2008年06月30日
2008年06月29日
第1回野外彫刻清掃(実施)
2008/6/29
中島公園が一番にぎわう「札幌まつり」も終わり、次は札幌のイベントで一番にぎわう豊平川花火大会です。このような中で、「中島公園モニュメント研究会」が発足しました。
代表は「札幌彫刻美術館友の会会長」です。 このブログの管理人nakapaもお手伝いをすることになりました。
「中島公園モニュメント研究会」立ち上げのきっかけは去年の夏起こった「野外彫刻悪戯事件」です。 当面の活動は札幌市民共通の財産である中島公園の野外彫刻をきれいにすることです。
さっそく、第1回目の「中島公園の彫刻とモニュメントの清掃」が2008年6月29日9時から12時まで行われました。
札幌彫刻美術館友の会等の美術愛好者と中島公園近所の住民など中島公園ファンが共同して行う意義深いイベントとなりました。 全部で30人くらい参加しました。
単に清掃作業だけでなく、彫刻についての説明、そして、その彫刻を清掃する際の注意事項も聞きました。
彫刻の素材はブロンズ、コンクリート、御影石など、いろいろありますが、それぞれ性質が異なるので、別々の清掃法が必要なことが分かりました。
野外彫刻の清掃で重要な注意点が2点ありました。 彫刻を痛めないこと、怪我をしないこと。いずれも事前に聞いておかないと、おろそかになり易いことです。
彫刻がキレイになることが、何よりの喜びになった楽しい半日でした。
以前、私が運営している「中島パフェ」に「サクラマス」の情報をくださった、橋本さんから、今日の清掃の写真を提供して頂きました。 以下に、表示します。 説明文は私が付けさせてもらいました。

山内壮夫の「森の歌」は難物です。高すぎて大変。脚立を使ってもやっと半分。水をかけるのが精一杯でした。バケツでかけるのですから、並大抵ではありません。オリンピックの競技に入れたいくらいです。

「森の歌」で奮闘したので、大部慣れてきました。 これは「四翁表功碑」だそうです。 高いところの作業は若い人が積極的に登ってくれました。

山内壮夫の「猫とハーモニカ」です。耳が壊れています。コンクリート製なので、洗剤は使えません。優しく丁寧に拭いて上げなければなりません。 このくらいの高さだと彫刻を抱っこするような気分になれます。可愛く感じますよ。

同じく山内壮夫の「笛を吹く少女」。等身大で立っている感じです。かなり、背の高い少女です。笛はありません。最初からないのでしょうか?

山内壮夫の「母と子の像」です。管理人nakapaも穴の中に手を入れてコチョコチョッと拭いています。作業をしたり写真を撮ったり、相変わらず中途半端のボランティアです。おまけに写真は、まだ整理がつかず、一緒に参加していた橋本さんのをお借りしている始末です。

「母と子の像」はホントに可愛いですね。みんなでなぜ回しています。楽しみながらきれいになりますよ。

「木下成太郎先生像」は当時の彫刻会の第一人者、朝倉文夫の作品です。当時のプロンズ像は大砲にする為、潰されてしまいました。唯一残った貴重なブロンズ像です。しかし、台座はガタガタ、草が生え、像はカラスの糞まみれでした。
草取りから、水掛、カラ拭き、ワックスがけの一通りの作業で見違えるように、キレイになりました。

素晴らしいブロンズ像によみがえりました。今日の作業で一番満足の行く結果でした。みなさん、お疲れ様でした。そして、有難うございました。
以上、急いで書きました。間違い等あるかもしれません。後ほど修正することをお許しください。
代表は「札幌彫刻美術館友の会会長」です。 このブログの管理人nakapaもお手伝いをすることになりました。
「中島公園モニュメント研究会」立ち上げのきっかけは去年の夏起こった「野外彫刻悪戯事件」です。 当面の活動は札幌市民共通の財産である中島公園の野外彫刻をきれいにすることです。
さっそく、第1回目の「中島公園の彫刻とモニュメントの清掃」が2008年6月29日9時から12時まで行われました。
札幌彫刻美術館友の会等の美術愛好者と中島公園近所の住民など中島公園ファンが共同して行う意義深いイベントとなりました。 全部で30人くらい参加しました。
単に清掃作業だけでなく、彫刻についての説明、そして、その彫刻を清掃する際の注意事項も聞きました。
彫刻の素材はブロンズ、コンクリート、御影石など、いろいろありますが、それぞれ性質が異なるので、別々の清掃法が必要なことが分かりました。
野外彫刻の清掃で重要な注意点が2点ありました。 彫刻を痛めないこと、怪我をしないこと。いずれも事前に聞いておかないと、おろそかになり易いことです。
彫刻がキレイになることが、何よりの喜びになった楽しい半日でした。
以前、私が運営している「中島パフェ」に「サクラマス」の情報をくださった、橋本さんから、今日の清掃の写真を提供して頂きました。 以下に、表示します。 説明文は私が付けさせてもらいました。

山内壮夫の「森の歌」は難物です。高すぎて大変。脚立を使ってもやっと半分。水をかけるのが精一杯でした。バケツでかけるのですから、並大抵ではありません。オリンピックの競技に入れたいくらいです。

「森の歌」で奮闘したので、大部慣れてきました。 これは「四翁表功碑」だそうです。 高いところの作業は若い人が積極的に登ってくれました。

山内壮夫の「猫とハーモニカ」です。耳が壊れています。コンクリート製なので、洗剤は使えません。優しく丁寧に拭いて上げなければなりません。 このくらいの高さだと彫刻を抱っこするような気分になれます。可愛く感じますよ。

同じく山内壮夫の「笛を吹く少女」。等身大で立っている感じです。かなり、背の高い少女です。笛はありません。最初からないのでしょうか?

