2008年03月31日

謝り合戦、目標百勝!

2008/3/31

「謝り合戦、目標百勝!」         
私は悪意というものを全く持っていない。そんなこと当たり前だと言わずに、まぁ聞いて下さい。それなのに、人様を怒らせてしまうことがある。原因は私の無知か相手の誤解である。そんなときは言い訳しないで、謝ることにしている。

目の前で火事が起これば消すか逃げるかどちらかである。火事を目の前にして、「この火事はなぜ起こったか」と議論する人はいないと思う。それと同じで、目の前で怒っている人がいれば謝って静めるか、距離をとるかどちらかだ。距離をとっても何事もなかったことにはならない。誤解はそのままだし、自分の失敗については無反省という結果になる場合もある。

こんなことは望まないので、ひたすら謝ることにしている。自分の無知から出た失敗ならば、当然なことをしているだけ。誤解ならば後で解けばよい。怒っている最中に誤解を解こうとしてもなかなか難しい。冷静になったときなら簡単だ。私は常に簡単な方を選びたい。

別に頭を下げていれば、怒りは頭の上を通り抜けていくと思っているわけではない。誤解を解くチャンスを後に残しておきたいだけだ。考え方はこうだが、実際は別な行動をとることもある。 しかし、最後は自分が謝ることで決着をつけたい。

そう思っていても、現実は相手に先に謝られてしまうことが多い。そのときは「負けた!」と思う。「謝り合戦」は先手必勝、あとから「私の方こそ申し訳ない」というようでは負けと同じだ。

特に人生経験豊富なシニアの世界で、「謝り合戦」に勝ち続けることは難しい。相手は百戦錬磨、こちらは初心者だ。目標100勝、頑張るぞ!
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2008年03月30日

巨悪に挑む?(中)

2008/3/30

「巨悪に挑む?(中)」  
 〜深まる謎〜
このページは巨悪に挑む?(上)の続きです。

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参考画像:豊平館前の池2005年夏撮影(エッセイとは無関係) 

木曜夜の8時は、私が担当するラジオ番組の放送日である。B公園を話題とした1時間番組だ。当然、この夜は「消えた鯉」の話題が中心となった。考えてみれば、鯉が消える筈はない。死んだと思うのが普通だ。
「B池で鯉の死骸を見た人はいませんか?」
と呼びかけたが、残念ながら目撃情報は得られなかった。なぜだろう? 疑惑はますます深まって行く。

放送が終わると「のどかわいたね」と言ってゲストさんと二人でビールを飲みに行った。話も弾み時間を忘れ、帰りが少し遅くなった。家に帰るとQPが怒っていた。「あんた何処に行ってたの!新聞社から何回も電話がかかって大変だったのよ」

11時過ぎたばかりだが、早寝のQPにとっては真夜中だ。寝入りばなを起こされて機嫌が悪い。しかし、何の電話だろう? 何か圧力のようなものを感じた。捉えようのない不安を覚え、なかなか寝付けなかった。

寝不足の朝を迎えた。不安を解消するには行動しかない。C記者にコンタクトをとろうと新聞社に電話したが不在だった。帰ったら電話してくれるように頼んで切ったが、その後連絡はなかった。メールを送っても返事は来ない。こんなことは初めてだ。今までは彼が積極的に動いて、私は協力する立場だった。一体何が彼を変えたのか? 解せないことばかりだ。

ともかく、大量の鯉の死骸を見た「証人」を探すのが先決だ。記者と連絡が取れても「証人」がいなくては、記事にすることはできない。三日間必死に探して、やっと「証人」を見つけることができた。

「鯉は100歳まで生きるといわれているんだよ。でっかい死骸がゴロゴロしてたぞ! 何でこんなB公園始まって以来の大事件が新聞にもでないんだ」
おじさんは怒っていた。D新聞に電話をかけたが、何の反応もないと言う。

「差し支えなければ電話番号を教えて下さい。D新聞社のC記者がこの事件の担当です。お宅に連絡させますから、今いったことを話して下さい」
おじさんは喜んで電話番号を私の手帳に書いてくれた。

「これにて一件落着」という気分で、意気揚々として新聞社に電話した。C記者はなぜかつかまらない。メールを何回も出して「証人」を見つけたことを伝えたが、返事がない。一体どうしたことだ!

