2009年03月06日

何々は何々に似ている

2009/3/6

「何々は何々に似ている」  
「先ず、『何々は何々に似ている』と書いて、続けて理由も書いてください」と、文章教室の先生から問題を与えられました。

宿題ならいいのですが、「今、ここでやりなさい」と言われても焦せるばかりです。 一瞬、頭の回転が止まりました。 一生懸命、最近の出来事を思い出そうとしました。
 
最初に思い出したのは、温かい雰囲気の「カラオケクラブ」のことです。 歌っても、叱られないし、嫌な顔もされません。 それどころか、拍手をしたりして励ましてくれます。
 
昔のことを思い起こせば、在職中は違います。 「お前のような下手なヤツは歌えと言われても歌うな」と、叱られました。 それ以来カラオケは止めました。

あれから28年たちましたが、練習して上手くなったわけではありません。 あんなこと言われたらカラオケなんかやる気しませんからね。 ただ、年をとっただけです。 

理由は分かりませんが、歌っても叱られないのだと、ホッとしました。 そこで連想したのが、私と幼児との共通点です。 「幼児も老人も歌が下手でも叱られないな」と思い。更に次のように連想しました。

老人は幼児に似ている。→ 働かなくても叱られない。
現在の社会情勢を考えると、不謹慎で申し訳ありません。

次に、先日行った葬式を思い出しました。 そして、「結婚は人生の墓場」という言葉が思い浮かびました。 これは外国の詩人の言葉の誤訳ではないかと言われています。
 
「墓場のある教会で、身体を清めてから結婚しなさい」→
「恋愛は人生の墓場」→ 「結婚は人生の墓場」
本来の意味からだんだん遠のいて行ってしまったようです。
結婚は葬式に似ている。→ ともに墓場に行く。

結婚から「夫婦」を連想しました。 終わりに至るまでは誤解や煩悶もあるかと思いますが、「終わり」そのものは一瞬ですね。
夫婦は人生に似ている。→ 
長かろうと、短かろうと、終わるときは一瞬。
 

急に考えろと言われたら、こんなことしか思いつきません。 なんで楽しいことがポンポン出てこないのでしょうか。

黙って座っていれば、真面目な人。 口を開けば暗い話ばかり。 冗談一つ言えないのです。 やはり、ジョークはゆっくり考えて書くのが楽しいですね。 

ご飯食べるのも歩くのも楽しいけれど、急かされては苦しいですね。 家でゆっくり考えながら書くのが一番いいのです。

「何のために?」
「自己満足です」

というわけで、5回で終了予定の「自己満足の文章講座」は、一回でマスターしたので、お休みです(笑)。 
その代わりに「お雛まつり会」に行きました。 これも生まれて初めてです。 楽しかったですよ。
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年03月04日

な〜んちゃって作文

2009/3/4

「な〜んちゃって作文」         
ブログなどでいろいろ書いていますが、文章の勉強はしたことありません。 以前から、初心者用の文章講座があったら、ちょとだけ行ってみたいと思っていました。

そうしたら、「自己満足の文章教室」というのがあったので、さっそく、行ってみました。 2時間×5回で、3000円と、お手軽の1か月コースです。 若い女の先生はやる気満々で気合が入っていましたね。

「違う自分になることが、書くための第一歩」だそうです。 虚弱体質で、ひねくれ者の私にはピッタリですね。 いつも、違う自分になりたいと思っているんですよ。

先生が自己紹介してくれました。 「札幌生まれのロンドン育ち。芥川賞めざして勉強中」だそうです。 そして、最後に「な〜んちゃって」と言いました。 

「皆さんも、自己紹介してください」と先生が言うと、私の頭の中で「違う自分」「な〜んちゃって」とかいう言葉が、クルクル回りだしました。

私も張り切って自己紹介しました。「中島公園から来た、中島しろう です。 山鼻生まれの中島公園育ち。 趣味は野鳥観察と自然観察。 

以前の職業は新聞記者、今はエッセイストです。 記録写真の達人になりたくて、文章の勉強に来ました。 よろしくお願いします」

これはどう考えてもウソですよね。「中島公園育ち」なんか人間じゃあないですよ。 カモですね。 私はカモみたいに空を飛べないし、氷まじりの冷たい川の中で子作りなんてゴメンです。たとえ、若くてもね。 ちなみに、カモの結婚シーズンは冬なんですよ。

9名の自己紹介が終わってみると、先生の言うことを真に受けて、初めから終わりまでウソで通したのは私だけでした。 

皆、先生の指導に反してホントの自己紹介していました。後になって、分かってみれば辛いもんですよ。 本当の自己紹介の機会も失ってしまいました。

自己紹介の終わりに、「な〜んちゃって」と教わったように言ったつもりですが、効果なかったですね。 ニコリともしてくれないのです。

この「な〜んちゃって」ですが、呪文だそうです。 これを最後に付ければ、どんなウソを言っても許されるんだそうですよ。 な〜んちゃって!
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年03月02日

私も歴史上の人物に?

2009/3/2

「私も歴史上の人物に?」         
「歴史は勝者によって書かれる」と言われていますが、現在起きていることも勝者によって書き加えられていると思います。 勝者による勝者の為の歴史に、一庶民として割り込んでみたいとは思いませんか?

1000人の内一人の勝者がいれば、残りの999人は、居なかったのと同じことです。 存在するのは勝者だけです。 何年かたてば、それが歴史上の事実として残ります。 そこに割り込めたら痛快ですね。

ヒットラーもムッソリーニも歴史上の人物として残っていますが、映画の悪役のようなものです。 勝者を輝かせるための引き立て役にすぎないのです。 

脇役はちょっとした色づけ。エキストラにいたっては、背景と一緒に残るだけです。 まして、観客などは、初めから存在しなかったのと同じことです。 それでも、なんとかして、歴史作りに割り込むのです。諦めてはいけません。

インターネット社会になって、個人も情報発信できるようになりました。 よい意味でも悪い意味でも、世の中変わるはずです。 これからは、一庶民でも割り込めるのです。

個人で情報発信できるようになったのだから、個人も歴史上に一人分の歴史を残せることになりました。 ゼロとゼロとをいくら足してもゼロですが、1を10億回足せば10億です。 誰もが人類の一人として、歴史作りに参加できるのです。

今までだって書いて残せました。 しかし、意味がまるで違います。デジタル化された情報は集計して分析できるのです。 膨大な情報処理システムが続々と構築中です。

これからの世界は、どう変わるのか? 既に古い人間になってしまった私には見当もつきません。 しかし、一人分の情報を残すことができます。 

ゼロと「1」との間にある差は膨大です。 私が死んでも、歴史上に痕跡を残すことになりました。 それを利用するか、しないかは未来の人の考え次第です。 

私が子どもの頃はSFでも想像できなかったことが、現在進行していると思うと、今そのときに生きていることが、夢を見ているような気がします。

知識もないのに、思うがままに書いてみました。 たわごとを最後まで読んでくれて有難うございました。 
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記