2008年07月13日

南極の氷でオンザロック

2008/7/13

「南極の氷でオンザロック」  
南極の氷触って来ました。 この氷は南極観測船「しらせ」が今年の1月に南極周辺から持ち帰ったものです。

氷の大きさは高さ20センチ、幅20センチ奥行き14センチだったそうです。

子どもたちが大勢で触ったので、角は丸くなっていました。 だけど、ほぼ同じ大きさに見えましたよ。4日もたっているのに。

白っぽいですね。しばらく触っているとプチッとか鳴るから面白いです。3万年前の空気が出てきたかなとか思いましたよ。

大人たちはオンザロックに使いたいみたいですが、子ども全員が触るまではジッとガマンです。普段は冷蔵庫に入っています。触るときだけ特別の入れ物に入れて出します。

300名全員が触ったらどのくらい残るのかな。 オンザロックになる分残ったとしてもね、汗とかね…。 

それにトイレに行ってもしっかり手を洗うわけではないし、塩味オンザロックですね。

それでも飲みたい人いるだろうか? いるらしいですよ。「アルコール消毒されているから、大丈夫」とか、声が聞こえました。 私はダメですね。胃が弱いから。
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2008年07月12日

1時間に3回笑わす英語

2008/7/12

「1時間に3回笑わす英語」         
来年からは燃えるゴミも有料だ。本を整理していたら「やさしい英会話」教室の教科書が出てきた。いろいろなことを思い出した。 もう止めてから2年以上たったのだ。

家の中に「人に接しないとボケる。」とやかましく言う人がいるので、気楽で金のかからない老人福祉センターに行った。

最初は「パソコン教室」だったが、易しすぎて眠い。次は「ヨガ」、身体がバラバラになって壊れるかと思いやめた。ようやく「英会話」に落ち着いたのが2002年4月のことだった。

高齢の先生が「この教室の目的は一に健康、二に楽しみ、三に英会話です。1時間に3回は笑わせます。」と教育方針を宣言した。

「青い山脈」に先生独自の英語の歌詞をつけてクリスマスパーテーの舞台で歌わされるのが少しつらい。まだ、見栄も羞恥心も残っていた。

百円ショップで買った蝶ネクタイも付けるのだが、次のような経過で民主的に決まったのだから守らなければならない。

「女性の服装は上は白のブラウス、スカートは黒にしませんか」と、誰かが言った。
「男性は蝶ネクタイをしましょう」。 お調子者が言った。

「蝶ネクタイ持っていません」と、私は精一杯の抵抗。
「百均で売っているから、私がまとめて買ってきてあげましょう」。 お節介も、ここまで来ると止めようがない。

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英語劇「サウンド・オブ・ミュージック」を演じたグループがいた。幕が下りると出演者一同抱き合って泣いた。見ている人たちはしらけていた。 

同じシニア仲間なのに少し冷たいのではないか。一緒に泣くわけには行かないが盛大な拍手でもすればいいのにと思った。

しかし、先頭にたって拍手する気にはなれなかった。 だれかが拍手すればするのだが。 みんな同じかな。 いろいろ思い出して、こんなことまで…。
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2008年07月11日

久しぶり雨の中島公園

2008/7/11

「久しぶり雨の中島公園」         
1か月ぶりにまとまった雨が降った。 黄色い芝生も水をいっぱいもらって生き返るだろう。 中島公園全体が水を得た魚のように元気になったような気がする。

6月初旬から7月初旬にかけて巣立った親子鴨がアチコチで見られた。早く巣立った方は相当大きくなっている。人間に例えれば中学生くらいだ。まだ小さいのもいる。

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雨の中島公園は普段と違った姿をしている。 カモメがトコトコ道路を横断しているところを初めて見た。 

中島公園公園駅から歩いて突き当たると菖蒲池だ。右に曲がるとキタラ方面。 橋を渡るとき菖蒲池を見ると赤く大きな鯉が泳いでいる。 よく見るとその鯉の周りに3匹の黒い鯉が泳いでいる。

