2008年03月11日

男は辛いよ女は強いよ

2008/3/11

「男は辛いよ女は強いよ」         
〜男はつらいよ、女はつよいよ〜

「女性はなぜ長生きか?」。 この答を病院の中で見つけた。 
素直が一番。 自分の気持を正直に伝えられるからだ。

太平洋戦争中の潜水艦の水中速力は輸送船より遅い。従って潜水艦作戦は、敵が来そうな場所で待機する「待ち伏せ作戦」が基本だ。
入院中、居場所はベッド一つの私にとって、広い食堂は太平洋のようなものだ。自動給茶機があるので、人の寄るルートにもなっている。夜の夜長は潜水艦のように、ここで静かに待ち伏せ作戦をすることにした。

同室のA君が献立表を見に来た。確認するように見ては直ぐ帰るのだ。こんど来たら笑わせてやろうと、待ち構えていた。 
私はノロマだから冗談が言えない。思いついた頃には話題が先に進んでしまうのだ。 しかし、今回は違うぞ。考える時間がたっぷりある。
A君はたしか「ブタのレバーが嫌い」と言っていたな。 ブタとレバーの二つをキーワードにしよう。 歌にして節をつけたらもっと面白いだろう。 

やはり来た。彼の頭の中は食事のことでいっぱいだ。いつもそうなのだ。 A君、献立表を見て、「ちぇっ。レバーか」と、さっきと同じようにつぶやいた。

待ってましたとばかりに節をつけて歌ってみた、「なんかい見ても いっしょです〜♪ レバーはレバー ブタはブタ〜♪」。 A君ニコリともしない。 これは辛いし、腹も立つ。 

自分が機嫌いい時は、つまらない噂話をペラペラ喋るくせに、人がゴキゲンなときは知らん振り。四十過ぎたというのに、まるで子供だ。こんな勝手な人とは思わなかった。

かなり流行った「美貌の都」だが、ちょっと古かったかも知れない。 1957年映画の主題歌で宝田明が歌っていた。

「すったもんだと 言ったとて〜♪ 嫌いは嫌い 好きは好き〜♪ ……」字数を合わせるのに、かなり苦労した。 A君まだ生まれていなかったし、分かりにくかったかも知れない。

 「あんたホントにアホやな」。 牢名主と自称する長期入院のBさん。
「何でですか! 古かったかも知れないと反省してるじゃないですか」

「ヤッコさんはな、間違いであってほしい。と期待して見に行くんだよ」
「そうだったのですか」

「どうかレバーじゃないようにと念じながら、献立表を確認するのだ」
「悪うございました。A君に秘蔵の梅干を上げて、機嫌直してもらいます」

クリックすると元のサイズで表示します
       中島公園木とその影が好き

コッコッと足音がするので反射的に顔を向けると目があってしまった。 ニッコリ笑って「こんばんは」と言った。 これがキッカケで年配の女性とお話をすることになった。

「私、何の為に一人でガンパッテきたのでしょうね」
彼女は定年まで働いて、その後は新築のマンションを買って一人暮らしをしていたそうだ。

「主人は64歳で亡くなったけれど、貴方に似て前ハゲなの。何だか懐かしいのよ」
「そうですか」
こんな頭でも人様の役に立つことがあるのかと、少しは見直した。

「この歳で初めて入院したの。上と下が悪くてね」
「上と下ですか?」
「吐き気と下痢よ。こんなにやせちゃった」
「大変ですね」

「昨日甥が来て、車で篠路の方に連れて行かれたの。老人ホームみたいな所なのよ」
「一緒に歩いていた方ですね。 お子さんかと思いました」
「子供はいないし、迷惑かけられないからね。入らなければならないと思ってるの」
「気が進まないようですね」

「今まで一人で頑張って来たからね」
「せっかく築いた自分の城を明け渡すようなものですね」
「寂しいよね」
「寂しいですね」

「何か書いていたのでしょ。 邪魔して悪かったね」
「いいんですよ。暇つぶしですから」
「話したら、なんだか気が晴れたわ。ありがとね」
「それは良かったですね。叉、話しましょう」