山内壮夫の「母と子の像」です。管理人nakapaも穴の中に手を入れてコチョコチョッと拭いています。作業をしたり写真を撮ったり、相変わらず中途半端のボランティアです。おまけに写真は、まだ整理がつかず、一緒に参加していた橋本さんのをお借りしている始末です。

「母と子の像」はホントに可愛いですね。みんなでなぜ回しています。楽しみながらきれいになりますよ。

「木下成太郎先生像」は当時の彫刻会の第一人者、朝倉文夫の作品です。当時のプロンズ像は大砲にする為、潰されてしまいました。唯一残った貴重なブロンズ像です。しかし、台座はガタガタ、草が生え、像はカラスの糞まみれでした。
草取りから、水掛、カラ拭き、ワックスがけの一通りの作業で見違えるように、キレイになりました。

素晴らしいブロンズ像によみがえりました。今日の作業で一番満足の行く結果でした。みなさん、お疲れ様でした。そして、有難うございました。
以上、急いで書きました。間違い等あるかもしれません。後ほど修正することをお許しください。
タグ:彫刻友の会
2008年06月28日
やはり男はつらいのだ
2008/6/28
男と言えば若いころは渡哲也だった。
「男の紋章」の高橋英樹、「網走番外地」の高倉健がヤクザの幹部が似合う俳優とすれば、渡哲也はチンピラがよく似合う俳優だと思う。
彼は「裕次郎二世」として期待されていたが、日活のアクション映画でもチンビラ役がピッタリだった。
そして極めつけは、実在のヤクザ石川力夫の生涯を描いた、第一回東映作品「仁義の墓場」。
この映画のキャッチコピーは
「おれが死ぬ時は カラスだけが泣く!」
石川は29歳で刑務所の屋上から身を投げて死んだ。
独房に残された遺書にはこう書いてあった。
「大笑い 30年の バカ騒ぎ」
昭和29年1月29日、自ら幕を引いた破滅の人生を彼らしく結んだつもりだろう。くしくも昭和年号と同じ29年だった。
この映画は渡哲也の病気療養後の第一作。
「病み上がりで本調子ではなかったが、それがかえって幸いして石川の不気味な迫力をいやが上にも増大した(Wikipedia)」
ひたむきで哀れなアウトロー。 チンピラ役がよく似合う渡哲也も、いい歳になったらどうなるのか心配だった。
それが警官役として大成功。 テレビドラマ「大都会シリーズ」「西部警察シリーズ」のことである。
とにかく、はまり役があってファンとしては一安心。 それでも「この先は?」と心配は尽きない。 これがファンというものだ。
しかし、テレビドラマ「熟年離婚」をみて、何をやっても似合う人だなと、認識を新たにした。
私の書いている「男のエッセイ」は哀れな男の物語のつもりだ。格好いい男でなく、不細工な男。強い男でなく弱い男。それでも一生懸命生きている情けない男に、共感するものがある。
才能がないから自分の経験しか書けない。そんなわけで不本意ながら、こう思うようになった。
やめればいいのに止められない。男はつらいよ。ホントにつらい。 生まれ変われるものならば、幸せ多き女になりたい。
もし、そのときが来るならば「女もつらい」と、思い知るだろう。
けっきょく、なれるものがない。
「言ったでしょ」。やはり「男はつらい」のだ。
「男の紋章」の高橋英樹、「網走番外地」の高倉健がヤクザの幹部が似合う俳優とすれば、渡哲也はチンピラがよく似合う俳優だと思う。
彼は「裕次郎二世」として期待されていたが、日活のアクション映画でもチンビラ役がピッタリだった。
そして極めつけは、実在のヤクザ石川力夫の生涯を描いた、第一回東映作品「仁義の墓場」。
この映画のキャッチコピーは
「おれが死ぬ時は カラスだけが泣く!」
石川は29歳で刑務所の屋上から身を投げて死んだ。
独房に残された遺書にはこう書いてあった。
「大笑い 30年の バカ騒ぎ」
昭和29年1月29日、自ら幕を引いた破滅の人生を彼らしく結んだつもりだろう。くしくも昭和年号と同じ29年だった。
この映画は渡哲也の病気療養後の第一作。
「病み上がりで本調子ではなかったが、それがかえって幸いして石川の不気味な迫力をいやが上にも増大した(Wikipedia)」
ひたむきで哀れなアウトロー。 チンピラ役がよく似合う渡哲也も、いい歳になったらどうなるのか心配だった。
それが警官役として大成功。 テレビドラマ「大都会シリーズ」「西部警察シリーズ」のことである。
とにかく、はまり役があってファンとしては一安心。 それでも「この先は?」と心配は尽きない。 これがファンというものだ。
しかし、テレビドラマ「熟年離婚」をみて、何をやっても似合う人だなと、認識を新たにした。
私の書いている「男のエッセイ」は哀れな男の物語のつもりだ。格好いい男でなく、不細工な男。強い男でなく弱い男。それでも一生懸命生きている情けない男に、共感するものがある。
才能がないから自分の経験しか書けない。そんなわけで不本意ながら、こう思うようになった。
やめればいいのに止められない。男はつらいよ。ホントにつらい。 生まれ変われるものならば、幸せ多き女になりたい。
もし、そのときが来るならば「女もつらい」と、思い知るだろう。
けっきょく、なれるものがない。
「言ったでしょ」。やはり「男はつらい」のだ。
2008年06月27日
2008年06月26日
たそがれて3割亭主
2008/6/26
野球なら3割打てば好打者だ。 しかし、亭主はどうだろう。「いいところが3割もある」と喜ぶべきか? 「7割嫌われた」と悲しむべきか? これが問題だ。
毎朝、中島公園にラジオ体操に通っていた。健康のためにである。 しかし努力もおよばず、腰痛で入院する羽目になってしまった。3年前ことだった。