ここで鯉を見たのは3年ぶりだ。 豊平館前の池にいた鯉が泳いで来たのかもしれない。 豊平館前の西端でひと塊になっていた鯉も分散を始めたようだ。

久しぶりの雨で空気もきれいになり、私自身も元気をもらったような気がする。 
タグ:母子鴨
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2008年07月10日

年収百万円の生活術

2008/7/10

「年収百万円の生活術」         
棄てる本を整理していたら「年収百万円の生活術」が出てきた。6年前に買った本だ。

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この本に書いてあることは特に勉強しなくても身についている。問題は財布を共にする家族の教育である。これはかなり難しい問題だ。

広告、チラシは言うに及ばずマスコミ、ミニコミあげての宣伝攻勢の中での指導に手を焼いている。

論理的な説明は「あんたは馬鹿だ」と言っているのと同じことになるので角が立つ。

仕方がないので「月が綺麗だ」「カモの赤ちゃんが可愛い」「紫陽花の花が咲いたよ」とか、金のかからない話題づくりに励んでいる。

こうゆうことを1年も続けると心から自然が好きになるから有難い。 この本の中身は大したことないが、何らかの役目を果たしたことは確かである。
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2008年07月09日

古き渋谷のような山鼻

2008/7/9

「古き渋谷のような山鼻」  
中島公園の隣は山鼻地区。 山鼻には高級住宅街もあるが、やや破壊された部分もある。 そこはには私が育った、敗戦後の東京渋谷と似た雰囲気があり、懐かしさを感じる。

今どき珍しい泥道。雨が降ると水溜りが出来る。砂利道にしては砂利が少なすぎる。細くなったり太くなったり突き当たったりする不規則な道。子供の頃、こうゆう道をよく歩いた。
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ここはお屋敷と古いアパートと中高層マンションが混在している地域。所々に倒れそうな家がある。長い間、雪の重さに耐えて来たのだから、しっかりした作りに違いない。 空き家もあるが、殆どは人が住んでいる。
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最後に札幌らしい建物を紹介する。 いかにも山鼻の旧家という感じだ。 山鼻は札幌で最も古い住宅地である。
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とっくの昔に山鼻と言う地名は無くなっているのだが、慣例としてこのあたりを山鼻と今でも呼んでいる。 したがって、どの地域をしめすのか明確なものはない。薄野も同様である。
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2008年07月08日

お爺ちゃんと呼ばれて

2008/7/8

「お爺ちゃんと呼ばれて」         
「ショックですね」
「何が?」
「私のことお爺ちゃんと呼ぶのですよ」

「誰が?」
「最近、コイのことが気になるので、池を見ていると、後ろから声をかけられたのです」

「何て?」
「お爺ちゃん、池の中で泳いでいるのなに?って、聞くのですよ」
「あんたはお爺ちゃんなんだから当たり前だろう」

「同じ年のあなたもお爺ちゃんですよ。それでもいいんですか?」
「俺はお爺ちゃんだよ。孫がいるからね。だけど他人からお爺ちゃんとは呼ばれたことないね」

「子どもならともかく、お婆ちゃんからお爺ちゃんと呼ばれたくないですよ」
「おや! お婆ちゃんだったのか。 お気の毒様」

「いえ、お婆ちゃんは歓迎ですが、お互いに『お爺・お婆』と呼び合わなくてもいいと思うのですよ」
「じゃあ、なんと呼べばいいんだ」

「ふつうでいいですよ」
「普通ってなんだ?」
「例えば、青年が池をみていたとします。
 青年さん、池の中で泳いでいるのは何って、聞きますか?」

「ちょと、すみません。とか、失礼ですが、とか呼びかけるよ。見知らぬ人には丁寧にな」
「そうでしょう。少年、少女、青年、お爺ちゃんとか区別する必要ないのです。池を見ているのは私ひとりなのですから」

「そんなこと気にするなんて、ホントにあんたはお爺ちゃんだね。 だから言われるんだよ」
「……」

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ヨットも浮かんでますよ。リモコン操縦ですが。
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2008年07月07日

救急車で送迎とは?

