2008/5/14
「2008写真道展」に行ってきた。札幌シニアネットの方々が撮った作品もたくさん展示されていた。 確認したいことがあったので受付に行く。
「展示されている作品は、この写真集に全部載っていますか?」
「一つ残らず載っていますよ」
「そうですか。1冊ください」
「出展されているのですか?」
近くにある写真を指差して「はい、あそこにあるでしょ…」。
そこには第一部一席に選ばれた作品「遠くに見えるもの…」が展示されていた。
「あれですか?……あれは…」
それは私の所属するシニアネットの方の作品である。わが事のように喜んでいたので、つい「あそこにあるでしょ…」といってしまったのだ。
「いえ、違います」。少々うろたえて出た言葉が「友人の友人の作品でして…」。

友人の友人の作品は、一席文部科学大臣賞に輝いた。
この言葉とても便利ですね。「私の友人の友人がアルカイダでして…」と、発言した鳩山法相に感謝。
この表現がないと難しいことがたくさんある。組織内の話をしても説明にならない。聞いている人も困るだろう。
結局、あいまいな「友人の友人」という言葉が、よそ様にとっては一番分かり易いのではないか。 使う方にとってもこんな便利な言葉はない。
例えば、
「友人の友人が医者でして」
「いい先生を紹介してくれないか?」
「友人に頼んでみましょう。 友人が友人の友人に頼んでくれるでしょう」。限りなくあいまいなこと、許されている。
「展示されている作品は、この写真集に全部載っていますか?」
「一つ残らず載っていますよ」
「そうですか。1冊ください」
「出展されているのですか?」
近くにある写真を指差して「はい、あそこにあるでしょ…」。
そこには第一部一席に選ばれた作品「遠くに見えるもの…」が展示されていた。
「あれですか?……あれは…」
それは私の所属するシニアネットの方の作品である。わが事のように喜んでいたので、つい「あそこにあるでしょ…」といってしまったのだ。
「いえ、違います」。少々うろたえて出た言葉が「友人の友人の作品でして…」。

友人の友人の作品は、一席文部科学大臣賞に輝いた。
この言葉とても便利ですね。「私の友人の友人がアルカイダでして…」と、発言した鳩山法相に感謝。
この表現がないと難しいことがたくさんある。組織内の話をしても説明にならない。聞いている人も困るだろう。
結局、あいまいな「友人の友人」という言葉が、よそ様にとっては一番分かり易いのではないか。 使う方にとってもこんな便利な言葉はない。
例えば、
「友人の友人が医者でして」
「いい先生を紹介してくれないか?」
「友人に頼んでみましょう。 友人が友人の友人に頼んでくれるでしょう」。限りなくあいまいなこと、許されている。