2004年9月8日台風18号によりラジオ体操場は立入禁止となってしまった。それでも体操は中止にならなかった。もとより自主的にやっていることだから、誰にも中止にすることはできない。しかし、立入禁止の場所には入ってはいけないと思う。

「台風・倒木なんのその!」その心意気はよしとするが…。
「立入禁止なんのその! ここは私の体操場」。 う〜ん?
入院前は中島公園で力いっぱいラジオ体操をしていた。 だから、ダラダラとおしゃべりしながら体操する不真面目なシニアグループが目障りだった。
しかし、結果はどうだ。彼らはみんな、元気いっぱい休むことなく体操を続けている。けっきょく、力いっぱいまじめに体操していた私の方が、腰痛で入院してしまった。
このことを深く反省し、退院後はQPと一緒に、楽しくやるのが一番と思うようになった。
朝6時30分、ラジオからテーマミュージックが流れる。
「さあ!ラジオ体操だ」
私の体操準備はお世辞から始まる。 楽しいラジオ体操のためには必要な雰囲気作りのつもりだ。
「素晴らしいプロポーションですね。おなかもへこんでますよ」
「出てるわよ」とニッコリ。確かにポコッとでているが、キッパリと否定する。 これで楽しいラジオ体操の準備は完了だ。
目的はいうまでもなく健康の維持。 「成功のコツは成功者のまねをすることから始めよ」と聞いている。
中島公園の不真面目なシニアグループを見習い、QPと向かい合って話しながら体操をすることにした。
今朝の話題はニュースで聴いたばかりの死亡事故についてである。 小学生が天窓の上に乗ったら、ガラスが壊れ、落ちて死んだそうだ。 楽しい体操には相応しくない話題だが、QPが持ち出したのだから仕方がない。
「そんな所に乗る子が悪い」と、QPが得意の自己責任論。
「作るほうにも責任がありますよ」
体操をやりながらだから、イチ、ニイ、サン、シ、……、の合間に短い言葉でいわなければならない。 誤解の生じ易い状況である。
言いたいことは「建物を建てる以上、利用状況に応じた強度で造らなければならない。もし、不可能なら立入禁止など必要な制限をつけるべきだ」ということ。
しかし、QPは「作った人が悪い」と受け止めたらしい。それを自分の料理へと連想させ、いきなりかみ付いてきた。
「私が作った料理が多いと言って残すでしょ。 それなら自分で作ればいいのよ」
どうして、このような展開になるのか、理解できないが毎度のことだ。
「それとこれとは別でしょう」
「同じよ、あんたの兄弟はみんなそうなのよ。おにいさんも理屈っぽいしね!」
ケンカをしても相手の親類の悪口を言わないのがルールと思っていたが、簡単に侵してくる。それに、こんなに長々としゃぺっていては体操にならない。
「ホラホラ体操が音楽に合っていませんよ」
「後ろ向いてよ!」
今度はひと言だが厳しい注文だ。顔も見たくないということだろう。
「料理と事故は別でしょう」
「その話はもう終わったの!」
死亡事故の話はQPが持ち出したことだ。「小学生の自己責任」と言われても、「はい、そうですね」とは言いかねる。 造った者の責任も指導者の注意義務もあるのではないか。
これでは質問をしておいて、回答を遮るのと同じことではないか。 断じて許すわけには行かない! しかし、黙ってしまった。
何か言えば「しつっこいね!」と返されて、それでお仕舞いだ。
私が、後ろ向いたかどうかは別として、ラジオ体操は型どおり終了した。 勝ったQPは朝食の支度にかかった。
負けた私は、いつもの「紅茶サービス」をする気力も失い、自室にこもってしまった。
しばらくして、QPが呼びに来た。
「紅茶番いないから、コーヒーにしたよ」。 紅茶番とは私のことである。
「インスタントですね」
「当たり前よ。部屋で何していたの?」
「これからの人生について考えていました。この先二人でやっていけるのかとか…」
「どうして?」
「文句ばっかり言われているでしょう」
「そうかな〜? だけど7割くらい嫌いだから、言ってるかもしれない。 いいところは、3割くらいしかないよ」
毎朝、中島公園にラジオ体操に通っていた。健康のためにである。 しかし努力もおよばず、腰痛で入院する羽目になってしまった。3年前ことだった。

