2009年01月09日

まさか! の朝の食卓

2009/1/9

「まさか! の朝の食卓」  

「Aさんは人生には上り坂下り坂、それに『まさか』がある。
と、よく言ってましたね」
「そして、あの素晴らしいシャンソン・リサイタル!」

「私も、その『まさか』なんですよ!」
「ほう、嬉しそうだな」
「道新『朝の食卓』に書かせてもらいました」
「まさか?」

退職後の人生は、予想外に楽しくエキサイティングだ。 新しい出会いが毎日あるような気がする。 

今年は北海道新聞のコラム、「朝の食卓」の執筆を頼まれた。 私にとっては驚きである。もちろん、初めての経験だ。

先日の道新「読者の声」にこう書いてあった。「定年までが人生のリハーサルとすると、その後の時間こそが本番で、人生の収穫期に当たる」。 まさにその通りと思っている。

私にとって、定年後の人生こそ本番のような気がする。振り返ってみれば、それまでの人生は、あまりにも受動的だった。

仕事に誇りをもっていたし、喜びを感じることもあった。 しかし、私にとって仕事とは、ひたすら義務を果たすことだった。 

与えられた仕事は神経をすり減らすだけで、創造性のかけらもなかった。 ミスするかも知れないという不安感は、退職するまで消えなかった。

それ故に、「退職してからが本番であり、収穫期である」という考えには素直にうなずけた。 本番の人生は予想をはるかに超えて、楽しくて有意義なものとなった。

世間に通用する経験も知識も無いことが、なんの障害とも感じない。興味を感じたことには、何にでも手が出せるようになった。 

いつの間にか「楽しい気分」が「恥ずかしい気分」に勝ってしまっていた。 何のことはない、子どもに戻ったようなものだ。

今では苦手なカラオケまで楽しんでいる。 「お前みたいな下手なヤツは、歌えと言われても歌うな」と言われたことなど忘れ去ってしまった。

「そんなの関係ねえ」と言う感じで「カラオケクラブ」で歌っている。 

もし、六大学野球には東大が入ってなかったら面白くないかもしれない。この例えは分かり難いかも知れないが、ここまでしか言えない。

楽しめるのは、まわりの人たちの優しさ、温かさのお陰と思う。 たまには、パラパラと拍手までして、励ましてくれるからありがたい。

しかし、これはやり過ぎ。評価無しで歌わしてくれるだけで十分楽しめる。「ここを直せば、もっと良くなる」と言われても直せない状態だ。 

そんなことで叉、新しい発見をしてしまった。
「子どもとシニアは下手でも許される」

子どもの場合はこれからの成長に期待が出来るので当然だが、シニアについては こう考えたらどうだろう。 

励まして元気にして「寝たきり」にさせないのが、社会の為だ。 このように、都合よく解釈して、遠慮なく励ましてもらうことにした。 

ブログに駄文を綴っても一部の心優しき人は面白いと言って励ましてくれる。 感謝!

退職後の人生は、健康と人に恵まれ、日々新しい発見がある。 こんな思いを今朝の「朝の食卓」に書いてみた。

気がつけば、活字となった拙文を見て、うっとりとしている自分が居る。 「まだ小学生」と言いながら、しっかりと「老人力」を身につけている。

用語解説:老人力
赤瀬川原平著 1998年流行語大賞。

加齢による衰えを肯定的に捉える言葉。使用例:
「そんなことを言って、恥ずかしくないのか!」
「老人力がついたんだ」

その他、何でも肯定できる、老人にとって便利な言葉。 
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posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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