2008年07月24日

平和と民主主義はどこへ

2008/7/24

「平和と民主主義はどこへ」         
今まで読んだ本の中で一番印象に残った部分の抜粋。
(昭和二十年四月)
出撃気配ノ濃密化トトモニ、青年士官ニ充満セル煩悶、苦悩ハ、夥シキ論争ヲ惹キ起サズンバヤマズ

艦隊敗残ノ状スデニ蔽ヒ難ク、決定的敗北ハ単ナル時間ノ問題ナリ 何ノ故ノ敗戦ゾ 如何ナレバ日本ハ敗ルルカ


「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ、 日本ハ進歩トイフコトヲ軽ンジ過ギタ 

私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダハツテ、本當ノ進歩ヲ忘レテヰタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ
 
今目覚メズシテ イツ救ハレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサ二本望ヂヤナイカ」

 
彼、臼淵大尉ノ持論ニシテ、マタ連日「ガンルーム」二沸騰セル死生談義ノ一応ノ結論ナリ 敢ヘテコレ二反駁ヲ加へ得ル者ナシ
(「戦艦大和ノ最後」吉田満) 

著者によると、「臼淵大尉は三島由紀夫と似た都会育ちの俊才で、生来多分の稚気と洒落っ気を備え、芸術好き、哲学好きの香気を身に着けた兵学校出身の青年」。 

妹への手紙で「一人の女性を60歳70歳まで愛するのが本当の愛だ」と語った臼淵大尉は、21歳の若さで戦艦大和の副砲分隊長として戦死した。

この本が書かれたのは私が小学生のころ。当時は好戦的だと批判を受けた。 比べてみれば今は滅茶苦茶に好戦的な世の中だ。 平和ボケと言ってもいい。あまり深く考えなくなったと思う。

政治家が戦争の出来る「普通の国」になりたいと堂々という。敗れて目覚め平和国家にはなったが、長続きはしなかった。 戦争の悲惨さも理不尽も徐々に薄れて行ってしまった。

政治家が平和と福祉を口にしなくなって久しい。個人にとって最も大切な「命の保障」が選挙で票にならないのだから不思議だ。 

軍備で命が守れないことは歴史が証明している。 一方、軍備抜きで平和を守れる保証もない。 大いに議論されるべきことが、ほとんど議論されずに、既成事実だけを積み上げて行く。

こんなことでいいのだろうか。「平和と民主主義、自由と平等」が大切と教えられ、そう信じて来た私は、いつのまにか時代の変化について行けない古い人間になってしまった。
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/106413477

この記事へのトラックバック