C記者は20代の駆け出しだ。上からの圧力がかかったのかも知れない。しかし、なぜそのようなことをする必要があるのだろうか。記者は「『証人』を見つけてくれたら、徹底的にやる」と言いながら、なぜ連絡をしてこないのだろう。放送日の夜にかけてきた電話は一体何だったのだろうか? 謎は深まるばかりだ。

あれから2ヶ月たち季節は夏になっていた。B公園をいつもブラブラして、いろいろな人と立ち話しているおじさんがいる。ちょっとやくざっぽい感じなので、仮に親分と呼ぶことにする。私もときどき話すことがある。その日はB公園での自殺の話をしてくれた。

「ここではな、毎年のように自殺があるんだ、今年も二人死んでいるんだ。日本庭園とボート小屋近くであったな。あんたは知らないと思うが、自殺は絶対に新聞にでないよ」
「新聞に載らない話はもう一つありますよ。B池での鯉の全滅です」と言って、一部始終を話しはじめると、親分の表情がみるみる険しくなって行った。ああ、言うんじゃなかったと思っても、もう遅い。しかけたものは途中で止められない。

「あんたかい?ラジオでぺらぺら喋ったというのは! みんなが迷惑しているんだ。どういうつもりで嗅ぎ回っているのか知らんが、生活がかかっている者もいるんだよ」
犬じゃあるまいし、嗅ぎまわってるなんて失敬じゃないか。こんどはこっちの頭に血が上った。

「子供たちが池の主と呼んでいた鯉が、全滅してしまったのです。100歳を超えた鯉もいたかも知れません。原因が分からないから心配なのです。いいですか、鯉がいなくなっただけでは、すまないのですよ! この公園が壊れ始めているのです。役所は無関心だし、新聞は知らん振り。こんなことで本当にいいのですか!」

それからしばらく激しいやり取りが続いたが、お互いB公園の「陰の責任者」と自認する者同士、話している内にだんだん分かり合い、落ち着いて来た。
「あんたの言うことも分かる。俺だって鯉がいなくなってガッカリしているんだ。本当のことを教えてやるから、誰にも言うなよ」と念を押しながら、一部始終を語り始めた。 

その内容は経験した者でなければ語れない、多くの「事実」を含み、私の疑問は全て解消された。「驚くべきこと」はその内容だが、いくらなんでもここに書く訳には行かない。しかし、「謎を解く」と読者に約束した以上、いつの日か書かなければならないだろう。

「おいおい、何でこんなところで止めるんだ」
「ここで区切りをつけて、関係者の反応をみたいのです」
「フィクションだろう。関係者なんかいるわけないじゃないか」
「そうですね。フィクションでした……」
「しっかりしろよ。強い男になったんだろう」
「それもフィクションです」

*フィクションとは「作り事。虚構。作者の想像力によって作り上げられた架空の物語」。
タグ:事件事故
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2008年03月29日

英語の暗記

2008/3/29

「英語の暗記」  
皆さんの役立つブログには本当に感心しています。
そこで中島公園新着情報としても、皆様の英語の勉強に協力したいと思いつきました。

なにぶん古い話なので記憶も定かでありません。分からないところは、よそ様のブログで、お聞きして再現してみました。50年以上前の暗記法です。いかがなものでしょう。お役に立てば幸いです(笑)。

