2008年03月05日

イージス艦事故

2008/3/5

「イージス艦事故」         
〜イージス艦事故と隠蔽体質について〜

「海底で清徳丸の操舵室が発見されました」
「二人はいまだに行方不明だな」

「ホームレスに魚を届けていた優しい『魚のお兄さん』とそのお父さん。何とか助かってほしいですね」
「だいぶ、日がたっているからなぁ」

「未開の海洋民族にカヌーか何かで助けられて、南海の楽園で幸せに暮らしているとか……」
「無理だな」

「地理上の発見が、隅々までと行き渡っているとはは限らないでしょ」
「そう思いたいけどね」

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今回の事故で顕著に現れているのが海上自衛隊の隠蔽体質である。この体質は海自の生い立ちと関連があると思う。

陸上自衛隊の母体である警察予備隊発足のときは旧軍関係者は排除されている。

ところが、海上自衛隊の場合は旧海軍軍人をそのままの階級で海自にスライド入隊させた。例えば海軍大尉なら一等海尉、海軍一等兵曹なら一等海曹として。

陸上自衛隊が新しい組織として発足したのに対し、海上自衛隊は旧海軍組織を引き継ぐ形で発足した。 母体は米海軍将校グループを約10人の旧日本海軍将校を増強することから始まった。

敗戦後の海軍の主な仕事は日米両軍によりバラ撒かれた大量の機雷の掃海であり、航路啓開隊(第二復員省)が、その任に当たった。その後掃海隊(海上保安庁)と名称を変えた。

掃海隊は海上保安庁から分離された海上警備隊の所属になり、更に海上自衛隊となった。 その為、初期の海上自衛隊のリーダーは海軍兵学校(兵科将校の養成機関)出身の旧海軍軍人が主流であった。

太平洋戦争時代の海軍は開戦後数ヶ月までは模範的な組織だった。しかし、1942年5月に発令されたミッドウエイ作戦の大敗北以来、隠蔽に隠蔽を重ねるようになってしまった。

命をかけて身体に染み付いてしまった隠蔽体質は、ちょっとやそっとで取れるものではない。代が変わってもその「伝統」は引き継がれ、現代に至っている。 

不祥事や事故があった場合、再発防止を考える代わりに、どうやって隠そうかと考える。

大抵は上手く行くのだが、今回の場合はGPSやレーダーを装備した漁船群が相手だから、隠しようもない。隠蔽がいつも失敗するなら誰も隠蔽などしない。

しかし、隠蔽がバレるのは、まさに氷山の一角である。 日常的に隠蔽の成功をくりかえしているから癖になり、今回のような無理な隠蔽も、ついしてしまうことになる。

元々秘密事項の多い艦船は隠蔽し易い環境にある。秘密性の高い順に「機密」「極秘」「秘」「部外秘」などに別れている。 隠蔽範囲も同じ班、同じ科、同じ艦、自衛艦隊、海上自衛隊全体等、組織の大きさに応じて定められていると思う。

これが今回の事故の私の感想であり、見解である。うがちすぎだろうか。

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「久しぶりの我家の暮らしはいいもんだろう」
「はい、QPも病み上がりの私をいたわってくれます」
「そりゃよかったな。QPさんに感謝しろよ」

「もちろんです。しかし、緊張感は欠かせません」
「なんで?」
「危険極まりない『夫婦船』です。いつ衝突するか分かりません」
「あんたの隠蔽体質が問題なんだよ」
タグ:事件事故
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記