2016年06月28日
6月28日の中島公園
2016年06月21日
2016年6月19日 豊平館内覧会
2016年6月19日 豊平館内覧会
20日のリニューアル・オープン、21日からの一般公開に先立ち内覧会が開催された。取り急ぎ新豊平館の概略を画像中心に紹介。
内覧会当日、朝の豊平館。岸辺(右下)にマガモが数羽。
新築の付属棟より日本庭園が見える。紅葉の秋はさぞ綺麗だろう。
明治時代の豊平館には付属棟があったが、大正13年背後に公会堂を建てる為に撤去された。豊平館への入口に渡り廊下の一部を再現した。
ムラサキ:行幸・行啓関連資料等、天皇がご使用になられた品を展示。(室の名:その説明文、の順で表示。以下同じ)
シャクヤク:明治天皇行幸の際、侍従長などの部屋として使用。
ウメ:天皇御座所に関する資料を表示するタブレット。
ツバキ:改修前は結婚式場として使われていた室。
広間前のホール。広間を含めこの辺りには花が多く置かれていた。
広間:豊平館で一番大きな室(170u)。建物の構造や室の使われ方などをタブレットで紹介。改修前は結婚披露宴等に使用。
以上で2階の見学は終わり1階に下りる。階段の絨毯がホワホワ。新たに張り替えて建築当時の雰囲気を再現。
会食所:改修前は喫茶だった。秋深まる頃には喫茶等検討中。
ヒメユリ:明治6年から14年の札幌中心部のイメージを再現。画像は中心部に豊平館が建ったころの模型。他に開拓使や時計台の模型もある。
床に道路が描かれ、当時あった場所に開拓使、時計台、豊平館等。
ブドウ:入口に「葡萄」と書いてある。絵も花もある立派な部屋。
フヨウ寝間:「幸せの記録」、豊平館での結婚式の思い出を記録。
プロジェクターで「幸せの記録」を見ることが出来る。豊平館で挙式した方々は多いので知り合いの晴れ姿も見れるかも知れない。
1階のロビー、左側に豊平館への出入口が見える。渡り廊下の向こうが付属棟。改修後大きく変わったのは、土足で入館と有料になったこと。もちろん内容も充実し明治の豊平館に近い姿に戻した部分も多い。
新豊平館の見どころ、変わったところ
開館前日の19日開かれた内覧会で見学したことを取り急ぎ紹介。まだ分からないことばかりで、これからが勉強だ。
豊平館への出入りは裏に建つ付属棟から。この棟の建設は明治時代建築された姿に戻す為、とバリアフリー化の為には必須と思った。
入ると「観覧券をお求めください」と書いてある。個人300円、団体270円。中学生以下無料。窓の外は日本庭園。
車イス用入口は一般入口の反対側にある。近くには鴨々川が流れている。
車イス用駐車場が鴨々川の畔にある。
入口から真っ直ぐ行くとエレベーターがある。左奥はトイレ。これらの設置も付属棟を建てた理由の一つと思う。
エレベーターで2階に行くと渡り廊下がある。これもバリアフリー化の一つ。
屋根を近くで見るとウルトラマリンブルーに塗装していない部分がある。これは明治時代の「水車器械柾葺き」だそうだ。私にはよく分からないが歴史的に重要なことと思うので掲載した。
2階の渡り廊下から豊平館に入ると、ホールに画面にタッチして情報を得る表示装置がある。背後に日本庭園の緑。
ムラサキ室には明治・大正・昭和天皇が宿泊したとき使われた品々等が展示されている。豊平館図面もある。
注目したのは別棟のある建築時の図面。そこにトイレと浴室があった。夜の小便の為に客室に”しゅびん”が用意されていた。毎朝、ボーイが湯と水を客室に運び”しゅびん”を回収したと言う。これは明治時代のホテルでは通常のサービスだそうだ。元々豊平館本館にはトイレもバスも無かったのだ。今回の改修で建築時の姿に近づいた。
シャクヤク室は当時の客室の雰囲気を感じてもらうため、家具・備品に触ってもいいことになっている。体験展示。
格子の中の一枚一枚は違うガラス。
ポールが歪んでいるのは古いガラスのせい。大正時代のガラスらしい。当時の技術では普通のことだったのだろう。
現在のガラスならポールが真っ直ぐに見える。ガラスが平らだからだ。一枚一枚のガラスを見るのも、歴史を感じて面白いかも知れない。
この色はウルトラマリンブルー。「私の記憶とは違う」という人もいるが、これが創建時の色。豊平館は単に建物として使われることもあった。戦時中は旧陸軍北部軍が使い、戦後三越札幌支店が米軍に接収されると、三越が移転して来た。米軍より札幌市に返還されると、札幌市中央公民館と改称したり、幾たびかの変遷を重ねて来た。
ツバキ室は改修前は結婚式場をして使われていた。これからは貸室だが借りた人が挙式の為の全ての用意ができれば結婚式もできる。その為の雰囲気だけは整っている。
ツバキ室の一隅にプロジェクターがあり、上のような映像が用意されている。
ススキとオミナエシと読む。
