2008/7/7
二人だけの朝食は、いつものようにテレビを消して話しながらとる。 消化によいといわれているが、逆の場合もある。
私は近所のアレコレや外で出合ったステキな人たちについて話すのが好きだが、QPは、事件や社会問題を話題にすることが多い。
「救急車で病院に連れて行かれても、帰りが大変だよね」
「そのまま入院でしょう。帰りの心配などいりませんよ」
「入院ができなかったら大変でしょ」
入院にならないなら結構な話と思うが、一体何が大変なのだろう。誤解しているように思えてきた。
「救急車は病院に行くときは必要でも、家に帰るときは必要ではないのです」
「病気なのよ。可哀そうでしょう」
「タクシーを呼べばすむ事です」
「夜中でタクシーは来ないのよ」
「そうですか。それはどこの話ですか? 私は薄野から夜中にタクシーに乗って何回も帰りましたよ」
タクシーが庶民の足ではなかった大昔のことだろうか。 札幌の話ではないのだろうか。
QPと話していると、言葉が足りないせいか何のことやらサッパリ分からないことがある。毎度のことだが、今朝は話題がシリアスなので気にかかる。
救急車の乱用が問題になっている。 救急車をタクシー代わりに使う人がいる。 酔っ払って動けないといって救急車を呼ぶ人もいる。
「救急車のサイレンがうるさくて近所迷惑だから、家に来るときは鳴らさないでくれ」と注文をつける人もいる。
人の命が危ないときに近所迷惑もないものだ。 一体どうゆう基準で救急出動を要請しているのだろうか。
一方では、夜間救急病院にトラックで運び込まれた重症患者もいる。 運んだ人も運ばれた人も命が縮む思いだったろう。 心中察して余りある。
救急車が到着するまで20分かかると言われて、仕方なくトラックを使ったという。 その日は風邪が流行っていて、熱を出して救急車を呼ぶ人が続出したそうだ。
救急車がなくて、ポンプ車に救急隊員を乗せて出動するのが日常茶飯事の消防署もあるという。 やはり、救急車を呼ぶのは救急救命に限るべきではないか。
何を言いたいのかサッパリ分からないので、思い切ってQPに聞いてみた。
「その話は、いつ、だれが、どこで話したことですか」
「そんなこと、どうでもいいじゃない。病院から帰れなくて困っている人がいるんだから」
「それは、テレビとかどこかで聞いた話ですか?」
「私が考えたのよ!」
「ずいぶん、おかしな考えですね。救急車は救命のためにあるのですよ。足(交通)がなくて困っている人の為にあるのではないのです」
「夜間救急病院に運ばれて、困った人が言ったのよ」
「お医者さんに診察してもらって、お帰りくださいと言われたなら仕方ないでしょ」
「病気をたくさんもっているお年寄りが困っているのよ!」
「それは福祉の問題です。救急車では解決できません」
「なによ!偉そうに。 もうペッタンコ、してやんない!」
何が気に入らないのか、もう貼り薬をはってくれないと言うのだ。 散々な朝ごはんになってしまった。

「肩にこれを貼ってくれませんか」。朝のことは忘れたフリをして頼んでみた。 どおせQPは、夜まで覚えてはいないだろうと軽く考えていた。
「貼って上げないっていったでしょ」
「おや、覚えている。意外に執念深いな」と思ったが、心配はない。 私には奥の手がある。「ハリハリ失敗作戦」だ。
自分で貼って、失敗するところを見せれば、テキはガマンができなくなって、口を出したり手を出したりしてくるに決まっている。 善は急げ、さっそく作戦開始だ。
「なにやってんのよ、あんた! (貼り薬が)もったいないじゃない」
「また失敗してしまいましたね。新しいのでやり直しましょう」
「いいわよ」
「なにがですか?」
こうして作戦は成功したが、貼り薬3枚の損害をこうむった。クチャクチャにくっついて、はがそうとしてもはがれないのだ。 不幸なことだが、戦いの陰には尊い犠牲がある。