「あらっ! なに書いてるの。ちょっと見せてよ」
「嫌ですよ! 日記ですから」
おばあさんには敵わない。断ったのに、近寄ってのぞいた。

「書きなれているじゃない」
「下手です。字なんか書いたことありません。いつもワードを使っています」
「この字違っているよ。 直してあげる」
「いいですよ。後でワードが直してくれるから」
「ワダさん?」

タイミングよく、食堂に年配の女性が入って来た。
「お友達みたいですよ」
「あの人、夕べ廊下に立っていて、入院したばかりで、話し相手がいないのと言うのよ」
「そうですか」

「話し終わると、話してくれてありがと。とお礼を言うの」と、言うが早いか私を置いて、お喋りに行ってしまった。昨日会ったばかりというのに、まるで10年来の親友のようだ。

クリックすると元のサイズで表示します
       中島公園凍結した菖蒲池

「女性は素直に自分の気持を言えるから羨ましいですね」
「あんたもそうすればいいじゃないか」
「『ボク、話し相手がいないから 寂しいの』。なんて言えませんよ」
「それもそうだな、男はつらいな」

「廊下に立って、歩いている人を捉まえて言うんです」
「あんたにもか?」
「いえ、私は見ていただけです。 直ぐに話相手できましたよ」
「凄いね。ちょっと立ちんぼしただけで……」

「私なんか食堂の片隅で15日もですよ」
「例の待ち伏せ作戦か。叉、何か名前付けたんだろう」
「オペレーション・サブマリンです」と、胸をはる。
「潜水艦作戦のつもりかい。あいかわらず好きだね」

「私が潜水艦でね。給水にくる輸送船を待ち伏せするんですよ」
「つまり、食堂にお茶を飲みに来る人を待っているわけだな」
「一人でですよ。 潜水艦ですから」

「もっと気軽に『こんばんは、寒いですね』とか言えんのかい」
「食堂は暖かいですよ」

「それなら『調子はどうですか』とか聞けばいいじゃないか」
「調子はみんな悪いんです」
「みんな?」
「病人ですからね」
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年03月10日

2月10日のキタラ

2008/3/10

「2月10日のキタラ」       
札幌市中島公園に関するホームページ「中島パフェ」を運営していますが、もう1ヶ月以上中島公園に行っていません。体調を崩したので家で休養しています。

3月下旬より活動開始の予定です。「中島パフェ」を開設して、ちょうど5年になりましたが、こんなことは初めてです。個人ホームページの限界を感じました。これが最後に撮った写真です。これを撮った3日後に入院しました。2月29日にほとんど快復して退院しました。 現在ノンビリと自宅静養中です。

クリックすると元のサイズで表示します

画像は札幌コンサートホール・キタラ。 手前は凍結した菖蒲池の南岸。 2008年2月10日撮影
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬

2008年03月09日

格差是正は必要ない

2008/3/9

「格差是正は必要ない」       
私は現在幅を利かせている貧乏物語は間違っていると思う。 その第一の原因は、貧乏物語が成功者によって書かれているからだ。

本当の貧乏人は世間に発信する手段をもたない。何も語らず、例え語ったとしてもマスコミに載らないから、その内容が世間に広まることはない。

貧乏人は黙って消えるだけで何も残さない。財産はもちろんだが、思想も残さない。

成功者が残す貧乏物語の特徴は苦労に苦労を重ね、その結果が報われ、お金持ちになるとか、何らかの形で成功することで終わる。

成功者が過去を振り返って書くのが貧乏物語。 一生貧乏で終わった人は書くことも発信することもない。 従って本当の貧乏物語は残らない。 

貧乏人はいなかったことになる。 成功者の貧乏物語の中に脱落した怠け者として残るだけである。つまり、成功者の書いた貧乏人は怠け者。よくて極めて運の悪い人。

貧乏人はいないのだから、貧困政策もない。 怠け者が貧乏になるのだから、一生懸命働けばよい。 格差社会とは言うけれど、年収2000万と3000万円との差があっても、ほとんどの人にとって何の関係もない。

貧困政策さえあれば、格差是正などはいらない。 年収180万の人の収入を倍にすることは極めて重要だが、1000万円の人を2000万円にすることは、政策として必要がない。 好きな人が勝手にやればいいことと思う。

屁理屈を思いつくまま書いてみたが、間違っているかも知れない。 私も今では貧乏人ではない。 パソコンも持っているし、妻もいる。
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年03月08日