ススキとオミナエシ室は改修前、トイレとして使用されていた。ここも本来の姿に復元された。
広間は一番大きな部屋。絨毯やカーテンを作り変えて建築当時の雰囲気を再現。又、館内には歴史等を説明するタブレットが設置されている。
広間にはリニューアル・オープンを祝してか沢山の生け花が置かれている。
改修前は喫茶として親しまれていた。
帳場:古のホテル時代は帳場、現在はボランティア活動室。改修前は事務室。
ヒメユリ室全体が札幌中心部のイメージとなっている。室入口の説明文を借用。
床に道路が描かれ昔の表示もある。
フヨウ寝間には改修前、豊平館が結婚式場だった頃の記録がいっぱい残されている。その一部は映像となりプロジェクターで表示できる様になっている。
新豊平館の歴史はこれから始まる。今回書いたことは後に修正することもあり得る。更新を重ねて行く中で情報の信頼性を高めたいと考えている。
このページは「中島パフェ」豊平館 国指定重要文化財 札幌:豊平館内覧会のコピー。
2016年06月20日
2016年06月14日
2016年06月08日
札幌シニアネットが「市電を楽しむツアー」
2016年6月8日札幌シニアネットが「市電を楽しむツアー」
札幌シニアネット(SSN)が車両2台に分乗して「市電を楽しむツアー」を開催。会員60人がループ化した市電に乗って2周のツアーを楽しんだ。
山鼻の「電車事業所前」停留所。貸切電車の前に運行中の一般電車が見える。普通は2両の電車がこんなに接近することはないだろう。ツア一行は30人ずつに分かれて分乗した。こちらは2号車。
市電を楽しむSSN会員。貸切電車の内部は、シートはそのまま利用し、真ん中にテーブルを置いて飲食が出来るようになっている。マイクもある。
SSNは600人の会員を擁するシニア交流団体だが、地域活動等、社会貢献活動にも力を入れている。中島公園関係では春・秋の「クリーン鴨々川清掃運動、」、冬の「ゆきあかりin中島公園」等、1年を通して団体として参加し、イベントに協力している。
SSNの詳細はこちらをクリック! → NPO法人 札幌シニアネット(SSN)
2時間30分の内、15分ずつ2回、電車事業所で休憩した。その時は車庫とか構内を通過するので、普段見れない風景に出会えるのが楽しい。
市電ツアーも楽しいけれど、手足を伸ばすのもいいものだ。休憩。
車両の行き先表示は「貸切」。1ヶ月前に乗ったラジオ「山鼻、あしたもいい天気!」の貸切電車では正面窓下に自分たちのロゴを描いた看板を付けていた。右サイドページの下の方に小画像がある。
外から見るとこんな感じ。やはり普通の電車とは違う。
午後7時30分、貸切電車は車庫に向かって帰って行く。ここは集合・解散場所である「すすきの」停留所。市電はここから曲がって三越方面に向かう。去年12月20日にループ化した時に停留所も新しくなった。
「市電を楽しむツアー」補足
2016年6月8日札幌シニアネットが「市電を楽しむツアー」を行った。補足版。
このイベントの案内人でもある司会者はとても素晴らしかった。ユーモアに富んだ、とても楽しい進行ぶり。今後もいろいろな場面での活躍が期待されることでしょう。
安全運転に徹してくれた貸切電車担当の運転士さん。お疲れ様でした。
電車事業所停留所辺りから休憩のため車庫へ。線路にこんな切替線があるとは気づかなかった。
「楽しい賞品が当たる市電クイズ」、お二人の進行係の歯切れのいいトークとユーモアあふれるセンスで参加の皆様も乗りに乗った。豪華でなくても楽しい賞が素晴らしい。
さて、クイズです。ササラ電車のササラとは何でしょう? 竹製のブラシかな。ともかくこれが車庫に入っていたササラ電車。やっぱり竹だ。
話は変わるが、必ず当ててやるぞ! と勇んで参加したクイズに外れてガッカリした。市電「中島公園通」電停近所の住民として恥ずかしい。
そのクイズとは「この電車は中島公園通停留所に、何時何分何秒に着くかというものだ。山鼻19条あたりで出題されたから、7分くらいかなと思っていたら、赤信号に引っかかってしまった。残念。
これが痛恨の「中島公園通」停留所。市電がループ化した2015年12月20日に撮ったものである。
マグネットでしっかりとテーブルに張り付いている。電車は時には揺れるからコップには半分程度が無難だろう。とにかく有難いツールだ。
市電パーティは3回目だが、やはり弁当が一番食べ易い。実用性を考えた、行き届いた配慮と思う。
全てがこのように子袋の中に入っているので極めて便利。持ち帰るにも、友人に上げるにも、自分で食べるにも。いろいろな部分に細かい配慮がされていた。お陰様で楽しい市電ツアーとなった。感謝。
このページはウェブサイト「中島パフェ:中島公園と札幌市電」からのコピー。
2016年06月07日
中島公園ガイドツアー