月はまんまる まる マンデー
火事だ水を チュ−スデー
水田に苗を ウエンズデー

木刀 腰に サースデー
金魚の天ぷら フライデー

お土産もって ごぶサタデー
お日様いっぱい サン サンデー 

昔のモールス符号暗記法を思い出してしまいました。
「伊藤、路上歩行、ハーモニカ、入費増加、報告、屁、特等席…」

ト・ツーは「イ」、ト・ツー・ト・ツーは「ロ」、ツー・ト・ト・トは「ハ」。
以下同様。

いずれも70年以上、前かもしれません。私が生まれる前のことと思います。後に関連付けた言葉が、使うたびに絡まって邪魔になって廃れました。つまり耳でト・ツー・ト・ツーと聞くと条件反射で「路上歩行」と頭に入るのです。 
「無形文化財」として披露した次第です(笑)。
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2008年03月28日

イ艦当直員自殺未遂-2

2008/3/28

「イ艦当直員自殺未遂-2」         
前編は イ艦当直員が自殺未遂

気の毒なのは乗組員だ。もともと艦は組織で動かすものなので、個人のせいにされても、個人が苦しむだけ。 原因の究明にもならないし、そんなことが再発防止に繋がるとは思えない。

ここからは、私の想像に過ぎないが、想像を含めないないと何も書けないのでご容赦願いたい。

見張員は「一人の見張員の不注意は艦隊を全滅させる」と厳しく教育されている。

だから、「自分の不注意で犠牲者をだしてしまった」と自分を責める。しかし事実は違う。「1人の不注意で全滅をする」ような艦隊はつくってはならない。

その為に、組織があり、マニュアルがある。もう一つ重要なのがモラル・士気だが、これも組織が生むもので上層部のモラルが特に重要である。

口先で強要しても意味がない。上層部のそれぞれが態度で示す必要がある。

見張員の仕事は「見つけたものを当直士官に知らせればよい」と新聞には書いてある。一方「当直士官は各部署から受けた情報を元に判断して命令を下す」とも書いてある。 

書けば簡単だが、現実難しい。情報過多になれば頭脳がパンクする。 

無意味な情報は報告されない方がいい。少なくとも当直士官にとっては迷惑だ。 実際は無意味かどうかの判断が難しい。

当然、何でも報告する見張員は「ばか者扱い」される。 優秀な見張員とは「対象を評価して必要な情報だけをタイムリーに当直士官に報告する者」ということになる。 

しかし、新聞には見張員は評価などしないで見たとおり報告するものだ。と書いてある。これは机上の空論、想像力を少し働かせれば分かること。

見たとおり何でも報告されたら、当直士官はたまったものではない。人間1人で対応するのは物理的にも不可能だ。

以上は、想像だが、どんな職場でも、同じような状況はある。 評価・判断しないで何でも報告する部下に対する上司の評価は厳しい。

自分の経験とイージス艦事故と結びつけてしまったが、まるで違う世界なので、無理があるかもしれない。 

以上は事故をきっかけに考えたこと、現実のイージス艦衝突事故とは何の関係もない。 新聞記事を読んで思いついた一般的なことである。
タグ:事件事故
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2008年03月27日

雪を残して貸出終了

2008/3/27

「雪を残して貸出終了」       
スキーの貸出はたっぷり雪を残しながら、3月中旬に予定通り終了しました。

札幌で一番便利で気軽な歩くスキーコースです。都心でホテルも近く多くの観光客の皆様にも親しまれています。写真は山鼻を楽しみたい人のためのサイト「やまはなのえんがわ」の提供です。「ぬくもりのあるまち」山鼻の魅力が満載のサイトです。

中島体育センター無料スキー貸出所
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ビルが見える都心の歩くスキー・コース 山も見えるし、
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池、川、林などもあります

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タグ:歩くスキー
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2008年03月26日

3月の中島公園

2008/3/26

「3月の中島公園」       
今年のの中島公園は雪融けが早く温かい。凍結した菖蒲池もほとんど融けている。

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冬の間、水場を求めて鴨々川に移動した鴨も、早々菖蒲池に帰って来た。 
招かざる客、カモメも池の凍結が融けると、早速やってきた。