鴨はオシドリと共存

2008/3/8

「鴨はオシドリと共存」  
〜鴨は粛々とオシドリと共存〜
冬になると菖蒲池が凍結し、池のカモは中島公園内を流れる鴨々川に引っ越します。冬は鴨の結婚シーズンだし、川は池に比べて狭いので鴨(マガモ)の観察にはもってこいです。

おまけに鴨が群れているのは、ほとんど橋の近くです。これは橋の上からエサをやる人が多いせいだと思います。個々の鴨を区別できないので、普通は鴨を群れとして見ています。

去年の暮れオシドリが一羽きました。私はこのオシドリをオッシーと名づけ可愛がりました。オッシーの家は高級マンション(もちろん人様が住んでいます)の裏を流れる鴨々川にあります。

クリックすると元のサイズで表示します

キタラ(札幌コンサートホール)近くの風光明媚、環境抜群のところです。中州第1号橋から見ると鴨々川右岸の、少し窪んだ所にオッシーが居をかまえています。

オッシーはときどき家を留守にしますが、しばらくするとここに戻ります。たまに首を水の中に突っ込んでエサ採っているような姿を見せますが、ほとんど人のエサに頼っているように見えます。誤解でしたらごめんなさい。

オッシーの家(ただの川の窪みです)が氷に閉ざされてしまったとき、これでお別れかな、と思いましたが、凍結していない南14条橋の方に鴨の群れと一緒に避難していることが分りホッとしました。

そして、氷が融けると元の場所に帰り、鴨の群れと一緒に暮らしています。最初は遠慮気味に見えましたが、3ヶ月たった今は小さな身体で鴨を突っついて追っかけたりして楽しんで暮らしているように見えます。

オッシー自身は自分の姿は見えないので鴨と思っているかもしれませんが、鴨はあの派手な玩具の鳥のようなオッシーをどう思っているのか不思議です。見た感じでは無関心です。可愛いカモちゃんですが、あんがい大人ですね。
タグ:オシドリ
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 動物

2008年03月07日

公園でのマナー

2008/3/7

「公園でのマナー」       
ホームページの主催者を管理人と呼ぶ習慣があるので、管理人を名のっています。

ただ、気分としては中島公園の管理人の気持ちも少しはあります。この気分ですが、顔にも出ているようで公園の管理人さんと間違われたことがあります。

去年の秋、5,6人の女性のグループから「管理人さ〜ん。」と呼び止められました。 猫がカモを襲っているので止めさせろと訴えるのです。 

「何かホームページに書く種はないか。」とキョロキョロしながら歩く姿が、監視に歩いている公園の管理人に見えたのかも知れません。

公園管理人になったつもりで園内をみると、マナーの悪い人も、ときどき見かけます。

鼻をかみながら、ティッシュを何枚も捨てながら歩く人、ベンチで寝る人、立ち小便する人、 薔薇を折る人、長い竿で銀杏を叩き落す人、パチンコで野鳥を撃つ人などです。

近頃、新聞などで、公共の場所でのマナーについて何かと、話題になっています。

若者が非難の対象になっていることが多いのですが、私が公園の中で見たのは全て大人、残念なことに、私の同年輩が特に多いのです。

マナーが悪いと言っても、年配者の場合は生活臭がプンプンしているのですが、若者の場合はちょっと違います。すべて遊びですね。

クリックすると元のサイズで表示します

例えば、夏、菖蒲池に飛び込む、冬、氷の張った菖蒲池を歩き回る、営業時間外のボートを無断で乗り回すなどです。

花火も多分若者でしょう。夜は公園に行ったことないのですが、家にいても音が聞こえます。翌朝ラジオ体操のために公園に行くと花火の残骸が散らばっています。
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 公園管理

2008年03月06日

エライ人ごっこ

2008/3/6

「エライ人ごっこ」         
「ホンモノの人生を歩んでいますか?」 と、聞かれたら何とこたえたらいいでしょうか。最近の私の人生は、なんとなく嘘っぽいのです。

