

「何々は何々に似ている」  
「先ず、『何々は何々に似ている』と書いて、続けて理由も書いてください」と、文章教室の先生から問題を与えられました。

宿題ならいいのですが、「今、ここでやりなさい」と言われても焦せるばかりです。 一瞬、頭の回転が止まりました。 一生懸命、最近の出来事を思い出そうとしました。
 
最初に思い出したのは、温かい雰囲気の「カラオケクラブ」のことです。 歌っても、叱られないし、嫌な顔もされません。 それどころか、拍手をしたりして励ましてくれます。
 
昔のことを思い起こせば、在職中は違います。 「お前のような下手なヤツは歌えと言われても歌うな」と、叱られました。 それ以来カラオケは止めました。

あれから28年たちましたが、練習して上手くなったわけではありません。 あんなこと言われたらカラオケなんかやる気しませんからね。 ただ、年をとっただけです。 

理由は分かりませんが、歌っても叱られないのだと、ホッとしました。 そこで連想したのが、私と幼児との共通点です。 「幼児も老人も歌が下手でも叱られないな」と思い。更に次のように連想しました。

老人は幼児に似ている。→ 働かなくても叱られない。
現在の社会情勢を考えると、不謹慎で申し訳ありません。

次に、先日行った葬式を思い出しました。 そして、「結婚は人生の墓場」という言葉が思い浮かびました。 これは外国の詩人の言葉の誤訳ではないかと言われています。
 
「墓場のある教会で、身体を清めてから結婚しなさい」→
「恋愛は人生の墓場」→ 「結婚は人生の墓場」
本来の意味からだんだん遠のいて行ってしまったようです。
結婚は葬式に似ている。→ ともに墓場に行く。

結婚から「夫婦」を連想しました。 終わりに至るまでは誤解や煩悶もあるかと思いますが、「終わり」そのものは一瞬ですね。
夫婦は人生に似ている。→ 
長かろうと、短かろうと、終わるときは一瞬。
 

急に考えろと言われたら、こんなことしか思いつきません。 なんで楽しいことがポンポン出てこないのでしょうか。

黙って座っていれば、真面目な人。 口を開けば暗い話ばかり。 冗談一つ言えないのです。 やはり、ジョークはゆっくり考えて書くのが楽しいですね。 

ご飯食べるのも歩くのも楽しいけれど、急かされては苦しいですね。 家でゆっくり考えながら書くのが一番いいのです。

「何のために?」
「自己満足です」

というわけで、5回で終了予定の「自己満足の文章講座」は、一回でマスターしたので、お休みです(笑)。 
その代わりに「お雛まつり会」に行きました。 これも生まれて初めてです。 楽しかったですよ。
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2009年03月04日

な〜んちゃって作文

2009/3/4

「な〜んちゃって作文」         
ブログなどでいろいろ書いていますが、文章の勉強はしたことありません。 以前から、初心者用の文章講座があったら、ちょとだけ行ってみたいと思っていました。

そうしたら、「自己満足の文章教室」というのがあったので、さっそく、行ってみました。 2時間×5回で、3000円と、お手軽の1か月コースです。 若い女の先生はやる気満々で気合が入っていましたね。

「違う自分になることが、書くための第一歩」だそうです。 虚弱体質で、ひねくれ者の私にはピッタリですね。 いつも、違う自分になりたいと思っているんですよ。

先生が自己紹介してくれました。 「札幌生まれのロンドン育ち。芥川賞めざして勉強中」だそうです。 そして、最後に「な〜んちゃって」と言いました。 

「皆さんも、自己紹介してください」と先生が言うと、私の頭の中で「違う自分」「な〜んちゃって」とかいう言葉が、クルクル回りだしました。

私も張り切って自己紹介しました。「中島公園から来た、中島しろう です。 山鼻生まれの中島公園育ち。 趣味は野鳥観察と自然観察。 

以前の職業は新聞記者、今はエッセイストです。 記録写真の達人になりたくて、文章の勉強に来ました。 よろしくお願いします」

これはどう考えてもウソですよね。「中島公園育ち」なんか人間じゃあないですよ。 カモですね。 私はカモみたいに空を飛べないし、氷まじりの冷たい川の中で子作りなんてゴメンです。たとえ、若くてもね。 ちなみに、カモの結婚シーズンは冬なんですよ。

9名の自己紹介が終わってみると、先生の言うことを真に受けて、初めから終わりまでウソで通したのは私だけでした。 

皆、先生の指導に反してホントの自己紹介していました。後になって、分かってみれば辛いもんですよ。 本当の自己紹介の機会も失ってしまいました。

自己紹介の終わりに、「な〜んちゃって」と教わったように言ったつもりですが、効果なかったですね。 ニコリともしてくれないのです。

この「な〜んちゃって」ですが、呪文だそうです。 これを最後に付ければ、どんなウソを言っても許されるんだそうですよ。 な〜んちゃって!
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2009年03月02日

私も歴史上の人物に?