散歩する人も増え、気分も何となくウキウキしてきた。 
後は鯉が池に戻って来れば言うことはない。
3月の中島公園の詳細は中島公園2008年3月をご覧下さい。
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2008年03月25日

イ艦当直員が自殺未遂

2008/3/25

「イ艦当直員が自殺未遂」         
3月25日の新聞記事によると「漁船と衝突事故を起こしたイージス艦で衝突時の当直員だった乗組員が自殺を図ったが、命に別状はない」ことが明らかになった。

命に別状はないと聞いてホッとした。こんなことで責任感の強い若い隊員を失うとしたら、とても残念なことである。別な機会に書きたいと思うが、もともと一人の当直員の不注意でイージス艦が衝突するなどと言う事はありえないことと思う。

事故後のマスコミ報道では見張員が、レーダー員が、当直士官が等、犯人探しの報道には目に余るものがあった。しかし、海のことをよく知っている人はマスコミ報道とは一線を画していた。

このブログでも「イージス艦事故」の記事を書き、海に詳しい人2名様からもコメントを頂いた。内容は「犯人探しは原因究明の妨げになり、再発防止を不可能にする」「マスコミ報道は一方的で偏っている。叉、現場(海)を理解していない」等である。

私自身もほぼ、同様の印象をもっていたので、ブログで書いた記事の内容も「魚でホームレスを援助している『魚のお兄ちゃん』が可哀想。助かってほしい」「海上自衛隊の隠蔽体質批判」の2点を書き、直接の原因等には一切触れなかった。

両方とも事実と考えたからである。新聞などには原因等について、その都度報道されていたが、仕事とは辛いものだと思った。 読者が興味を持つことなら知らないことでも、何とか書かなければならない。推測や憶測がかなり含まれていた。

事後処置としては再発防止が一番大切である。その為には原因究明が最重要であり、原因究明のためには、匿名性、免責性を保証した「事故調査」が重要である。新聞がそんな基本的なことを理解していないとは考えられない。

しかし、これらの報道姿勢は何故だろうと考えてみた。やはり、この問題でも広告主と読者への迎合としか考えられない。赤字では事業として成り立たない。事業を続けて行くためには広告も必要だし、購読者は必須である。私はまだ、新聞に希望を託している。読者が堅くなれば、元々新聞は堅いのだから、本来の姿になると思っている。
タグ:事件事故
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2008年03月24日

巨悪に挑む?(上)

2008/3/24

「巨悪に挑む?(上)」  
〜いつの間にか消えた、100匹の鯉〜
「あんたの書いたフィクションなんか、
つまらないから読まないよ」
「実は事情がありまして……」
「事情があって事実とは言えない? なるほど」
「そんなことないんですが……」
「そんなことないけど、関係者に知られるとヤバイ? ふ〜ん」
「作り話ですよ! 本当にフィクションなんです」
「分かったよ。そうムキになるな」


一見やくざ風。その男を仮に「親分」と呼ぶことにする。親分は飴玉を三つくれて「みんなが迷惑するから誰にも言うんでない」と、口止めをした。
「有難うございます。お陰さまでようやく謎がとけました。誰にも、なにも言いません」
その時の私の正直な気持だ。不思議で仕方がないからいろいろ調べていたが、分かればそれでいい。もめ事はゴメンだ。

事件はこうして始まった。北国の街A市B公園の池で、大量の鯉が突然消えた。何故だろう? 原因はおろか「いつ消えたのか」さえ分からない。ある日突然いないことに気がついたのだ。以前は、そこらじゅうで泳いでいた鯉が突然パッと消えたのである。当局からの発表もなければマスコミ報道もない。こんなことがあっていいのだろうか。

A市、B池に鯉が初めて放されたのは明治23年(1890年)のことである。それから116年たった2006年の春、凍結が融けてみると池の中の鯉が、一匹残らず消えてしまっていた。昭和21年(1946年)にもマゴイ10万匹の幼魚を放流していたのだ。戦争中に荒れた池の回復を願ってのことと思う。長年にわたり棲息していた鯉が、文字通り水の泡となってしまったのだ。いったい凍結した池の下で何が起こったのだろう。