魚屋さんごっこ、汽車ごっこ。 子供の頃はいろいろな「ごっこ遊び」を楽しんでいましたが、大人になったら、すべてが真剣勝負。楽じゃなかったです。

それが定年退職したら「ごっこ遊び」の再開です。いい歳して恥ずかしいですね。先ず最初は「記者ごっこ」。

中島公園についてのウェブサイト「中島パフェ」を開設し、取材と称して、中島公園を歩き回りました。

一年くらいすると、読売新聞と札幌テレビの記者からコンタクトがあり、それぞれ新聞とテレビの取材を受けることになりました。私の「記者ごっこ」にホンマモノが付き合ってくれたのです。

こうなると「ごっこ遊び」は雪だるま式に大きくなって行きます。地元で地域活動をするAさんからメールが来るようになりました。

しばらくすると「近所に住んでいてメールだけというのも変ですから会いませんか」とお誘いがあり、オフ会の約束をする。

数人が集まって地域おこしの話をしている中で、ラジオカロスのボランティア・パーソナリティをしているKさんと初対面。

「スタジオに遊びに来て中島公園の話してくれませんか」と誘われました。 これがきっかけで、こんどは「パーソナリティごっこ」の始まりです。2ヶ月に1回の出番ですが、始めて2年にもなりました。

「言いたくないんですが、『エライ人ごっこ』も始めたんですよ」
「言わんでもいいよ」
「そういわずに聞いて下さい」
「好きにしな」

「先日、あるホテルで開かれたあるパーティーに出席すると、隣に座った方は、上品な白髪の紳士でした」
「それで」
「光栄ですね。いかにもジェントルマンという感じの方ですよ」

「となりに座っただけでね〜……」
「名刺の交換もしましたよ」
「あの『中島公園PRボランティア』と書いたやつか。恥ずかしくないのかね」
「恥ずかしいけどもったいないでしょう。まだ100枚以上残っているのです」

「それで……」
「○○ロータリークラブ会長、○○株式会社取締役会長とか書いてありましたよ」
「エラそうだな」
「そうでしょう。グリーンランドやアイスランドで開かれた国際会議の話などしてくれました」

「それで、あんたは?」
「中島公園の話をしましたよ」
「叉かよ。それでエラい人と知り合いになれたと思ったら大間違いだぞ」
「ですから『ごっこ』と言ったでしょ」
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年03月05日

イージス艦事故

2008/3/5

「イージス艦事故」         
〜イージス艦事故と隠蔽体質について〜

「海底で清徳丸の操舵室が発見されました」
「二人はいまだに行方不明だな」

「ホームレスに魚を届けていた優しい『魚のお兄さん』とそのお父さん。何とか助かってほしいですね」
「だいぶ、日がたっているからなぁ」

「未開の海洋民族にカヌーか何かで助けられて、南海の楽園で幸せに暮らしているとか……」
「無理だな」

「地理上の発見が、隅々までと行き渡っているとはは限らないでしょ」
「そう思いたいけどね」

クリックすると元のサイズで表示します

今回の事故で顕著に現れているのが海上自衛隊の隠蔽体質である。この体質は海自の生い立ちと関連があると思う。

陸上自衛隊の母体である警察予備隊発足のときは旧軍関係者は排除されている。

ところが、海上自衛隊の場合は旧海軍軍人をそのままの階級で海自にスライド入隊させた。例えば海軍大尉なら一等海尉、海軍一等兵曹なら一等海曹として。

陸上自衛隊が新しい組織として発足したのに対し、海上自衛隊は旧海軍組織を引き継ぐ形で発足した。 母体は米海軍将校グループを約10人の旧日本海軍将校を増強することから始まった。

敗戦後の海軍の主な仕事は日米両軍によりバラ撒かれた大量の機雷の掃海であり、航路啓開隊(第二復員省)が、その任に当たった。その後掃海隊(海上保安庁)と名称を変えた。

掃海隊は海上保安庁から分離された海上警備隊の所属になり、更に海上自衛隊となった。 その為、初期の海上自衛隊のリーダーは海軍兵学校(兵科将校の養成機関)出身の旧海軍軍人が主流であった。

太平洋戦争時代の海軍は開戦後数ヶ月までは模範的な組織だった。しかし、1942年5月に発令されたミッドウエイ作戦の大敗北以来、隠蔽に隠蔽を重ねるようになってしまった。