2009/3/2

「私も歴史上の人物に?」         
「歴史は勝者によって書かれる」と言われていますが、現在起きていることも勝者によって書き加えられていると思います。 勝者による勝者の為の歴史に、一庶民として割り込んでみたいとは思いませんか?

1000人の内一人の勝者がいれば、残りの999人は、居なかったのと同じことです。 存在するのは勝者だけです。 何年かたてば、それが歴史上の事実として残ります。 そこに割り込めたら痛快ですね。

ヒットラーもムッソリーニも歴史上の人物として残っていますが、映画の悪役のようなものです。 勝者を輝かせるための引き立て役にすぎないのです。 

脇役はちょっとした色づけ。エキストラにいたっては、背景と一緒に残るだけです。 まして、観客などは、初めから存在しなかったのと同じことです。 それでも、なんとかして、歴史作りに割り込むのです。諦めてはいけません。

インターネット社会になって、個人も情報発信できるようになりました。 よい意味でも悪い意味でも、世の中変わるはずです。 これからは、一庶民でも割り込めるのです。

個人で情報発信できるようになったのだから、個人も歴史上に一人分の歴史を残せることになりました。 ゼロとゼロとをいくら足してもゼロですが、1を10億回足せば10億です。 誰もが人類の一人として、歴史作りに参加できるのです。

今までだって書いて残せました。 しかし、意味がまるで違います。デジタル化された情報は集計して分析できるのです。 膨大な情報処理システムが続々と構築中です。

これからの世界は、どう変わるのか? 既に古い人間になってしまった私には見当もつきません。 しかし、一人分の情報を残すことができます。 

ゼロと「1」との間にある差は膨大です。 私が死んでも、歴史上に痕跡を残すことになりました。 それを利用するか、しないかは未来の人の考え次第です。 

私が子どもの頃はSFでも想像できなかったことが、現在進行していると思うと、今そのときに生きていることが、夢を見ているような気がします。

知識もないのに、思うがままに書いてみました。 たわごとを最後まで読んでくれて有難うございました。 
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2009年02月26日

お知らせ

2009/2/26

「お知らせ」  
いつも、ブログを読んで頂き有難うございます。
 
今年から記事投稿を2日に1回にしています。今日は投稿の日ですが、この記事をもって投稿に替えさせて頂きます。

先日、私が所属するNPO法人の理事長が急逝されました。突然のことで吃驚しています。 前日まで元気でいらしたのですから信じ難いことです。ご冥福を祈ります。

投稿しようとしていた記事は、今の雰囲気に合わないので、後日投稿します。

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2009年02月22日

食事の為の四つの呪文

2009/2/22

「食事の為の四つの呪文」  
所用で宮の沢方面に行った。 昼食時なので何か食べようと思い、通りがかりの店を覗いてみたが、入る気がしなかった。 地下鉄駅直結のスーパーでサンドイッチと牛乳を買い、休憩コーナーのテーブルに座った。

食べていると、ちょっと離れた場所にオバサンが座った。 昼食時なので少し混みだした。 「つめていい」と聞くので、「どうぞ」と答えた。

「近頃の人は冷たくて、話しかけても知らん振りするのよ」
こう言われたら、知らん振りは出来ない。
「そうですか。一人で食べるより二人で食べた方が美味しいのにね」

これは私の決まり文句。自然に口から出て来るのだ。 他にもある。 「いただきます」「これ美味しいですね」「ご馳走様」。 これらに「二人で美味しい」を足し、4点セットにして、いつも使っている。

何の為に? 言うまでもなく、美味しく楽しくご飯を食べるためだ。 この四つの呪文を唱えれば、ご飯は自動的に出て来るし、食器は自動的に奇麗になり、食器棚に収められる。

オバサンは買物の帰りで大きなレジ袋を二つもっていた。その中からパンなどを出して食べていた。
「このミカン小さいけど美味しいんだよ」と言って、買ったばかりのミカンを袋からだしてくれた。