2004年9月8日台風18号によりラジオ体操場は立入禁止となってしまった。それでも体操は中止にならなかった。もとより自主的にやっていることだから、誰にも中止にすることはできない。しかし、立入禁止の場所には入ってはいけないと思う。

「台風・倒木なんのその!」その心意気はよしとするが…。
「立入禁止なんのその! ここは私の体操場」。 う〜ん?
入院前は中島公園で力いっぱいラジオ体操をしていた。 だから、ダラダラとおしゃべりしながら体操する不真面目なシニアグループが目障りだった。
しかし、結果はどうだ。彼らはみんな、元気いっぱい休むことなく体操を続けている。けっきょく、力いっぱいまじめに体操していた私の方が、腰痛で入院してしまった。
このことを深く反省し、退院後はQPと一緒に、楽しくやるのが一番と思うようになった。
朝6時30分、ラジオからテーマミュージックが流れる。
「さあ!ラジオ体操だ」
私の体操準備はお世辞から始まる。 楽しいラジオ体操のためには必要な雰囲気作りのつもりだ。
「素晴らしいプロポーションですね。おなかもへこんでますよ」
「出てるわよ」とニッコリ。確かにポコッとでているが、キッパリと否定する。 これで楽しいラジオ体操の準備は完了だ。
目的はいうまでもなく健康の維持。 「成功のコツは成功者のまねをすることから始めよ」と聞いている。
中島公園の不真面目なシニアグループを見習い、QPと向かい合って話しながら体操をすることにした。
今朝の話題はニュースで聴いたばかりの死亡事故についてである。 小学生が天窓の上に乗ったら、ガラスが壊れ、落ちて死んだそうだ。 楽しい体操には相応しくない話題だが、QPが持ち出したのだから仕方がない。
「そんな所に乗る子が悪い」と、QPが得意の自己責任論。
「作るほうにも責任がありますよ」
体操をやりながらだから、イチ、ニイ、サン、シ、……、の合間に短い言葉でいわなければならない。 誤解の生じ易い状況である。
言いたいことは「建物を建てる以上、利用状況に応じた強度で造らなければならない。もし、不可能なら立入禁止など必要な制限をつけるべきだ」ということ。
しかし、QPは「作った人が悪い」と受け止めたらしい。それを自分の料理へと連想させ、いきなりかみ付いてきた。
「私が作った料理が多いと言って残すでしょ。 それなら自分で作ればいいのよ」
どうして、このような展開になるのか、理解できないが毎度のことだ。
「それとこれとは別でしょう」
「同じよ、あんたの兄弟はみんなそうなのよ。おにいさんも理屈っぽいしね!」
ケンカをしても相手の親類の悪口を言わないのがルールと思っていたが、簡単に侵してくる。それに、こんなに長々としゃぺっていては体操にならない。
「ホラホラ体操が音楽に合っていませんよ」
「後ろ向いてよ!」
今度はひと言だが厳しい注文だ。顔も見たくないということだろう。
「料理と事故は別でしょう」
「その話はもう終わったの!」
死亡事故の話はQPが持ち出したことだ。「小学生の自己責任」と言われても、「はい、そうですね」とは言いかねる。 造った者の責任も指導者の注意義務もあるのではないか。
これでは質問をしておいて、回答を遮るのと同じことではないか。 断じて許すわけには行かない! しかし、黙ってしまった。
何か言えば「しつっこいね!」と返されて、それでお仕舞いだ。
私が、後ろ向いたかどうかは別として、ラジオ体操は型どおり終了した。 勝ったQPは朝食の支度にかかった。
負けた私は、いつもの「紅茶サービス」をする気力も失い、自室にこもってしまった。
しばらくして、QPが呼びに来た。
「紅茶番いないから、コーヒーにしたよ」。 紅茶番とは私のことである。
「インスタントですね」
「当たり前よ。部屋で何していたの?」
「これからの人生について考えていました。この先二人でやっていけるのかとか…」
「どうして?」
「文句ばっかり言われているでしょう」
「そうかな〜? だけど7割くらい嫌いだから、言ってるかもしれない。 いいところは、3割くらいしかないよ」
2008年06月25日
イージス艦事故の疑問
2008/6/25
私には分からないことがある。およそ4か月前に海上自衛隊のイージス艦と漁船が沈没し、2名の犠牲者を出した。 主因はイージス艦のずさんな監視体制にある。
衝突前後の当直士官2名が業務上過失致死の容疑で書類送検された。これは当然のことと思う。
イージス艦には衝突を避ける義務があり、一方漁船は針路保持船である。法律的に争う余地はまったくないと思う。
私の疑問は「これで本当に安全か?」という疑問である。 例えばイージス艦が針路を変更するのに5分かかるとしよう。
小さな漁船なら10秒〜30秒で進路変更できるという話を聞いている。あやふやな数字で申し訳ないが、小型船が大型船に比べて小回りが利くのは間違いない。
心配するのは、小型船があちらこちらに走っている混雑した海上で、大型船が、舵を切るのに5分もかけながら、右往左往したら危なくないかということである。
新聞には「衝突を回避すべきなのは小さな漁船の側だというおごりもあったのではないか」と書いてある。
針路保持船である小型船は大型船が衝突する方向に向って進んできたら怖くないのだろうか。 ぎりぎりまで針路を保持するのだろうか。 避けたくならないのだろうか?
数字には自信はないが、5分とはとてつもない長い時間だ。
自動車が衝突を避ける行動と比べると天文学的数字である。
法治国家では法律を守ることは前提。それに事故後の海上自衛隊の対応には極めて不満である。
しかし、本当にこれで安全なのだろうか。この疑問に対する回答は新聞を読んでいても、見つけることはできなかった。
衝突前後の当直士官2名が業務上過失致死の容疑で書類送検された。これは当然のことと思う。
イージス艦には衝突を避ける義務があり、一方漁船は針路保持船である。法律的に争う余地はまったくないと思う。
私の疑問は「これで本当に安全か?」という疑問である。 例えばイージス艦が針路を変更するのに5分かかるとしよう。
小さな漁船なら10秒〜30秒で進路変更できるという話を聞いている。あやふやな数字で申し訳ないが、小型船が大型船に比べて小回りが利くのは間違いない。
心配するのは、小型船があちらこちらに走っている混雑した海上で、大型船が、舵を切るのに5分もかけながら、右往左往したら危なくないかということである。
新聞には「衝突を回避すべきなのは小さな漁船の側だというおごりもあったのではないか」と書いてある。
針路保持船である小型船は大型船が衝突する方向に向って進んできたら怖くないのだろうか。 ぎりぎりまで針路を保持するのだろうか。 避けたくならないのだろうか?
数字には自信はないが、5分とはとてつもない長い時間だ。
自動車が衝突を避ける行動と比べると天文学的数字である。
法治国家では法律を守ることは前提。それに事故後の海上自衛隊の対応には極めて不満である。
しかし、本当にこれで安全なのだろうか。この疑問に対する回答は新聞を読んでいても、見つけることはできなかった。
2008年06月24日
札幌まつり準備の風景
2008/6/24
「札幌まつり準備編纏め」
5月28日から6月14日早朝「札幌まつり」開催寸前までを纏めました。2008年5月28日の中島公園です。22日に園芸市が終わると直ぐにお祭り準備。ここは札幌コンサートホール・キタラ近くの自由広場です。

