2008/4/18
「中島公園新着情報」には、何でも好きなことを書いています。ユーモアを大切にしていると言いながら、二つも堅苦しい話題を続けてしまいました。ジョークのかけらもなくて、すみません。
今日こそ柔い話題をと思っていたのに、ビッグニュースが入ってしまいました。今朝の新聞に「戦争放棄条項を初判断、判決確定の見通し」との見出しが躍っていました。日頃、笑って暮せるのも、平和のお陰と思っています。戦争放棄条項について初めて司法判断が示されたのです。硬い話で恐縮ですが、お付き合い下さい。
4月17日、名古屋高裁は自衛隊のイラク派遣差止め訴訟で「武力行使を禁じたイラク特措法や憲法9条に違反する活動を含んでいる」と結論付けました。平和の為に一歩前進とは思いますが、これで安心とはまいりません。「だから、九条は改正しなければいけない」という声が必ず上がってきます。
民主国家で議論は自由ですがウソはいけません。「憲法九条は米国の押し付け」というのは巧妙なウソだと思います。米国が深く関与したことは事実としても、「押し付け」とは言えません。米国の意図はともかく、「これからは戦争しなくてよい」と思ってみんな喜んでいたのです。
人の嫌がることをするのが「押し付け」ではないでしょうか。人の喜ぶことでは押し付けにはなりません。当時の日本人は心から喜んでいたのです。少し想像力を働かせれば分かることです。戦争で苦しめられて、家族・友人の命まで奪われて、挙句の果ての敗戦です。
戦争放棄条項を読んで「戦争をしない国になれた」ことを知り、国民は喜ばずにはいられません。たとえ、米国の方針だとしても、押し付けられたと感じる人がいる訳がありません。しかし、いつの世にも例外的な人達はいます。戦争のお陰でいい思いをした人、敗戦によって利権を失った人。日本を戦争に導いた人達等です。
敗戦にも関わらず、東西冷戦の影響で、彼らの勢力が温存されてしまいました。後に総理大臣になった人もいるほどです。憲法九条を歓迎する中でも0.1%以下の、ごく少数の人たちは、再び戦争の出来る国にすることを望み、九条の制定を苦々しく思っていました。0.1%と言っても、侮れません。金と権力のある10万人です。1万人かも知れません。いずれにしろ、ごく少数です。
今回、名古屋高裁により戦争放棄条項に初めて判断が示されました。このリアクションとして「だから、九条は改正しなければいけない」という声が大きくなってくると思います。更に「憲法九条は米国の押し付け」との意見がマスコミを賑わすことになると思います。しかし、事実でないのでキチンと証明されることはありません。だからこそ、ネガティブ・キャンペーンが検証されることなく垂れ流されるのです。
憲法論争はこれからが本番です。今までは右だろうと、左だろうと、戦争の苦痛を味わった人達が世論をリードしていました。「最後の一線は踏み越えないだろう」という安心感がありました。しかし、今の指導者は戦争をまったく知りません。悲惨さを体験したことがないので、外交やビジネスの延長のように考えています。戦争の本質が恐怖、悲惨、裏切り、殺戮であることを実感していないから、戦争を自分の死と関連付けて考えられないのです。
敗戦後の非戦の誓いを、前世代より引き継いで、一人ひとりの心の中でもっていなければならなりません。戦争放棄を押し付けなどと感じた人はいなかったのです。これだけは事実です。一握りの権力者は別として。以上、今朝の新聞を読んで私の感じたことを書かせてもらいました。
話し変わりますが、最近の中島公園です。

鴨々川にかかる公園橋近くのクロッカス。向こうに見えるのは札幌コンサートホール・キタラです。
今日こそ柔い話題をと思っていたのに、ビッグニュースが入ってしまいました。今朝の新聞に「戦争放棄条項を初判断、判決確定の見通し」との見出しが躍っていました。日頃、笑って暮せるのも、平和のお陰と思っています。戦争放棄条項について初めて司法判断が示されたのです。硬い話で恐縮ですが、お付き合い下さい。
4月17日、名古屋高裁は自衛隊のイラク派遣差止め訴訟で「武力行使を禁じたイラク特措法や憲法9条に違反する活動を含んでいる」と結論付けました。平和の為に一歩前進とは思いますが、これで安心とはまいりません。「だから、九条は改正しなければいけない」という声が必ず上がってきます。
民主国家で議論は自由ですがウソはいけません。「憲法九条は米国の押し付け」というのは巧妙なウソだと思います。米国が深く関与したことは事実としても、「押し付け」とは言えません。米国の意図はともかく、「これからは戦争しなくてよい」と思ってみんな喜んでいたのです。
人の嫌がることをするのが「押し付け」ではないでしょうか。人の喜ぶことでは押し付けにはなりません。当時の日本人は心から喜んでいたのです。少し想像力を働かせれば分かることです。戦争で苦しめられて、家族・友人の命まで奪われて、挙句の果ての敗戦です。
戦争放棄条項を読んで「戦争をしない国になれた」ことを知り、国民は喜ばずにはいられません。たとえ、米国の方針だとしても、押し付けられたと感じる人がいる訳がありません。しかし、いつの世にも例外的な人達はいます。戦争のお陰でいい思いをした人、敗戦によって利権を失った人。日本を戦争に導いた人達等です。
敗戦にも関わらず、東西冷戦の影響で、彼らの勢力が温存されてしまいました。後に総理大臣になった人もいるほどです。憲法九条を歓迎する中でも0.1%以下の、ごく少数の人たちは、再び戦争の出来る国にすることを望み、九条の制定を苦々しく思っていました。0.1%と言っても、侮れません。金と権力のある10万人です。1万人かも知れません。いずれにしろ、ごく少数です。
今回、名古屋高裁により戦争放棄条項に初めて判断が示されました。このリアクションとして「だから、九条は改正しなければいけない」という声が大きくなってくると思います。更に「憲法九条は米国の押し付け」との意見がマスコミを賑わすことになると思います。しかし、事実でないのでキチンと証明されることはありません。だからこそ、ネガティブ・キャンペーンが検証されることなく垂れ流されるのです。
憲法論争はこれからが本番です。今までは右だろうと、左だろうと、戦争の苦痛を味わった人達が世論をリードしていました。「最後の一線は踏み越えないだろう」という安心感がありました。しかし、今の指導者は戦争をまったく知りません。悲惨さを体験したことがないので、外交やビジネスの延長のように考えています。戦争の本質が恐怖、悲惨、裏切り、殺戮であることを実感していないから、戦争を自分の死と関連付けて考えられないのです。
敗戦後の非戦の誓いを、前世代より引き継いで、一人ひとりの心の中でもっていなければならなりません。戦争放棄を押し付けなどと感じた人はいなかったのです。これだけは事実です。一握りの権力者は別として。以上、今朝の新聞を読んで私の感じたことを書かせてもらいました。
話し変わりますが、最近の中島公園です。

鴨々川にかかる公園橋近くのクロッカス。向こうに見えるのは札幌コンサートホール・キタラです。