「美味しいですね。頂きます」と言って食べた。、しばらくすると、もう一つミカンを勧められた。 「ご馳走様。 サンドイッチ食べませんか」といって勧めたが、「ダイエット中だから」と言って口にしなかった。

いくらサンドイッチを勧めても食べないのだが、こんどはバナナをくれた。 結構ですと断っても、強く勧めるので食べた。 オバサンが言うとおり甘くて美味しかった。

個人情報公開主義?のオバサンから、年齢、住居、病歴、家族構成、職業など沢山の情報を提供されてしまったが、私には使い道がない。

しかし、四つの呪文は家の中でしか効力を発揮できないと思っていたのに、外でも効いてしまった。 「二人で美味しい」「美味しいですね」「頂きます」「ご馳走様」のことである。

ひと言ごとに、ミカンやバナナが目の前に出てきた。 食べ終わると、ミカンやバナナなどの皮だけでなく、私が買った牛乳パックやサンドイッチの入れ物まで、オバサンの手で自動的に片付けられた。 呪文は外でも効くことが分かった。
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2009年02月20日

薄毛イジメで賠償請求

2009/2/20

「薄毛イジメで賠償請求」         
2月19日付けの北海道新聞朝刊に次の見出しがありました。 「薄毛でいじめ 賠償請求」。 職場のいじめが原因で休職に追い込まれたとして、国と当時の同僚ら3人が約2,300万円の損害賠償を要求されました。

そうですか。裁判という手があったのですね。 私もいじめられた経験があります。訴えてみようかな。 でも民事事件じゃあ、つまらないですね。 「いくらくれる」とか、訳の分からない裁判はイヤですよ。

警察に捕まえてもらいましょう。 刑事事件なら極刑もあるし、一罰百戒、効果てきめんでしょう。 これで「薄毛いじめ」はなくなり、関係者も楽しい人生が送れるのです。

「日本は法治国家、罪刑法定主義だぞ」とか、固いことは言わないで下さい。 薄毛の人が幸せになればそれでいいのです。

先ず、私と一緒にランチを食べながら、薄毛を話題にして笑い転げたA,B,C,Dさんは、懲役1年にしましょう。 

刑務所で作業などしてもらっても、なんも有難くありません。 中島公園の彫刻を奇麗に洗ってもらいます。

山内壮夫の「母と子の像」の頭をピカピカに磨いたら、気持いいですよ。 それで思い出したのですが、 私の頭をなぜ回したEさんは懲役30年がいいですね。

軽すぎるかもしれませんが、いつも明るく楽しくハゲましてくれるので情状酌量しました。 極刑を避けた温情判決のつもりです。 

「アンタ、何様のつもりよ。 裁判官?」
「QPなんか無期懲役ですよ。今年で42年目のお勤めです」
「結婚42年ということね。アンタの家は牢屋?」
「真面目に勤めたので、そろそろカリシャク(仮釈放)です」

「カリシャク? アンタ何様のつもり!」
「あるときは警察官、あるときは裁判官そして、今は看守をやっています。家の中でですが」
「なるほど、アンタが大将。アンタは家の独裁者」

「見直しましたか」
「残念でした。ここはアンタの家じゃないからね」
「そうですね。 任意〈同行)でお茶でもいかがですか?」
「ゴメンね。薄いの嫌いなの」
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2009年02月16日

冗談言えず書いてます

2009/2/16

「冗談言えず書いてます」       
退職してもうじき8年になります。 5年くらいたったとき、ようやく自分が何が好きか分かるようになりました。 文章を書くことが好きであることを発見したのです。

あれほど嫌いだったのに、不思議なことがあるものです。 書くのが好きになってしまいました。 退職したら「もう書かなくていいんだ」と思い、ホッとしていたはずなのに…。 

ほとんど現場の仕事で、いい年になってから文章を書かなければならない立場になりました。 他のセクションの人なら、若い内にマスターしていることです。 

教えてくれる人など誰もいません。 書いた結果について文句を言われるだけです。 よく「たたき台」といいますが、徹底的にたたかれました。

ハンコをもらうときも、そうですが、一番厳しいのは会議のときです。 よってたかって、まさに袋叩きです。 これで文章を書くの好きになったらおかしいですね。

ところが不思議なんですよ。 退職して1年くらいたったら、無性に、もの足りなさを感じるようになったのです。 原因は分からないのですが、退職前と違うことが一つあることに気が付きました。