自由広場には見世物小屋、お化け屋敷、サーカス小屋が建ちます。その他、マジックハウスや子供たちが喜ぶゲーム小屋などが設置されます。札幌まつりの準備は小屋の設置から始まります。

2008年6月4日お祭り準備の中島公園
向こうに見えるのが藻岩山です。今、露店の照明のためなどに使う電気の配線をしています。お祭りは14日です。後10日ですね。

ポールはともかく、電柱はどうやって立てるのでしょうか? お答えいたします。推測ですが(笑)。黒いのは蓋。それを取ると深い穴が開いている。そこに電柱を差し込む。さて、どうでしょう?皆さんはどう考えますか。


自由広場には見世物小屋、お化け屋敷、サーカス小屋が建ちます。その他、マジックハウスや子供たちが喜ぶゲーム小屋などが設置されます。札幌まつりの準備は小屋の設置から始まります。

2008年6月4日お祭り準備の中島公園
向こうに見えるのが藻岩山です。今、露店の照明のためなどに使う電気の配線をしています。お祭りは14日です。後10日ですね。

ポールはともかく、電柱はどうやって立てるのでしょうか? お答えいたします。推測ですが(笑)。黒いのは蓋。それを取ると深い穴が開いている。そこに電柱を差し込む。さて、どうでしょう?皆さんはどう考えますか。

2008年6月11日あと三日で札幌祭り
お化け屋敷は工事中です。営業前に中を覗いては面白くないですね。なかは暗いままにしておきましょう。ここはフリマでお馴染みの自由広場。オートバイサーカスや、見世物小屋、マジックハウス、その他、お子様の喜びそうなゲームなどがあります。

お祭りのサポート施設もだいぶ出来上がってきました。トイレなども増設されました。公園中電線が張りめぐらされ、臨時の水道も用意されました。話し変わりますが、ワンワンが遊ぶ芝生の広場に新しい日時計が設置されました。

