2008年12月09日

美男・美女でなくても

2008/12/9

「美男・美女でなくても」         
NHKのアナウンサーが、だんだん美しくなり、最近は美男・美女ばかりになってしまった。 言うまでもなく、NHKは公共放送である。

もっと普通の人が出演すべきと思う。 アナウンサーはボランティアでもいいと思う。 マスコミ関係を目指している人で、その方面に就職できない人は沢山いるのではないだろうか。

アナウンスに万全を期することはないと思う。 NHKが全国民に対して国語教育をする必要はないとは言わないが、しなくてもいいと思う。教育機関はあるのだから。

日本各地の普通の人が、地方なまりで、その地方のニュースなどを読み上げれば、かえって臨場感があるのではないだろうか。

それから、市町村単位で地方の番組をボランティアで作ってもらい、ビデオで送ってもらったらいいと思う。 このような番組が全体の半分くらいあっても、いいのではないか。

これだけビデオが普及したのだから、お金をかけて番組を作る必要は薄くなっていると思う。 素人のボランティアといっても、ビデオ作成に習熟した人が増えている。

ビデオの出来の細かいことに拘る必要はないと思う。 ある程度の水準になって、伝えたいことが伝わるようになったらそれでいいのではないか。重要なのはコンテンツ。

こう思うのはインターネットから得る、膨大な無料情報に比べて、NHKの受信料が余りにも高いからだ。 受信料を下げる方法はいろいろあるに違いない。

受信料が、美しい映像を作るため、技術開発のため、優秀な人材を、大量に採用するために使われては勿体ない。 公共放送なのだから、いかに安くという視点も大切である。

最強の映像は民間放送に任せればいいと思う。 NHKはひたすら、全国民の意見をくみ上げて、全国民に地味に放送すればいいと思う。それが公共放送の味になる。   

公共放送なのだから、視聴率競争などに参加する必要はない。 ニュースは毎日頻繁に放送され、視聴者との接点になるものである。 

美男・美女の反対側の人も出てくれなくては困る。 芸術でもなければ、芸能ショーでもない。 普通の人、白髪の人も禿頭症の人も、その他の人も、出てもらわなければ困る。 

視聴者による視聴者のための放送であることを忘れてはならない。公共放送の原点に帰ってほしいのだ。

人間は誰でも平等であることを、放送で毎日、毎時間、知らせるべきである。 そうすれば、誰もが、いろいろな顔があっていいと思うようになる。 いろいろな顔に慣れてくる。

それに普通のひとをボランティアで出せば費用だって安くつく、受信料の大幅値下げにつながると思うが、いかかだろうか?
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記