1年間、文章をぜんぜん書いていないのです。 嫌なことから解放されたのですから、喜んでいいはずなのに不思議ですね。 人間の心は難しいです。 自分のことさえ分からないのです。 

自分のことを「おとなしい、控えめな人」と思っていました。 ところが、これが大間違い。 「自己顕示欲の塊みたいな人」と気がついて、ガッカリしました。 私が一番嫌いなタイプです。

おとなしいと言うよりも小心者。控えめと言うよりも、単に発言する機会がなかっただけです。 誰もがホームページやブログで情報発信できるようになると、さっそくネットを使って、しゃべり始めました。

そして、約2年前に駄文を書いたとき、私の所属する札幌シニアネットのML(約600人が参加しているメーリングリスト)で発表しました。 あつかましい限りですが、私の書いたものを読んで笑ってほしかったのです。

私はジョークを言いたくても言えないノロマ人間です。 話すテンポについて行けないのです。 やっと思いついても話題の方が先に進んでしまいます。

それで、ネットでジョークを書くことにしました。 多くはありませんが、「面白かったよ。笑っちゃった」とか言って、励ましてくれる方もいます。 それが活力になって、次を書く気がわいてきます。 

書くことを繰り返しているうちに、たまにはジョークのひとつも言えるようになりました。 「暗い人」のイメージから脱却しつつあります。 皆様のお陰と感謝しています。
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2009年02月14日

僕が女性専用車両に?

2009/2/14

「僕が女性専用車両に?」       
ーテンの「寅さん」が羨ましい。 
「それを言っちゃあオシマイよ!」とか、いつも同じセリフで済ませている。 私も、まねをしたくなった。 

と言う訳で、2年前に書いたときと同じセリフで、締めさせてもらうことにした。 読んだ人も少ないと思うし、覚えている人
などゼロかもしれない。

る朝、いつもより早いQPのお出かけを知って、あわてて
PCのキーボードから手を離し、見送りに出た。

「出かけるには、まだ早いじゃないですか」 
「今、行けば女性専用車に間に合うのよ」
”貴女なら一般車両でも十分安全ですよ”
と言いたいのは、やまやまだが、腹の中に飲み込んだ。

「いってらっしゃい。おかゆ作って待っていますからね」
私が作れる唯一の料理;おかゆを、最近はQPも食べてくれるようになった。
 
「お帰りなさい。おかゆできてますよ」
「ビックリしたわ。女性専用車に男が乗っているんだから」
「男? 誰も注意しないのですか」
「両側が若い女の人で、真ん中が男。目をつぶっているんだけど、ときどき開けるのよ〜」
「若い人ですか?」
「そう」

い人と聞いて腹が立ってきた。 それには訳がある。 
先日、二人でで外出したときJR札幌駅でトイレに寄った。 
QPが右側に入ったので私は左側に入った。 

あるべきものが見つからないのでないのでウロウロしていると、掃除のオバサンに怒鳴られた。
「あんた!ここで何してんのん」 
”アサガオを探しているのに決まっているでしょ”
これも腹の中で言っただけ。 オバサンの迫力に押されて声も出なかった。 

アサガオとは男性用衛生陶器のこと。 こうして、憤懣は腹の中にどんどん溜まって行く。 もし、私が若くてハンサムなら、オバサンの態度は違っていたかもしれない。

人の苦労も知らないで、QPは悠々と紳士用トイレから出てきた。 「あんた、違ってるよ」と、すれ違いざまに言い残して、女子トイレへ向った。 

悪いのはQPなのに何で私ばかりが、しかられるのだろう。 だから、女性専用車両だって、私が乗れば大騒ぎになるに決まっている。 何で若い男を優遇して、黙って寝かせておくのだ。

「注意しなきゃあダメでしょう!」
「車掌が注意すればいいじゃない」
「いたんですか?」
「いないよ」
「私だったら、つまみ出されるケースですよ」
「そんなことないよ。 すぐ、ひがむんだから」

「じゃあ、実験しましょう。私が女性専用車両に乗りますから、見ててください」
「嫌だよ。バカバカしい」
「これは差別です。 断じて許してはならないのです

「あんた、すぐ、老人席にすわるでしょ」
「はぁ?」
「老人席だの、女性専用だの、二つも三つも欲張らないでよ!」
「三つじゃないですよ」
二つも三つも一緒よ! 四の五の言うな、六でなし!

と、言われたような気がしたが、空耳だろうか。
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