私は近所のアレコレや外で出合ったステキな人たちについて話すのが好きだが、QPは、事件や社会問題を話題にすることが多い。
「救急車で病院に連れて行かれても、帰りが大変だよね」
「そのまま入院でしょう。帰りの心配などいりませんよ」
「入院ができなかったら大変でしょ」
入院にならないなら結構な話と思うが、一体何が大変なのだろう。誤解しているように思えてきた。
「救急車は病院に行くときは必要でも、家に帰るときは必要ではないのです」
「病気なのよ。可哀そうでしょう」
「タクシーを呼べばすむ事です」
「夜中でタクシーは来ないのよ」
「そうですか。それはどこの話ですか? 私は薄野から夜中にタクシーに乗って何回も帰りましたよ」
タクシーが庶民の足ではなかった大昔のことだろうか。 札幌の話ではないのだろうか。
QPと話していると、言葉が足りないせいか何のことやらサッパリ分からないことがある。毎度のことだが、今朝は話題がシリアスなので気にかかる。
救急車の乱用が問題になっている。 救急車をタクシー代わりに使う人がいる。 酔っ払って動けないといって救急車を呼ぶ人もいる。
「救急車のサイレンがうるさくて近所迷惑だから、家に来るときは鳴らさないでくれ」と注文をつける人もいる。
人の命が危ないときに近所迷惑もないものだ。 一体どうゆう基準で救急出動を要請しているのだろうか。
一方では、夜間救急病院にトラックで運び込まれた重症患者もいる。 運んだ人も運ばれた人も命が縮む思いだったろう。 心中察して余りある。
救急車が到着するまで20分かかると言われて、仕方なくトラックを使ったという。 その日は風邪が流行っていて、熱を出して救急車を呼ぶ人が続出したそうだ。
救急車がなくて、ポンプ車に救急隊員を乗せて出動するのが日常茶飯事の消防署もあるという。 やはり、救急車を呼ぶのは救急救命に限るべきではないか。
何を言いたいのかサッパリ分からないので、思い切ってQPに聞いてみた。
「その話は、いつ、だれが、どこで話したことですか」
「そんなこと、どうでもいいじゃない。病院から帰れなくて困っている人がいるんだから」
「それは、テレビとかどこかで聞いた話ですか?」
「私が考えたのよ!」
「ずいぶん、おかしな考えですね。救急車は救命のためにあるのですよ。足(交通)がなくて困っている人の為にあるのではないのです」
「夜間救急病院に運ばれて、困った人が言ったのよ」
「お医者さんに診察してもらって、お帰りくださいと言われたなら仕方ないでしょ」
「病気をたくさんもっているお年寄りが困っているのよ!」
「それは福祉の問題です。救急車では解決できません」
「なによ!偉そうに。 もうペッタンコ、してやんない!」
何が気に入らないのか、もう貼り薬をはってくれないと言うのだ。 散々な朝ごはんになってしまった。

「肩にこれを貼ってくれませんか」。朝のことは忘れたフリをして頼んでみた。 どおせQPは、夜まで覚えてはいないだろうと軽く考えていた。
「貼って上げないっていったでしょ」
「おや、覚えている。意外に執念深いな」と思ったが、心配はない。 私には奥の手がある。「ハリハリ失敗作戦」だ。
自分で貼って、失敗するところを見せれば、テキはガマンができなくなって、口を出したり手を出したりしてくるに決まっている。 善は急げ、さっそく作戦開始だ。
「なにやってんのよ、あんた! (貼り薬が)もったいないじゃない」
「また失敗してしまいましたね。新しいのでやり直しましょう」
「いいわよ」
「なにがですか?」
こうして作戦は成功したが、貼り薬3枚の損害をこうむった。クチャクチャにくっついて、はがそうとしてもはがれないのだ。 不幸なことだが、戦いの陰には尊い犠牲がある。