命をかけて身体に染み付いてしまった隠蔽体質は、ちょっとやそっとで取れるものではない。代が変わってもその「伝統」は引き継がれ、現代に至っている。 

不祥事や事故があった場合、再発防止を考える代わりに、どうやって隠そうかと考える。

大抵は上手く行くのだが、今回の場合はGPSやレーダーを装備した漁船群が相手だから、隠しようもない。隠蔽がいつも失敗するなら誰も隠蔽などしない。

しかし、隠蔽がバレるのは、まさに氷山の一角である。 日常的に隠蔽の成功をくりかえしているから癖になり、今回のような無理な隠蔽も、ついしてしまうことになる。

元々秘密事項の多い艦船は隠蔽し易い環境にある。秘密性の高い順に「機密」「極秘」「秘」「部外秘」などに別れている。 隠蔽範囲も同じ班、同じ科、同じ艦、自衛艦隊、海上自衛隊全体等、組織の大きさに応じて定められていると思う。

これが今回の事故の私の感想であり、見解である。うがちすぎだろうか。

クリックすると元のサイズで表示します

「久しぶりの我家の暮らしはいいもんだろう」
「はい、QPも病み上がりの私をいたわってくれます」
「そりゃよかったな。QPさんに感謝しろよ」

「もちろんです。しかし、緊張感は欠かせません」
「なんで?」
「危険極まりない『夫婦船』です。いつ衝突するか分かりません」
「あんたの隠蔽体質が問題なんだよ」
タグ:事件事故
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年03月04日

中島公園この1年

2008/3/4

「中島公園この1年」         
菖蒲池の氷が融け水鳥が戻り、幌平橋駅前の広場にクロッカスが咲き、雪の下から緑がのぞけば、中島公園はもうすぐ春です。

クリックすると元のサイズで表示します

4月中旬にはフリーマーケットが再開され、下旬から5月上旬にかけて、ボート乗場、日本庭園、テニスコートなどが次々とオープン。

桜が咲き園芸市が開かれ、中島公園も春全開です。2005年春に倒壊した八窓庵の復元工事にも昨年着手。今年の秋には完成の見込みです。

クリックすると元のサイズで表示します

去年は札幌コンサートホール・キタラ10周年です。キタラの目玉は約3億円の巨費を投じた国内最大級のパイプオルガンです。

4月から1年かけて歴代オルガン奏者、10人による「世界のオルガン名曲シリーズが開催されます。今年の3月まで続きます。

待望の中島公園駅のエレベーター設置工事も最終段階です。そして、2009年春にはエスカレーターが設置される予定です。

クリックすると元のサイズで表示します

2005年より3年がかりの鴨々川河川工事も去年の夏に終了しました。キタラ裏の鴨々川の水量も増し、今までの5倍の水が勢いよく流れ川がきれいになりました。

工事が終了したのですから菖蒲池の鯉も帰ってくるかも知れません。以前のように鯉のいる池になるといいですね。

<中島公園界隈の動き>
「去年夏の札幌(7月22日から8月5日の予定)国内、海外より一流の演奏者を招いて、中島公園、大通公園をライブ会場に「サッポロ・シティ・ジャズ」が開催されました。

クリックすると元のサイズで表示します

中島公園に設置されたのは、直径30mもあるイベント用ドーム形テントでした。国内初登場で幻想的な映像が流れる中、連日ジャズをはじめ多彩なジャンルの演奏家が登場しました。

海外を中心としたジャズミュージシャンの生演奏で知られるレストラン「ブルーノート」が札幌に上陸する予定です。2008年にも中島公園そばに出店するそうです。

オールドファンから若い層まで皆で楽しめるジャズが、中島公園にやってきます。楽しみですね。
これは去年の話ですが、その後どうなったのでしょうね。
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 中島公園

2008年03月03日

歌って♪踊れる管制官

2008/3/3

「歌って♪踊れる管制官」         
「航空管制官をご存知ですか?」
「管制塔にいるコチコチのロボットみたいな人間だな」
「やわ〜くて、歌って踊れる人でなければ勤まりませんよ」
「ホンマかいな」
「後で説明しましょう」

先日、千歳空港であわや大惨事と言う出来事がありました。新聞報道によると「滑走路上に到着機がいたのにJAL機が離陸の為の滑走を始め、間一髪のところで離陸を断念。衝突を回避した」ということです。 天候急変を繰り返す吹雪の新千歳空港での出来事でした。