中島児童会館:戦後まもなく、公園内には進駐軍のカマボコ兵舎ができたが、その後移転したため、その兵舎の払い下げを受け、1949(S24)年に中島児童会館を開設している。諸説あるがわが国で最も古くから活動している児童会館として、たくさんの子供たちがこの空間で育っていった。

人形劇場こぐま座:大正時代から人形劇や童話会の伝統があったが、1953(S28)年から児童会館で人形劇や腹話術が始められ、日曜子供劇場に発展していった。1976(S51)年、専用の人形劇場を開設し、こぐま座と名付けられて現在に至っている。

「明治時代に開店した『花月(画像)』は、もともと割烹だったが、業態はいろいろ変わり大正時代には博覧会のために最先端の喫茶になった」と老舗和食店「花月」オーナーの岩倉さんは語る。(『Bocket1号』より引用)

本格的な日本庭園をと1961(S36)年から二年をかけて造成。日本庭園の基本的形式である築山林泉回遊式庭園で、道内各地の銘石、京都から取り寄せた12基の石灯籠、アカマツやクロマツなどの庭木など、みどころが多い。手水鉢(ちょうずばち)の水を地中の瓶の中に落として水音を反響させる水琴窟(すいきんくつ)も設けられている。

八窓庵:江戸初期の茶人小堀遠州が江州小室郷の孤篷庵(こほうあん)に作った茶室「舎那院(しゃないん)忘筌」を1919(T8)年に札幌の実業家が移築。その後1987(S62)年に札幌市に寄贈され、現在地に移築されている。札幌に移築時に三分庵を付設し、水屋等を作って利便性を高めている。この建物も国指定の重要文化財である。

国指定重要文化財豊平館は開拓使が1880(明治13)年、洋風ホテルとして北1条西1丁目に建築、翌年8月30日開館。1958(昭和33)年、中島公園内に移築した。2016年6月20日、リニューアル・オープン。昼間は観覧(個人300円)、夜間は貸室となる。付属棟を新に建設。エレベーターを設置し、バリアフリーとなる。

札幌市天文台:キタラから豊平館、日本庭園の一帯は、明治時代に岡田花園があり、園亭を構えて園遊会場としての機能を持っていた。庭園の築山の名残が、現在天文台のある小山で、岡田山の名で親しまれている。天文台は北海道大博覧会のあと、1958(S33)年に建設されている。

彫刻「相響」:美唄出身で、国際的に活躍している彫刻家安田侃(かん)の作品。イタリヤのピエトラサンタから産出される白大理石から掘り出された彫刻で、1997(H9)年に、Kitaraの開設に合わせて設置されている。館内にあるものとセットになっており、三つで一つの作品である。

札幌コンサートホール・キタラは「子供の国」の跡地に、1997(H9)年北海道初の音楽専用ホールとして開館した施設である。特に音響効果がすばらしいとの評価が高く、世界各国の有名演奏家が来演する音楽の殿堂となっている。

