2008年11月11日

八窓庵倒壊の原因は?

2008/11/11

「八窓庵倒壊の原因は?」         
八窓庵倒壊事故は原因をめぐって右往左往しました。 
太字の部分を読んで頂ければ、全体の流れが分かると思います。予め切り抜いておいた北海道新聞の記事を参考にして、私なりにまとめました。

2005年3月23日
札幌市は3月22日、中島公園内にある国指定重要文化財の茶室「八窓庵」がほぼ全壊したと発表しました。

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管理する市は冬期間、建物をプレハブで覆っていましたが、雪の重みでプレハブが押しつぶされてしまいました。市は同日、被害状況を調べ、文化庁に修復を申し入れました。

21日隣接の豊平館職員がプレハブ小屋が倒れているのを発見しました。 市文化財課の見解では「屋根に積った雪が、風の影響で一方に片寄りバランスを崩した」ということです。

八窓庵は江戸初期の江州(現在の滋賀県)の大名で茶人の小堀遠州(1579−1647年)が晩年に建てた、八つの窓を持つ木造平屋約20平方メートルの茶室です。

札幌の資産家が購入して中央区の自宅に移し、1950年に重文に指定された後に寄贈を受けた市が71年中島公園に移築しました。

2005年4月19日
国指定重要文化財の茶室「八窓庵」の修復が、来年以降にずれ込むことが19日分りました。

雪の重みで倒れたとみられていたが、積雪に耐える強度だったことが判明し、原因を調べる為。 市は「プレハブでの保存が適切かどうかも含めて調査したい」としています。

プレハブは1m以上の積雪に耐えられる(当時の積雪は50cm)。 周囲の庭や生垣を痛める恐れがあるので、雪下ろしはやらず、定期的な点検もしていなかったとのことです。

2005年5月20日
文化庁の調査官が19日、雪囲い用プレハブが倒れてほぼ全壊した札幌市中島公園内にある「八窓庵」の破損状況などを調査しました。調査官は修復・復元は可能だが、来年度の着工は難しいとの認識を示しました。

修復には数千万円かかる見込みで、保険金などを除いた額の半分を国、残り半分を市と道で折半するそうです。

2005年9月13日
札幌市議会が八窓庵の破損状況を報告しました。 市は倒壊当時の積雪重量がプレハブ小屋の強度の範囲内であった可能性を明らかにしました。 

倒壊当時の屋根の雪の重さは306キロで建物強度の428キロを下回っていたそうです。 しかし、小屋の梁2本が横方向に湾曲していたそうです。

2005年9月27日
札幌市は専門家による調査委員会の報告を発表しました。それによるとプレハブ小屋の建築構造に問題があり、設置した道外の業者に損害賠償を求める方針を明らかにしました。

事故当時の雪の重さは306キロでしたが、基準は428キロです。 又、大梁も図面より1本少なく、補強の鉄筋も位置が違っていたそうです。

2005年10月5日nakapa北海道新聞「読者の声」に投稿掲載
「八窓庵修復後は冬の監視万全に」、そのためには日本庭園を冬季間も開放する必要がある。という趣旨の内容。


2006年9月13日 1年後のまとめ、これが結論
雪囲いのプレハブが倒れて全壊した、国指定重要文化財の茶室「八窓庵」の復元は本年度末にも工事に着手し、2008年秋の完成・公開を目指します。費用はプレハブの設置業者が全額負担することになりました。

復元作業には文化財修復に通じた工法や技術が必要なため、文化財建造物保存技術協会の協力を得て、必要な工法を調べて専門の技能者を確保します。工期は2年近くかかる」見込みです。

市は「八窓庵」を冬期間、雪による損傷を防ぐためプレハブで覆っていたが、昨年3月に雪の重みで倒壊したプレハブに巻き込まれ全壊。その後、白石区の倉庫に保管していました。

事故後、専門家で構成する調査委員会が原因を究明。昨年九月にプレハブの梁の強度が不十分だったとして業者の責任を問う内容の結論を出し、市は業者側に賠償を求め交渉していました。

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2008年9月公開を待つ、修復した八窓庵
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 施設