JAL機が離陸しようとしたのは管制指示の聞き違い。別の管制官の指示で離陸を断念。最悪の事態を回避しました。 いずれも管制官が深く関わっていました。

記事の大部分はパイロットサイドのことですが、管制官についても次のように触れられています。
「通常離陸許可にしか使われない『テイクオフ』と言う用語が使われ、これがパイロットの聞き違えを誘ったのではないか」

この件について友人の管制官にきいてみたら、次のようにいいました。
「新聞を読んでいるとアホな管制官が下手な英語を使うからこんなことになると思えるね。現場の緊迫した状況が紙面から伝わってこないからだな。

この状況でJAL機の処理を間違えると大混乱になりかねない。モタモタすると数十機の到着・出発機に大きな遅延を生じさせることになるんだ。

到着機も出発機も、今や遅しと列を成して、自分の順番が来るのを待ちわびているのだ。特に到着機は空中をグルグル回りながら待っているんだぞ。

管制官にかかるプレッシャーは並大抵のものではない。とても言葉を選べる状況ではないよ。普段使っている用語がそのまま出てくるものだ」

この話を聞いて思ったことは、もし「テイクオフ」と言う用語が間違いを誘発するのなら、この状況でこの用語を使うことは禁止しなければならないと言うことです。不安全要素は気付いた時点で一つひとつつぶして行くことが大切です。

ちなみに、国際民間航空機関が定めている「テイクオフ」の使用基準は離陸許可、離陸取り消しに限られ、その他の場合の離陸の表現は「デパーチャー」です。場合によっては「エアボーン」もありですね。

(参考:expect immediately takeoff でなく 
expect immediately departure とすぺきです)

管制官個人の問題ではありません。「マニュアルを整備して、キチンと訓練をする」という、管制方式の問題であり、組織の問題と思います。 


クリックすると元のサイズで表示します

「友人が管制官だから、友人の友人も管制官です」
「分かった、分かった。あんたは無職。それも分かっとる」
「歌って踊れる管制官でなければなりません」

「英語は出来なくていいのか?」
「出来るに越したことはありませんが、踊れなければいけません」
「冗談言うな!」
「踊れないという事は、感が鈍いのです。絶対にダメです」

「頭は悪くていいのか」
「いいに越したことはありませんが、歌えなければ絶対にダメ!」
「じゃ、管制官はみんな歌って踊れるのか」
「そこが、問題です」

「俺はカラダン(カラオケ・ダンス)の名手だから向いてるな」
「なまってますからね〜」
「何がなまってる!」
「バス(bus)をブスと言うでしょ」
タグ:事件事故
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年03月02日

Nakapaのいちばん長い日

2008/3/2

「Nakapaのいちばん長い日」         
〜病院の罠〜
ああ、くたびれた。2月14日は波乱万丈。「短編ドラマ」のような一日だった。なんでこんなことになってしまったのだろう。中島公園近くの病院での話である。

「今すぐ入院ですか。明日の夜ラジオに出るんです。明後日ではダメですか?」
「直ぐ入院して下さい。ラジオは出てもいいですよ」
(「山鼻、あしたもいい天気!」ラジオカロスFM78.1MHz)

即入院の緊急性と「ラジオは出てもいいですよ」というおおらかさ。この落差は一体なんだろう。私にはピンとこなかった。

ともかく、スタジオには行けることになったのでホッとした。 この時点では、明日が私にとって「いちばん長い日」になるとは夢にも思わなかった。

運命の2月14日の朝はバス・トイレ付きの個室で始まった。まるでホテルのシングルルームのようだ。広さも調度品も充分である。

突然の入院について関係者に知らせるメールの下書きを書いていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「どうぞ」
「おはようございます。担当のM(看護師)です。酸素吸入の可能性があるので個室に入ってもらいました。何か心配なことはありませんか?」

「吸入が必要でなくなったら、この部屋追い出されるのですか?」 
一番気になることを聞いた。
「どうぞ退院まで使って下さい。部屋割りは私の責任でやっています」
頼もしい看護師さんだ。

