2008年12月06日

穏やかな朝の食卓

2008/12/6

「穏やかな朝の食卓」       
変わらず、朝食は話しながら食べている。 先に食べ終わったQPは、同じ場所で新聞を読みながら話を続ける。 
これも習慣である。

「あんたも見習いなさい」と言いながら、新聞をみせた。 
『妻に頼らず 元気で長生き 男の料理 実習100回』
との見出しが目に入った。

「この人たちは、すっかり奥さんに頼りきっていたのですね」
「何言ってんのよ。他人事みたいに」
「はぁ…?」
「あんたもそうじゃない。 自分で作ったことないでしょ」
「そうですね。 いつも有難うございます。 感謝してますよ」

うは言ったものの腹の中では別のことを考えていた。
一体、いつ「飯を作ってくれ」と頼んだのだ。 作ってくれるから一緒に食べているだけじゃないか。 

QPの顔はちゃんと立てている。 食べるときは「いただきます」。 食事中は、「これ美味しいですね」。 食べ終われば「ご馳走様」。 

何が不満なのだ。 お客さんとしてのマナーは、ちゃんと守っているじゃないか。
これは私の思い。QPには別の思いがあるだろう。

もそも私には誰かに頼って「飯を食う」という発想はない。 自分の口は自分で賄うものと思っている。 長い間作ってもらっているのは、分業と思っていたからだ。

私が働いて給料を家に入れる。 QPは、それを原資に家事一切を行う。 その中に食事の支度も入っている。 
ただ、それだけのことと思っていたが間違いかも知れない。 

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私の「思い」を聞いてほしい。一人よがりは自覚している。 
人様を誹謗する気持は毛頭ない。言い過ぎもあると思うが、
ご容赦願いたい。 

個人にとって複雑な料理は実用というよりも、アートとか趣味の世界だと思っている。実用なら、煮たり焼いたりできればそれで十分だ。 

更に美味しいものをというのは、人それぞれだろう。 世間を騒がせている食の安全については追及すればきりがない。 永遠の課題である。  

そもそも死亡率100%の人間にとって「絶対危険」はあっても「絶対安全」はない。 このことは誰もが承知していると思う。 しかし、食の安全問題がマスコミを賑わしている。

ころで、今日は楽しいランチ会…。 私ではない。もう一人の方だ。 もちろん、私も楽しい。 留守の間に好きなものを勝手に食べることができる。

以前、一人で留守番のとき、タラコを食べて叱られた。 お客さん用に買って置いたものらしい。 美味しいものは見た目で分かる。 これでもなかなかの食通のつもりだ。

それからというものは、私を一人で置いておくときは、アレコレ指示をして出て行く様になった。 余計なお節介だが後で叱られるよりはましだ。

日も昼食の指示はあったが、それは無視をして好きなものを食べることにした。 メニューはお粥と梅干だ。 凄く楽しみだ。 「元気で留守がいい」のはお互い様である。

お粥は美味しい。 三平のラーメンよりも美味しい。 
もちろん家で食べる、いかなる料理よりも美味しい。 
ブランド米にブランド梅干。これらがお粥を美味しくする。 

内緒で作るのが少し辛いところだが、これには訳がある。 
このメニューについては、「私が食事の支度をしましょう」
と言って勧めたことがある。 

QPはテーブルの上のお粥と梅干を見るなり、「私は病人じゃないよ」と言って、冷蔵庫から、いろいろ出してレンジでチンチンやりだした。 手抜き料理と誤解したらしい。

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「相棒」の再放送も観終わった。 QPが帰る前に鍋や食器を片付けて、お粥の痕跡を消さなければならない。 

指示通りに肉じゃがを食べないとうるさい。後で分かったことだが、量についても細心の注意を払うべきだった。

って来て、さっそく冷蔵庫のチェックが始まった。 
まさか、梅干が一個減っていることには気がつくまい。 
私は落ち着いて「ランチは楽しかったですか」と聞いた。

「なによ、このご飯、食べなかったの?」  しまった! 
ラップに包んだ冷ご飯の始末を忘れた。 千慮の一失だ。 
「ダイエットですよ」
「ダイエット? 昨日、体重が減ったと言ったでしょ」 
疑り深い声だ。ここはジョークで切り抜けよう。 

「あなたとは違うんです」
「福田さんの真似してもダメ! 笑ってあげないよ」

福田元首相は今年の流行語大賞を辞退してしまった。
もったいないことをしたものだ。唯一の栄光なのに。

「減らすときは徹底的に減らす。これが私のダイエットです」
「あっ! 肉じゃががずいぶん減っているじゃない。 あんたご飯の変わりに食べたね」

とんでもない言いがかりだ。 肉じゃがは最初から鍋に半分しかなかったのだ。 なぜ、人の言うことを素直に信じないのだろう。 

正直にお粥を食べたことを白状しない限り、肉じゃがの疑いは晴れない。 二律背反だ。 無実の罪を着せられたような気がして不愉快になった。 お粥、隠蔽工作の代償は意外に大きかった。 

一部始終を書いてみると長いけれど、食事中に思い出すのに、それほど時間はかからない。 記憶は一つのかたまりとして覚えている。 思い起こすのも一瞬である。

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「なに考えているの?」
「妻に頼らず自分で料理するなんて素晴らしいことですね」
「反省してるの?」
「そうですね」

「それだけ?」
「道新に『朝の食卓』というコラムあるでしょ」
「いつも読んでいるよ。大勢の人が交代で書いているみたいね」
「そのことを考えていたのです」

「なにを?」
「執筆を頼まれたら何と書こうかな〜とか…」
「そんなことより、カレーの作り方でも覚えなさい」
「そうですね。考えておきます」

(画像は最近の札幌コンサートホール・キタラin中島公園)
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記