2014年12月14日

「香の広場」と彫刻

2014年12月14日 「香の広場」と彫刻
現在「香の広場」と呼ばれている中島公園ほぼ中央の芝生の広場はいろいろな使い方をされて来た。例えば明治時代は競馬場馬場の一部、大正7年の開道50年博覧会には多くのパビリオンが建った。1958(昭和33)年の北海道大博覧会以降は百花園が整備され一つの形になった。しかしそれも、平成の再整備で廃園となる。なんの変哲も無い広場だが歴史的なものを含めて説明したいと思う。
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香の広場
百花園の跡地は緑のオープンスペースとなったが、百花園時代の彫刻(山内壮夫作品)は場所を変えて残されている。

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笛を吹く少女
1959年設置の山内壮夫作品。元々藻岩山を眺める様に立っていたので、百花園時代と、ほぼ同じ向き、だいたい同じ場所に立っていると思う。バラの花に囲まれた「笛を吹く少女」は美しい。私の大好きな像だが、設置されて半世紀もたってしまった。コンクリート彫刻の寿命は人間と同じくらいなので、維持保全が当面の課題となっている。後述する3体の彫刻も同じ様な状態にある。

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母と子の像
1959年設置の山内壮夫作品。ただし、1961年の設置という説もある。
2007年6月、この像は転がされたり、目を花火で焼かれたりする悪質な悪戯に遭った。この事件をきっかけに、野外彫刻清掃をボランティアが定期的に行うことになった。主催は札幌彫刻美術館友の会。

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猫とハーモニカ
1961年設置の山内壮夫作品。猫にしては人間っぽいのは、損傷した耳のせいだと思っていた。しかし、ギリシャ神話の牧神という説が有力である。牧神パーンとパンフルートではないかと言われている。

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鶴の舞
1961年設置の山内壮夫作品。猫とハーモニカ」の隣にある彫刻だが、比べてみると色が白っぽい。 高さ190cmの白コンクリート製。単純に鶴に似ていないと思っていた。実は「鶴の舞」というアイヌの踊り。着物を両手をいっぱいに広げて踊る姿から来ているようだ。

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地下鉄送水口
1971(昭和46)年、1972年に開催された第11回冬季オリンピック開催1年前に地下鉄南北線開業。「地下鉄送水口(消防隊専用)」と書いてある。つまり、この下には地下鉄が走っている事を意味している。中島公園駅から幌平橋駅までを直線で結べば、途中に菖蒲池や香の広場がある。

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日時計
2008(平成20)年6月10日、洞爺湖で開かれたサミットを記念して、民間の時計会社より寄贈された。

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レナード・バーンスタイン像
2014年07月12日、第25回国際教育音楽祭パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)の開催にあたり、PMF創設者レナード・バーンスタインの立像が札幌コンサートホール・キタラ近くに設置された。香の広場の西隣にレナード・バーンスタイン・プレイスが設定され、そこに建っている。
タグ:彫刻友の会
posted by nakapa at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 広場
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