2008/7/7

「救急車で送迎とは?」         
二人だけの朝食は、いつものようにテレビを消して話しながらとる。 消化によいといわれているが、逆の場合もある。

私は近所のアレコレや外で出合ったステキな人たちについて話すのが好きだが、QPは、事件や社会問題を話題にすることが多い。

「救急車で病院に連れて行かれても、帰りが大変だよね」
「そのまま入院でしょう。帰りの心配などいりませんよ」
「入院ができなかったら大変でしょ」

入院にならないなら結構な話と思うが、一体何が大変なのだろう。誤解しているように思えてきた。

「救急車は病院に行くときは必要でも、家に帰るときは必要ではないのです」
「病気なのよ。可哀そうでしょう」
「タクシーを呼べばすむ事です」

「夜中でタクシーは来ないのよ」
「そうですか。それはどこの話ですか? 私は薄野から夜中にタクシーに乗って何回も帰りましたよ」

タクシーが庶民の足ではなかった大昔のことだろうか。 札幌の話ではないのだろうか。

QPと話していると、言葉が足りないせいか何のことやらサッパリ分からないことがある。毎度のことだが、今朝は話題がシリアスなので気にかかる。

救急車の乱用が問題になっている。 救急車をタクシー代わりに使う人がいる。 酔っ払って動けないといって救急車を呼ぶ人もいる。 

「救急車のサイレンがうるさくて近所迷惑だから、家に来るときは鳴らさないでくれ」と注文をつける人もいる。 

人の命が危ないときに近所迷惑もないものだ。 一体どうゆう基準で救急出動を要請しているのだろうか。

一方では、夜間救急病院にトラックで運び込まれた重症患者もいる。 運んだ人も運ばれた人も命が縮む思いだったろう。 心中察して余りある。 

救急車が到着するまで20分かかると言われて、仕方なくトラックを使ったという。 その日は風邪が流行っていて、熱を出して救急車を呼ぶ人が続出したそうだ。

救急車がなくて、ポンプ車に救急隊員を乗せて出動するのが日常茶飯事の消防署もあるという。 やはり、救急車を呼ぶのは救急救命に限るべきではないか。


何を言いたいのかサッパリ分からないので、思い切ってQPに聞いてみた。

「その話は、いつ、だれが、どこで話したことですか」
「そんなこと、どうでもいいじゃない。病院から帰れなくて困っている人がいるんだから」
「それは、テレビとかどこかで聞いた話ですか?」

「私が考えたのよ!」
「ずいぶん、おかしな考えですね。救急車は救命のためにあるのですよ。足(交通)がなくて困っている人の為にあるのではないのです」

「夜間救急病院に運ばれて、困った人が言ったのよ」
「お医者さんに診察してもらって、お帰りくださいと言われたなら仕方ないでしょ」
「病気をたくさんもっているお年寄りが困っているのよ!」

「それは福祉の問題です。救急車では解決できません」
なによ!偉そうに。 もうペッタンコ、してやんない!」
何が気に入らないのか、もう貼り薬をはってくれないと言うのだ。 散々な朝ごはんになってしまった。

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「肩にこれを貼ってくれませんか」。朝のことは忘れたフリをして頼んでみた。 どおせQPは、夜まで覚えてはいないだろうと軽く考えていた。
「貼って上げないっていったでしょ」
「おや、覚えている。意外に執念深いな」と思ったが、心配はない。 私には奥の手がある。「ハリハリ失敗作戦」だ。