太鼓判を押されて一挙に夢が膨らんだ。
「よ〜し、ここを書斎にしてバンバン書いたるぞ!」
病気で入院していることなどスッカリ忘れ、気分も上々だった。

さっそく、QPに電話して持ってきて欲しい物をアレコレお願いした。ブツブツ言っていたが、何とか説得する。 

9時から11時までの2時間は点滴中だ。 QPが来て荷物を置くと「寂しくなければ帰るからね」と言うなりさっさと出て行ってしまった。まもなくデパートの開店である。なるほどと思った。

点滴が終わると、さっそく荷物のセッティングにかかった。身体はきつかったが、こうしていると夢がドンドン膨らんできて楽しい。

「まるでホテルにカンヅメになった締め切り前の人気作家のようだな」
と、すっかり空想モードに入ってしまった。 ドアをノックする音が聞こえる。
「おやっ、編集者かな?」と、一瞬の勘違い。

先ほどの看護師さんだ。言いにくそうに、アレコレ話していたが、けっきょくは「酸素が必要な人が来たので、直ぐに出て欲しい」と、いうことだ。 

何たることだ! 太鼓判を押したばかりではないか。 しかし、命に関わることに変更はあり得ない。諦めるより仕方ない。

夢はあえなく萎み、忙しさに拍車がかかった。とにかく移動準備だ。広い個室に散らばった荷物を一ヶ所にまとめると、もう昼食の時間になってしまった。なんとも忙しくてやりきれない。

大急ぎで食べて6人部屋へ。 やっとの思いで移ったが、増えてしまった荷物でベッドのまわりは足の踏み場もない。

ともかく、隣の人に挨拶をしなくては、「はじめまして、よろしくお願いします」と簡単にすますと、
「宍戸譲二です。84歳です」と、丁寧に応じられたのでやり直し。
「中波太郎。67歳です。風邪をひいてこの病院に来たら検査して、即入院となりました」

「そうですかぁ。お客さん少ないからね〜……」
「……?」

先ほどの院長先生のセリフ、「直ぐに入院。ラジオはいいよ」を思い出した。まさか、肺炎と言って見せてくれたあのCT写真の白い影は、「消しゴムツール」か何かで加工したのではあるまいね。 一瞬こんな疑問が頭をよぎった。「病院の罠」。

おじいさんとの話は延々と続きそうだが、ラジオの準備をしなければならない。 「進行表」と「台本」をチェックしようとしたら点滴が来た。

「もうですか?」
「ラジオがあるから早くしてと言ったでしょ」
「すみません。お願いします」

もうクタクタのヘトヘトだ。点滴しながら眠ってしまった。目が覚めると17時。泥縄だが、点滴しながら放送をイメージしてみた。

点滴の落ちる速度がやけに遅い。遅れそうな気がしてイライラした。胸もムカムカした。点滴が終わると18時になってしまった。食欲はまったくないが、食後の薬の為、少しだけ食べてみた。

大急ぎで円山のスタジオに向った。途中でカロリーメイトをほうばったが、いつもと違って口の中がパサパサして食べにくい。

スタジオ内は飲食禁止だが、コッソリお茶を飲みながら何とか1時間の番組を終了。タクシーを拾って家に着いたのが21時20分だった。 病院の消灯が21時なので予め外泊許可をもらっていた。

家に帰ってもやることがいっぱいある。電話連絡は病院に帰ってからでも出来るが、メールはネットが使える今夜の内にしなければならない。 

とにかく破らなければならない約束がいっぱいあった。 時間がないので「入院するから行けない」とだけ書いて送るのが精一杯だ。 何となく気になったが、疲れて寝入ってしまう。

一眠りすると目が覚めた。夜中の3時だが、気になって目が冴えて仕方がない。なにぶん前触れ無しの入院だ。簡単な説明が必要だろう。

しかし、どこの誰にとなるとなかなか難しい。困り果てて600人宛てのメーリングリストに流してしまった。こうして長い長い一日が終わった。

クリックすると元のサイズで表示します

「退院おめでとう」
「有難うございます。ご迷惑かけて申し訳ありません」
「しかし、『病院の罠』とは穏やかでないな。世話になったお医者さんに失礼だぞ」

「病気と健康とどちらが好きですか?」
「健康に決まっているじゃないか」
「病気で入院したとは思いたくないので、健康なのに病院が仕掛けた罠にかかったと思うことにしました」

「小心者に付ける薬はないな」
「薬はもうけっこうです」
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記