2017年07月09日

第30回中央区鴨々川清掃運動

2017年7月9日 第30回中央区鴨々川清掃運動
河川は心のふるさと、みんなの力で自然環境を守りそだてよう!
との合言葉で毎年、初夏、秋に2回行われている。9時30分開会式(9条広場)9時50分から中島公園、および豊水すすきのを流れる鴨々川の清掃を行う。又、中島公園内の彫刻「森の歌」と「木下成太郎像」の清掃も行われている。11時に閉会式を行い終了する。

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炎天下の中、予定通り11時ごろ閉会式をして解散した。

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開会式、作業説明、ラジオ体操、閉会式は児童会館前(9条広場)で行われた。今回は清掃等をした場所について簡単な説明を加えてみた。「 」内は公園緑化協会中島公園管理事務所作成の『中島公園三十三選』リーフレットからの引用。これをもって説明に代えさせて頂くことにした。

「戦後まもなく、公園内には進駐軍のカマボコ兵舎ができたが、その後移転したため、その兵舎の払い下げを受け、1949(S24)年に中島児童会館を開設している。諸説あるがわが国で最も古くから活動している児童会館として、たくさんの子供たちがこの空間で育っていった」。

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この橋は水天宮参道入口。画像の左側が児童会館。橋を渡れば水天宮。

水天宮は「1879(M12)年頃、旧久留米藩士水野源四郎が、故郷久留米の水天宮の御分霊を札幌に勧請したが、市内を転々とし、ようやく1889(M22)年に現在地に社殿を建立した。向かって右の祠が稲荷大明神、左が白峯大明神となっている」。

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清掃したばかりで川も岸辺も綺麗になっている。左側の小さな流れは菖蒲池から児童会館の床下を通り、ここで鴨々川本流と合流している。

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そして中島公園を出て薄野方面を流れて行く。左岸に水天宮の看板が見える。

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閉会式も終わり帰る人、清掃した「森の歌」の前で記念写真を撮る人。お疲れ様でした。

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清掃して綺麗になった「森の歌」。「山内壮夫の代表作の一つで1959(S34)年に北海道大博覧会を記念して造られたものである。もともと中央広場の噴水の中にあり、当時は白亜の白セメント製の彫刻であった。公園再整備に合わせ、ブロンズ像に改鋳され、1997(H9)年に現在地に移設されたものである」。

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木下成太郎像も綺麗に清掃されていた。今までは清掃している作業風景を撮っていたが、こうしてみると作業終了後に撮るのも悪くないと思った。川も彫刻も塵一つなく綺麗になっている。「木下成太郎は但馬の国豊岡の出身で父弥八郎と来道して開拓にあたり、のちに衆議院議員として国政でも活躍している。大東文化大学や武蔵野美術大学などを創設した教育者としても知られ、1941(S16)年に建てられた彫像は、朝倉文夫の作で、供出も免れて現在に至っている」。

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ゴミの無い川を見ていると本当に清々しい。皆さんも川辺を楽しんでいるように見える。事情があって遅れてしまったのだが、綺麗な川ばかりを撮るのも楽しいものだ。ここは行啓通に架かる南14条橋の下流にあたる場所。毎朝ラジオ体操が行わている。

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南14橋の横にはこの公園一の老木(エゾヤナギ)がある。そばで見れば古さが何となく分かる。「中島公園の場所は、もともと豊平川の河川敷であり、ヤナギを中心とした水辺を好む木が生えていたと考えられる。中でもエゾヤナギは護国神社にかけて大木が数本あり、園内一の太い木が、南14条橋のたもとに立っている」。

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白鶴橋の下流。対岸はかっては個人の邸宅だったが今はマンションに代わっている。

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白鶴橋は由緒ある橋。「1887(M20)年に、エドウィン・ダンによって競馬場が設置された時、鴨々川を渡る形で馬場が設置されたため、ここに橋が架けられている。1907(M40)に競馬場が廃止されたが、大正天皇が皇太子時代の1911(M44)年に札幌に行幸された時に、この橋を渡って中島から山鼻に入られている」。

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約一トンのゴミが拾われた。トラックに載せられて何処かへ。さようなら、お疲れ様。
タグ:彫刻友の会
posted by nakapa at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 鴨々川