自分で貼って、失敗するところを見せれば、テキはガマンができなくなって、口を出したり手を出したりしてくるに決まっている。 善は急げ、さっそく作戦開始だ。

「なにやってんのよ、あんた! (貼り薬が)もったいないじゃない」
「また失敗してしまいましたね。新しいのでやり直しましょう」
「いいわよ」
「なにがですか?」

こうして作戦は成功したが、貼り薬3枚の損害をこうむった。クチャクチャにくっついて、はがそうとしてもはがれないのだ。 不幸なことだが、戦いの陰には尊い犠牲がある。
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2008年07月06日

故郷の雰囲気を札幌で

2008/7/6

「故郷の雰囲気を札幌で」  
幼少のころ渋谷で育ったので、故郷のように思うときがあります。 しかし、そのころの渋谷は、もうそこにはありません。 

東京オリンピック以後の変化は凄まじく、久しぶりに渋谷に帰ったら迷子になってしまいました。当時の渋谷に似た所を札幌で見つけました。市電もあるし、あばら家も路地もあります。

札幌の市電は地下鉄に変わり残ったのは古い町を走る一路線のみです。 電停「行啓通」は家から徒歩2分です。 

この距離は昔、東京に住んでいたころの、家から都電「青山車庫前」電停までと同じです。電車通に「ほねつぎ」があるところまで同じなので、懐かしく感じ、この町に住むことにしました。

電車通と行啓通は、いずれも昔栄えた商店街です。今では閉店した店と空き地が目立つ寂れた町になってしまいました。

これもまた、終戦直後の破壊された空き地の目立つ渋谷の外れと、雰囲気がとてもよく似ていて気に入ってしまいました。 私としては失われた故郷を北の大地で見つけた気分です。

写真は電車通です。奥に見えるビルが高層マンションで左側の白い建物が「ほねつぎ」で、右側が市電の電停です。

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下の写真が「行啓通」です。この日はお祭で歩行者天国になっています。これが精一杯の賑わいです。

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2008年07月05日

中島公園二つの話題

2008/7/5

「中島公園二つの話題」       
公園の話題を二つ紹介します。一つは野点です。優雅な感じで絵になります。以前は撮影会と野点が同時に開催されたことがありましたが、最近はありません。と申しますには、野点の方々と撮影会の方々とトラブルがあったようなのです。写す人、と写される人との間でよくあることです。

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もう一つは野鳥などへのエサやりです。カモ、鳩、スズメ、中にはカラスにまでエサをやる人がいます。後は猫ですね。今回始めて「小動物へのエサやり禁止」の管理事務所の方針が示されました。当然のことと思う一方、親子ガモが観れなくなると淋しいとか考えてしまいます。

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毎年5,6組の親子ガモが可愛らしい姿を見せていますが、減るかもしれません。せっかく定着したのに惜しいような気もします。そうとは限らないのですが、なんとなくそんな気もするし、水草や小魚など自然界のエサが増えるといいですね。
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2008年07月04日

鴨々川の悲しい過去

2008/7/4

「鴨々川の悲しい過去」         
古い町にはいろいろな伝聞があります。その内の一つを紹介します。

「明治の後半であろうか、鴨々川は首つり自殺場と化したことがある。

ある朝のこと、川に掛かるような枝に何人もの首つり自殺があって人々を驚かせたという。

それからだれ言うとなく鴨々川は首つり場だという風評が立った。

そのころの鴨々川ぶちは、あかりがなく人家も乏しかったから、夜に死場所をここに求めた気持はわからぬ.でもない。

もちろん当時の水量は今の比ではない。
(山崎長吉『中島公園百年』北海タイムス社)」

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鴨々川は家(共同住宅)の前の道路に沿って流れているカモとコイが泳ぐ小川です。

若いときは「人間、過去を懐かしむようになったら、おしまいだな。」と思っていた。近ごろは「人間はうまく造られているな」と思う。

若者は未来を考え、老人は過去を思う。これが心の健康に一番に良い。

老人が自分の未来のことを真剣に考えたら大変だ。ノイローゼになってしまう。

私はまだ自分を老人とは思っていないが、心のてんびんを未来から過去に少しずつ傾けている。
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