2008年12月14日

1890年、鯉を放流

2008/12/14

「1890年、鯉を放流」       
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菖蒲池と藻岩山
この池が貯木場として完成したのは1871年(明治4年)。その後、住民はここを遊園地にする運動を起こしました。山が一番美しく観えるのは仰角8度。まさにこの位置です。

中島公園は明治時代には珍しく、民意で造られた公園です。もし、札幌が千年の古都になったとき、この景観がなかったら、と思うと慄然とします。そんな思いで中島公園を守るウェブサイト「中島パフェ」を開設しました。と言うのは、後付講釈でしてご免なさい。 

しかし、それがあるから6年間、続けることができました。 更新を重ねているうちに、貴重な事実を知り中島公園を大切に思うようになったのです。昔の話で恐縮ですが、フォーリーブスの「急げ!若者」をご存知でしょうか。こんな歌詞が好きです。

『… 若者なら死んだあとで あいつはとてもいい奴だった
と 言われてみたい… 急げよ急げ生きてるうちに…』

若者を「じいちゃん」と置き換えて歌ったらどうでしょうか。私の場合急がなくたって先が短いのですが、こんな思いで「中島パフェ」の更新を続けています。
 
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山内壮夫の彫刻のある芝生の広場
反対側から観るとこんな感じです。建設中のビルもだいぶありますが、これはこれでいいのです。景観だけでは飯は食えません。「花より団子」も、一方の事実ですね。

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菖蒲池と影
凍結した池はカンバス、木々と太陽はそこに絵を描くアーティスト。 

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菖蒲池の河口
ここから池に流入する水量は大切。唯一の酸素供給源です。 必要な水が流入しないと池の中の生物は酸欠を起こします。1890年(明治23年)に放流し、延々と生命を引き継がれてきた鯉。池の主と言われ親しまれていた鯉が死にます。もうだいぶ減ったような気がしますが、どうなんでしょう?

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中島公園内唯一の車の通れる道路です。
タグ:事件事故
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史