お祭り直前の中島公園 2008年6月14日早朝撮影
朝5時半ころからお祭り前の中島公園を撮影、カラスが多かった。お祭り準備完了。今は8時45分だが、準備も追い込み、関係者への連絡だろうか。家まで拡声器の音が聞こえてくる。
見世物小屋の並ぶ自由広場です。

オートバイサーカスは自由広場にあります。料金は大人700円

お化け屋敷は2軒あります。 自由広場。

見世物小屋も自由広場にあります。現代版だそうです。

地下鉄幌平橋駅から自由広場に向う園路です。開店前の早朝です。

正面の左が、お化け屋敷などがある自由広場です。カラスが多くなりました。

焼きそば店です。値段の参考にして下さい。

いろいろなゲームもあります。後ろは文学館です。

お祭りの日はボートも混みます。

人形劇場こぐま座近くです。「さっぽろ祭り」公演もあります。

売店Midoriは菖蒲池の北側です。

護国神社はお祭りのための駐車場です。一般の方は駐車できません。

タグ:札幌まつり
2008年06月23日
菖蒲池に鯉が戻ってきた
2008/6/23
菖蒲池に鯉が戻ってきた。
このページには順次続報を掲載することにする。鯉がいるのが珍しいわけではないが、2006年4月のように、全ての鯉が前触れもなく突然消えたりするのは異常だ。目が離せない状態である。
8月2日 豊平館前池の西岸、ときどき遠出をして売店ミドリ(菖蒲池北側)付近で見ることもあるが、ほとんど豊平館前の池にいる。流れの悪い片隅がお気に入りの場所らしい。全部で10匹前後と思う。正確には分からないが、もう少し欲しいところだ。

7月15日夕方 豊平館前の池の西岸に赤い鯉3匹、ピンク1匹、白1匹まとまっているのを、3年ぶりに観た。 黒い鯉は水が濁っているので、いるかいないか分からない。
7月11日早朝散歩 久しぶりに雨が降った。豊平館前の池の西端ばかりにかたまっていた鯉が、分散を始めたよううだ。16時ごろだが菖蒲池北側、売店ミドリの近くに赤1匹、黒3匹いた。
7月6日早朝散歩 やはり鯉は同じ場所にいた。ゴミがいっぱいあってよく見えないのだ。しかし、ゴミが鯉の動きに合わせるように動き、ときどきチラリと鯉の姿が見える。
やはり、いつもの場所にいつもの鯉がいるようだ。 池は広いのに何で泳いでいかないのか不思議だ。 鯉の習性はこんなものなのか。
7月3日朝の6時ごろ豊平館前の池に行ってみたが、いつもの場所で鯉を見ることはできなかった。 朝早いので寝ているのかもしれない? とにかく、今までは同じ場所で毎回見ることができた。
6月29日これは初めての鯉、同じ場所で撮影。

6月27日同じ場所で撮影。何故か鯉がよそに行かない。


6月25日14時15分
豊平館前の池、西側(いつもの所)に黒9匹、赤1匹、白小1匹、計11匹確認。
6月24日、写真3枚を追加。

23日と同じく豊平館前の池。いつまで生存するか、増えるのか減るのか、観察を続けたい。

同じく豊平館前の池。左下に黒い鯉が2匹見える。

鴨々川、キタラの裏。この川と中島公園内の池との行き来はできない。川には沢山の柵があり大きな鯉がくぐり抜けることはできない。
中島公園内の池でまとまった鯉をみたのは2年半ぶりである。 6月23日9時19分のことだが、実際に入ったのはもっと前のはずだ。いつだろうか? 「お知らせ」がないので分からない。
2006年5月ごろ鯉が一匹もいないことに気が付いた。そのときも「お知らせ」がないから分からない。突然消えた感じだった。
とにかく戻ってきて嬉しい。泳いできたか、車に乗ってきたかわからないけれど、鯉が居るのを見ることができた。
豊平館前の池の西端にたくさんの鯉が居た。他の池も見てみたが、急いでいたので余り見れなかった。 しかし、菖蒲池の南西側でも1匹、大きい黒いのを見ることができた。 一回りすればいっぱい見れたかもしれない。
12時過ぎに行ってみると豊平館前の池にはいたが、それ以外の菖蒲池では目にすることが出来なかった。豊平館前の池では10匹程度居たと思う。

豊平館前の池、朝9時過ぎにはもっと沢山いたと記憶している。

池が濁っていて見にくいが、拡大してみた。
それだけの話だろうか。よく分からない。たとえ10匹程度としても、2006年春、突然全ての鯉が姿を消して以来、初めてのことである。

