水に恵まれた札幌で、まさかの断水。 カラオケ店員はマニュアルに書いていない事態に遭遇して、戸惑うばかりだ。 「ただいま準備中なのでお待ちください」
と言ったまま1時間も過ぎた。
「一体どうなっているの、開店時間はまだですか?」
と聞いたところ、意外な言葉が返ってきた。
「断水ですから飲み物料理などの提供はできません。 トイレも使えません。カラオケだけはできます」
「そうゆうことは、もっと早く行ってよ」
と言ったところで後の祭り。
「うどん屋にでも行こうか」と、仲間内で相談していると、
「この辺一帯、全部断水です」と、店員の声。
「それも早く言ってよ〜。聞かなきゃ何にも教えてくれないの!」と、思わず切れてしまった。
飲食はともかく、トイレが使えないのは致命的だ。みんなそろってAさんのお宅にお邪魔をすることにした。
住居は地下鉄駅近くの緑豊かな高級住宅街の一角にある。 Aさんは「何にもないのよ」と言いながら、いろいろな飲み物や料理を出してくれた。
アレも手製、コレも手製という感じだ。 さりげなく言っていたが、栄養士や調理師の免許を持っているようだ。
「栄養士さんとは意外ですね。ハイキングの弁当は、いつも大福一個でしょう。あれで栄養は十分なのですか」
「ダイエットよ」
「夕食だと言って、パック入りのご飯と出来合いのオカズ買って帰るでしょう。ホントに調理師さん?」
「あんた、何屋さんよ」
「いや、別に…」
とにかく謎の多い人だ、6年間の付き合いなのに、新しい話題が尽きない。 今日もAさんの独演会。 Bさん、Cさんも、なかなかな人物だが聞き役に終始している。 私などはいうまでもなく「うなずきマン」だ。
「いくら筋骨が隆々の男でも、度胸のないのはダメね。みんな尻込みしているのよ〜」
「3週間も山歩きした後でしょ。仕事もあるし、忙しいのではないのですか」
「何が忙しいのよ! ジャングルが怖いだけ。そろいもそろって情けない男よ」
中島公園菖蒲池2008年7月 今なら、「ベンガル虎に会いに行こう!」という探索ツアーもある。しかし、20年前は、始まったばかりで、彼女が最初の参加者だそうだ。
しかも、たった一人で行った。 旅行社の担当者自身経験がなく、Aさんの体験談を根掘り葉掘り聞く始末だったという。
「誰も行ったことがないと言うのに、鈴木が待っているというのよ。 な〜んだ、日本人がいるじゃないの、と思ったらガッカリして気が抜けちゃったわ」
「好かったじゃあないですか。ホッとしたでしょ」
「行ってみたら、言葉もろくに通じない現地人がいただけ。ジープ型の車に乗せられてジャングルに行ったのよ。その車がスズキなんだって」
「好かったじゃないですか。初めての日本人になれて」
「何がよかったのよ」
「ラッキーじゃあないですか。好かったと思いますよ」
「
あ な た! 少しお黙りになってくださらない」
言葉が急に丁寧になったら要注意だ。 いったい何を怒っているのだろう? うなずいただけなのに。
長話を黙って聞くのもつらいものだが、ごちそうになっている身としては我慢しなければならない。聞いた話は、ざっと次のような次第だ。
船で川を渡り、ジャングル内のコテージに入る。 食事中に突然呼び出された。何事かな? と思ったが、ガイドに促されるまま暗いジャングルを通り抜け、着いたところは真っ暗な小屋。
明かりと言えば、ときどきつける懐中電灯だけ。小屋には外に向けて小さな穴がいくつも空いている。
不安になって何か聞こうとしても、ガイドは指を口に当てて「シー」と、言うだけだ。 とにかく、この穴から外を見ろということらしい。同行の外国人4人も皆そうしている。
ガサガサと音がすると投光機が一斉に明かりを放ち、付近一帯は真昼のようになった。
そこには、くいにつながれた羊のような動物と、それに食いついたベンガル虎の凶暴な姿があった。
ようやくAさんも事態が飲み込めた。 これがこのツアーの目玉。だから食事中にもかかわらず呼び出されたのだ。
虎は一旦獲物に食いついたら、光を浴びても逃げたりしない習性があるそうだ。
暗い小屋も、しゃべるなという指示も、小さな穴もすべてはこの一瞬のためにある。 ガイドは「あなた方は非常に運が良い」と言った。
ベリー・ラッキーを連発していたので理解できた。それに参加者の全員が興奮して非常に喜んでいた。
翌日はゾウに乗って、さらに奥地に進んだが、言葉の通じない「ゾウ使い」と二人だけの旅だ。
道がないからゾウに乗るのだが、それよりも重要なのは安全保障。 ジャングルには凶暴な野生動物がうようよしているので、ゾウの上が一番安全だという。
ジャングルの景観、音、におい、風、すべてが素晴らしい。 少し怖くて、だいぶお尻が痛くなったけれど、十分堪能したインド奥地ジャングルの旅だったそうだ。
中島公園豊平館前広場で野点2008年7月 気がつけば、ご主人がいない。この話にあきているのかもしれない。初めて聞く私たちにとっては面白いのだが。
「アレッ、ご主人が見えませんが、どちらへ?」
「趣味やってんのよ。見たい?」
「何ですか?」
「煙がもうもうよ」
「見たい、見たい」。3人そろって「見たい」を連発した。
Aさんはご主人と連絡をとりに行った。 どんなことをやっているのだろう。私たちは期待に胸を膨らませた。
「煙がもうもうだって、ワクワクするね」
「マジックかもしれないよ」
「口から火を吹いたりね…」
「だから、煙でもうもうなんだよ」
案内されて2階に上がるや否や、煙の正体を知ってガッカリした。
そこにはタバコをくわえ、熱心に仏像を彫るご主人の姿があった。 灰皿の上には吸殻がいっぱい。煙を立てているのもある。
傍には「五重塔の70分の1スケール銘木製模型キット」や、陽明門等の完成作品が置いてある。 部屋の中には置き切れず、作品の置いてある別の部屋にも案内された。
この家には部屋が10以上もある。しかも住人は二人だけ。作品は立派だし、ご主人のスキルもたいしたものだ。
しかし、それ以上に重要な役目を果たしているのは大きな家である。
狭いマンション住まいの私には思いもよらない趣味だ。人間は環境によって行動が左右される。私も大きな家に住んでいたら、別な人生を歩んでいたかもしれない。
「断水も終わったようだから、そろそろカラオケに行かない?」
と、Cさんが言った。
「せっかくだから、ここでゆっくりして行ってよ」
Aさんはワインを持って来た。
「せっかく地下鉄駅近くに来たのに、戻るのはねぇ」
と、ワインをチラリと見ながら私。
「もう、十分歓迎されたから。結構よ」と、Bさん。
アッ! そうだ。 今日は東京から3か月ぶりに帰って来たBさんの「歓迎カラオケパーテー」だったのだ。 どうやら皆さん思い出したようだ。
「歓迎カラオケ、流れちゃったわね」
「断水なのに?」