レナード・バーンスタイン像は2014年7月12日、キタラ近くの川向こうにある小さな円形広場に設置された。PMF組織委員会は、25回記念事業として立像を制作した。東京藝術大学学長で金属工芸家の宮田亮平氏に制作を依頼した。

エゾヤナギ(公園一の老木):中島公園の場所は、もともと豊平川の河川敷であり、ヤナギを中心とした水辺を好む木が生えていたと考えられる。中でもエゾヤナギは護国神社にかけて大木が数本あり、園内一の太い木が、南14条橋のたもとに立っている。

ケヤキ(公園一の大木):伊藤邸周辺や、偕楽園にあった開拓記念碑を移設した大通公園6丁目などにケヤキの大木が見られ、この木も伊藤組創設者の伊藤亀太郎氏が、弥彦神社創建に際して、郷里の新潟から持ち込んだ苗を植えたものであるという。

札幌は新潟の出身者が多く、新潟にある越後一宮の弥彦(伊夜日子いやひこ)神社の分霊を得て1912(M45)年1月に弥彦神社を創建した。弥彦神社には、天照大神の曾孫(ひまご)天香山命(あめのかぐやまのみこと)を祀っていたが、1986(S61)年には大宰府天満宮からの御分霊を得て増祀している。

文学館:北海道出身の文学者や、北海道にゆかりの深い文学者に関する文学資料を、収集保存すると共に、文学資料の展示、文学散歩、文芸講座、講演会、刊行物の編集、刊行等、種々の事業を展開するために開設されており、1995(H7)年に北海道が設置したものである。

木下成太郎(画像)は但馬の国豊岡の出身で父弥八郎と来道して開拓にあたり、のちに衆議院議員として国政でも活躍している。大東文化大学や武蔵野美術大学などを創設した教育者としても知られ、1941(S16)年に建てられた彫像は、朝倉文夫の作で、供出も免れて現在に至っている。

ハウチワカエデ”舞孔雀”:かって豊水通向こう側にあった料亭「雅叙園」の玄関脇にあった名木。道路の拡幅に合わせて廃業したため、庭木を公園に寄贈した名残の木である。庭木のうち、街路樹ますの位置にあったヨーロッパクロマツは現在も残されている。
中島公園のエゾヤナギ

中島公園の場所は、もともと豊平川の河川敷であり、ヤナギを中心とした水辺を好む木が生えていたと考えられる。中でもエゾヤナギは護国神社にかけて大木が数本あり、園内一の太い木が、南14条橋のたもとに立っている。(中島公園管理事務所「中島公園三十三選」より)
2016年06月06日
中島公園のアメリカヤマボウシ
2016年06月05日
寺町すすきのガイドツアー

午前9時、スタートは札幌パークホテル。画像は木の化石だそうだ。

先ず、鴨々川ノスタルジアのテーマでもある鴨々川へ。

ここは鴨々川の畔に建つ鴨々堂。鴨々川ノスタルジアの拠点。右に行くと旧豊水小学校。

旧豊水小学校の一部は「豊水の庭」として残されている。画像は豊水小学校大典記念文庫。

旧豊水小学校にある札幌市公文書館。一般市民の郷土史相談にも応じてくれる。

札幌第一ホテル前の「会津藩白虎隊士飯沼貞吉ゆかりの地」碑。

鴨々川の終点南6条西1丁目。ここから先(下流)は創成川。

これまでは鴨々川すすきの。これからは寺町すすきの。最初は新善光寺。

ここから先は入ることが出来ないと言われる中央寺。

成田山札幌別院新栄寺、札幌のパワースポット、中も見学できた。素晴らしい!

玉宝禅寺(豊川稲荷札幌別院)、通称「豊川稲荷」と呼ばれる盛り場薄野のもう一つ顔。

貴重な木造建築、東本願寺本堂では説明を受けながら見学することが出来た。東本願寺として一般に知られているが真宗大谷派札幌別院が公式名称。公式サイトに次の記述がある。「我が真宗大谷派(東本願寺)教団は、明治3年(1870)7月、 当時弱冠19歳の現如上人を責任者として、随員百数十名と共に 北海道の開拓、開教に着手いたしました」。
大変興味深い「寺町すすきのガイドツアー」であったが、私の知識不足で知識として身に着けることは出来なかった。中島公園と関係が深い寺町すすきのである。奥は深いと思うが、とりあえずは、各ウェブサイト等、関連資料を読むことから始めたいと思う。そして次のガイドツアー参加の際のの参考にしたいと考えている。