豊平館前の池でいろいろ撮ってみた。池が濁っていることもあってはっきりは見えないが、証拠写真のつもり。

実際は、黒い鯉の方が多いのだが、池が濁っているので近くのしか見えない。

少し離れると、こんな感じ。動いているので撮った私は分かるが、写真では鯉と判別できない。

こんなオジサンもいるから、撮影し難い。朝来たときはオジサンの前のあたりに沢山いた。
2年以上も居なかった鯉がなぜ姿を現したのか不思議な出来事である。酸欠で全滅して、それでは淋しいから、いくらか放流したと考えれば不思議でも、何でもない。
しかし、そのような話は、かけらほども聞いたことがない。公園の散歩者の噂話は別として。
ついでだが、親子ガモは豊平館前の池に5羽を連れたのと、近くの橋の近くで、岸に上がった、6羽連れを見た。
このページには順次続報を掲載することにする。鯉がいるのが珍しいわけではないが、2006年4月のように、全ての鯉が前触れもなく突然消えたりするのは異常だ。目が離せない状態である。
8月2日 豊平館前池の西岸、ときどき遠出をして売店ミドリ(菖蒲池北側)付近で見ることもあるが、ほとんど豊平館前の池にいる。流れの悪い片隅がお気に入りの場所らしい。全部で10匹前後と思う。正確には分からないが、もう少し欲しいところだ。

7月15日夕方 豊平館前の池の西岸に赤い鯉3匹、ピンク1匹、白1匹まとまっているのを、3年ぶりに観た。 黒い鯉は水が濁っているので、いるかいないか分からない。
7月11日早朝散歩 久しぶりに雨が降った。豊平館前の池の西端ばかりにかたまっていた鯉が、分散を始めたよううだ。16時ごろだが菖蒲池北側、売店ミドリの近くに赤1匹、黒3匹いた。
7月6日早朝散歩 やはり鯉は同じ場所にいた。ゴミがいっぱいあってよく見えないのだ。しかし、ゴミが鯉の動きに合わせるように動き、ときどきチラリと鯉の姿が見える。
やはり、いつもの場所にいつもの鯉がいるようだ。 池は広いのに何で泳いでいかないのか不思議だ。 鯉の習性はこんなものなのか。
7月3日朝の6時ごろ豊平館前の池に行ってみたが、いつもの場所で鯉を見ることはできなかった。 朝早いので寝ているのかもしれない? とにかく、今までは同じ場所で毎回見ることができた。
6月29日これは初めての鯉、同じ場所で撮影。

6月27日同じ場所で撮影。何故か鯉がよそに行かない。


6月25日14時15分
豊平館前の池、西側(いつもの所)に黒9匹、赤1匹、白小1匹、計11匹確認。
6月24日、写真3枚を追加。

23日と同じく豊平館前の池。いつまで生存するか、増えるのか減るのか、観察を続けたい。

同じく豊平館前の池。左下に黒い鯉が2匹見える。

鴨々川、キタラの裏。この川と中島公園内の池との行き来はできない。川には沢山の柵があり大きな鯉がくぐり抜けることはできない。
中島公園内の池でまとまった鯉をみたのは2年半ぶりである。 6月23日9時19分のことだが、実際に入ったのはもっと前のはずだ。いつだろうか? 「お知らせ」がないので分からない。
2006年5月ごろ鯉が一匹もいないことに気が付いた。そのときも「お知らせ」がないから分からない。突然消えた感じだった。
とにかく戻ってきて嬉しい。泳いできたか、車に乗ってきたかわからないけれど、鯉が居るのを見ることができた。
豊平館前の池の西端にたくさんの鯉が居た。他の池も見てみたが、急いでいたので余り見れなかった。 しかし、菖蒲池の南西側でも1匹、大きい黒いのを見ることができた。 一回りすればいっぱい見れたかもしれない。
12時過ぎに行ってみると豊平館前の池にはいたが、それ以外の菖蒲池では目にすることが出来なかった。豊平館前の池では10匹程度居たと思う。

豊平館前の池、朝9時過ぎにはもっと沢山いたと記憶している。

池が濁っていて見にくいが、拡大してみた。
それだけの話だろうか。よく分からない。たとえ10匹程度としても、2006年春、突然全ての鯉が姿を消して以来、初めてのことである。

豊平館前の池でいろいろ撮ってみた。池が濁っていることもあってはっきりは見えないが、証拠写真のつもり。

実際は、黒い鯉の方が多いのだが、池が濁っているので近くのしか見えない。

少し離れると、こんな感じ。動いているので撮った私は分かるが、写真では鯉と判別できない。

こんなオジサンもいるから、撮影し難い。朝来たときはオジサンの前のあたりに沢山いた。
2年以上も居なかった鯉がなぜ姿を現したのか不思議な出来事である。酸欠で全滅して、それでは淋しいから、いくらか放流したと考えれば不思議でも、何でもない。
しかし、そのような話は、かけらほども聞いたことがない。公園の散歩者の噂話は別として。
ついでだが、親子ガモは豊平館前の池に5羽を連れたのと、近くの橋の近くで、岸に上がった、6羽連れを見た。
タグ:事件事故
2008年06月22日
野外彫刻の写真掲載
2008/6/22
中島公園で撮った5枚の写真が2008年6月20日発行の札幌コンサートホール・キタラ会報誌「キタラクラブVol.38」に掲載されました。このページにアップしたのは、同じ場所で撮った別の写真です。キタラの方から文学館に向う途中にあります。この写真では見えないが、手前が「猫とハーモニカ」像です。
「キタラクラブ」にはバラに囲まれた「鶴の舞」だけが大きな写真で、残りの4枚はサムネイルのような小さなサイズで載っていました。この5枚に写っている彫刻は、いずれも岩見沢で生まれた山内壮夫の作品です。
「キタラクラブ」にはバラに囲まれた「鶴の舞」だけが大きな写真で、残りの4枚はサムネイルのような小さなサイズで載っていました。この5枚に写っている彫刻は、いずれも岩見沢で生まれた山内壮夫の作品です。
彼は東京高等工芸学校彫刻科を卒業し、本郷新と活動を共にした作家です。代表作品は札幌市大通西1の「希望」像でしょう。大通西2には「花の母子像」があります。中島公園には児童会館前に「森の歌」、中島公園ほぼ中央にある芝生の広場に残りの4点があります。

