〜2013年10月13日 中島公園見どころ探訪ツアー〜
小雨降る中「中島公園見どころ探訪ツアー」を楽しんできた。
ガイドは歴史にも詳しい緑花計画代表の笠康三郎氏。先ずブログ「青柳庵日記」をご覧ください。
こちらをクリック→
中島公園見どころ探訪ツアー今の中島公園からは想像もつかないことだが競馬場もあったのだ。
中島遊園地と呼ばれていた当時のマップに馬場が描いてある。
中島公園は札幌の歴史をなぞるように変化して来たと改めて認識する。
ここから下は中島公園近所の住民である私の感想など。

9条広場と呼ばれる地下鉄3番口前には山内壮夫の彫刻「森の歌」がある。
画像の真ん中辺りに小さく写っている。探訪ツアーはここからスタート。

ここの石灯籠は京都の老舗石屋でつくられたそうだ。
日本庭園も色づき、図らずも探訪ツアーは秋の紅葉めぐりの様になって来た。

国指定重要文化財「八窓庵」に向かう探訪ツアー御一行。
左側に見える茶室は「三分庵」といい大正時代に付設されたもの。江戸時代の八窓庵は奥にある。

もう一つの重文「豊平館」は現在改修工事中。完工まで2年半かかる。
耐震工事やエレベーター設置工事。完成すれば靴のまま入れるようになるという。有料になるかも知れない。

雨も止み花を愛でる余裕も出てきた。この木で弓を作ったので「真弓」。マユミの名になったそうだ。
触ってみると硬いが柔軟性がある。実が赤く熟すと裂けて一層美しくなる。

以前はシュウメイギクだけだったが徐々に種類が増えた。1本高く伸びているのはシオン。
初めて聞く名なのでネットで調べた。「シオン(紫苑)、キク科シオン属の多年草。
別名は鬼の醜草、十五夜草」。何となく分かったような気がした。

又、雨が降り綺麗な傘が満開だ。
奥に鎮座するのは謎のブロンズ像「木下成太郎像」。
どこが謎かというと、朝倉文夫のブロンズ作品400点の内、台座・基壇と共に残されたのはこの像だけ。
因みに朝倉文夫は東洋のロダンとも称された高名な彫刻家であった。
他の作品は戦争中の金属類回収令で供出させられ、潰されて大砲等の兵器にされた。
なぜ木下成太郎像だけが残ったか?
小説のテーマとしても興味深いものがあると思うのだが、誰か書いてくれないだろうか。
ネタはいっぱいある。戦前の政治家、敗戦、GHQによる銅像の破壊、中島公園にあった北部軍憲兵司令部、
米軍第11空挺師団など多彩だ。
美術品の危機は日米両政府が関与している。
日本政府の金属類回収令、米国の軍国主義銅像破壊、両方の破壊をまぬがれたのは何故?
深まる謎。

菖蒲池は北海道の歴史を背負ってきている。
1919年に開かれた「開道50周年記念北海道博覧会」では重要な役目を果たしてきたと思う。
博覧会当時、菖蒲池の中島まで橋が架けられた。ちょうど皆様が立っている辺りからだ。
橋の名は名誉橋、行き先は迎賓館。博覧会が終わると迎賓館は「ライオン食堂」として活用された。
場所は菖蒲池中央の一番大きな中島。因みに博覧会の観覧者総数は142万余り、文字通りの大博覧会だった。

中島公園三十三選14ハウチワカエデ「舞孔雀」。
かって豊水通の向こう側にあった料亭「雅叙園」の玄関脇にあった名木。
道路の拡幅に合わせて廃業したため、庭木を公園に寄贈した名残の木である。
(中島公園三十三選より抜粋)

山が一番美しく見えるのは仰角8度と言われている。
この場所から藻岩山を見る角度が、まさにその角度。菖蒲池越しに見る藻岩山は美しい。
中島公園見どころ探訪ツアーはいつものようにここで解散。お疲れ様でした。そして有難うございました。
〜「中島パフェ」訪問者よりの投稿〜
オシドリ飛来の情報で10月14日体育の日に、お弁当を持って公園へ行きました。
鳥のことですから、居たり居なかったりしますので、菖蒲池にマガモに混じってオシドリたちが居て、満足しました。

小春日和の休日で、公園はにぎわっていました。
キタラ前の彫刻、相響が陽に輝いていて、それを背景に記念写真を撮る家族がいました。

私たちも相方にポーズをとってもらってなんとか体が動いている記念写真を撮ってきました。

相響のそばの川では、カラスの行水がみられたのどかな秋の休日でした。