「鶴の舞」コンクリート 中島公園ほぼ中央の芝生の広場。香りの広場の池(北)側。

「森の歌」はブロンズ像に鋳造して百花園(今の「香りの広場」)から中島児童会館前に設置された。

「鶴の舞」コンクリート 中島公園ほぼ中央の芝生の広場。香りの広場の池(北)側。

「森の歌」はブロンズ像に鋳造して百花園(今の「香りの広場」)から中島児童会館前に設置された。

「母と子の像」は「香りの広場」にある。

「笛を吹く少女」は「香りの広場」の東側にあり、藻岩山方面を見ている。

「猫とハーモニカ」は「香りの広場」の北側に「鶴の舞」と並んで設置されている。
今年は山内壮夫生誕100年ですが、その意義深い年に、彼の作品5点の写真を、裏表紙に載せて頂いたことは、私にとって一生の思い出と言っても過言ではありません。昨年の「札幌まつり」の最終日の夜、「母と子の像」が悪戯で倒されました。その後、「笛を吹く少女」と共に像を花火で焼かれる被害にも遭いました。
その「事件」をきっかけに中島公園を奇麗にしようという趣旨で「中島公園公園モニュメント研究会」(代表、札幌彫刻美術館友の会 橋本会長)が立ち上げられました。来る6月29日に第1回目の「野外彫刻清掃」を行う予定です。 美術愛好者と中島公園愛好者が共同で行う初めての市民運動です。この時期に「キタラクラブ」に掲載されたことは、大変意義深いことと感じています。
タグ:彫刻友の会
2008年06月21日
豊平川花火大会予定
2008/6/21
今年の豊平川花火大会予定
中島公園の東側を札幌の母なる川、豊平川が流れている。 そこで毎年開かれる「豊平川花火大会」は札幌最大のイベントではないだろうか。

毎年、北海道新聞、朝日新聞、読売新聞の主催で開催されていたが、夕張市が財政破綻した去年の「読売花火大会」は夕張で行われた。夕張市応援のためと思う。
このような訳で毎年3回、7月に開かれていた豊平川花火大会は去年は2回だった。今年も昨年に引き続き読売花火大会は夕張市で開催されることになった。
豊平川花火大会が2回に減ってしまったことは残念だが、夕張の状況を考えると仕方がない。というよりも、その方がいいと前向きに捉えたい。
道新花火大会、朝日花火大会については次のように決まっている。
道新・UHB花火大会(約4,000発)
7月25日(金) 19:40〜20:45(予定) 問い合わせ 北海道新聞社事業局 電話 011-210-5732
朝日新聞・HTB花火大会(約3,000発)
8月1日(金) 19:45〜20:40(予定) 問い合わせ 朝日新聞・HTB花火大会事務局
札幌の夏の風物詩として定着した花火大会は2週連続で金曜日に行われる。 豊平川南大橋(南9条)付近から、数千発の花火を夜空に打ち上げる予定である。
こちらもクリック→ 豊平川花火大会は中島公園でい見よう!
中島公園の東側を札幌の母なる川、豊平川が流れている。 そこで毎年開かれる「豊平川花火大会」は札幌最大のイベントではないだろうか。

毎年、北海道新聞、朝日新聞、読売新聞の主催で開催されていたが、夕張市が財政破綻した去年の「読売花火大会」は夕張で行われた。夕張市応援のためと思う。
このような訳で毎年3回、7月に開かれていた豊平川花火大会は去年は2回だった。今年も昨年に引き続き読売花火大会は夕張市で開催されることになった。
豊平川花火大会が2回に減ってしまったことは残念だが、夕張の状況を考えると仕方がない。というよりも、その方がいいと前向きに捉えたい。
道新花火大会、朝日花火大会については次のように決まっている。
道新・UHB花火大会(約4,000発)
7月25日(金) 19:40〜20:45(予定) 問い合わせ 北海道新聞社事業局 電話 011-210-5732
朝日新聞・HTB花火大会(約3,000発)
8月1日(金) 19:45〜20:40(予定) 問い合わせ 朝日新聞・HTB花火大会事務局
札幌の夏の風物詩として定着した花火大会は2週連続で金曜日に行われる。 豊平川南大橋(南9条)付近から、数千発の花火を夜空に打ち上げる予定である。
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タグ:豊平川花火