春になると表面に張っていた氷が融け、水温が徐々に上がると、池の底に眠っていた鯉が目を覚まし泳ぎ始める。この時期になると、春の陽気に誘われるようにして、公園を散歩する人たちも次第に増えてくる。デジカメで池に向って写真を撮っていると、見知らぬおばさんに声をかけられた。

「鯉が見えないでしょ。みんな死んじゃったのよ。工事で水を止めたから酸欠をおこして死んじゃったの。子供たちが池の主といっていた大きな鯉が、一匹残らず死んじゃったのよ。悲しいよね」おばさんは怒っていたが、私は信じられなかった。

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資料画像:河川工事中の中島公園内鴨々川。川の水を止め、川底を掘って直系1mの導水管を埋める。工事中、止めた水は両脇のホースで流している。画像はこのエッセイと関係はないが、参考の為掲載。

「そんなことないでしょう。地下鉄工事で池の水を抜いた時だって、鯉は養鯉業者に預けていたんですよ。酸欠を起こす前に何処かに預けるでしょ。ここの鯉は昔から大切にされてきたのです。心配ないですよ」

とは言ったものの、気になって池のまわりを鯉を探しながら歩いたが、一匹の鯉も見つけられなかった。ボート小屋のおじさんに聞くと、「寒いからまだ、池の底に潜っているのだろう」と気にする様子もない。何か変だ。既に、温かくなっている。鯉が泳ぎだすほどの水温になっているのだ。何か胡散臭い。おじさんが横を向きながら話しているのも気になった。

10人以上の「散歩の常連さん」に聞いてみたが、見た人は誰もいなかった。中には「私はウオーキングに専念しているから、池なんか見てないよ」という人もいたが、大部分の人は「不思議だ」と言って、首を傾げていた。いろいろ調べたが池に鯉がいないことがハッキリしたので、新聞社に知らせた。さっそくC記者が取材に動いた。素早い対応に問題の深刻さを感じた。しばらくして電話が来た。

「公園事務所やA市公園課を取材したのですが、おかしいですね。まったく関心がないのですよ。住民も、なぜ騒がないのでしょうね。100年間続いた環境が破壊される可能性だってあるんですよ。原因が分からないのですからね!」着任早々、この事件に遭遇した記者は義憤を感じているようだ。特に、公園関係者やA市住民の無関心ぶりには呆れているようだった。

ともかく大量の鯉がいっぺんに消えた。果たして鯉だけの問題ですむのであろうか? 都心に残された最後の自然が、今まさに壊れようとしている。記者が怒るのも、もっともである。しかし、住民としての私にも言い分がある。

「関心があっても、マスコミが取り上げてくれなきゃ、どうにもならんでしょ。何とかして下さいよ」
「公園事務所では池は関係ないと言うんですよ。公園の中の池ですよ。そんなことってあるんですかねぇ。取材に行っても何もないの一点張り、取り付く島もないんです。ともかく、現場を見た人がいなけりゃ話にならんですよ。見つけてくれたら徹底的にやりますよ!」

少なくとも100匹以上はいただろう。鯉がこんなに沢山一度に死んだのなら、死骸を見た人がいるはずだ。 死骸を片付ける現場を見た人だっているはずだ。魔法じゃあるまいし、パッと消えるはずがない! 「見つけろ」という記者も横柄とは思うが、乗りかかった船だ。今更降りるわけにも行かない。何とかして「証人」を見つけたいと思った。

おばさんは現場を見たと思うが、会うことはできなかった。鯉のいない公園に愛想をつかしたのかもしれない。2週間一生懸命探したが、現場を見た人にも死骸を見た人にも会えなかった。まったく不思議なことがあるものだ。大量の鯉が一匹残らず、誰にも知られずに消えてしまった。こんな不思議なことはない。この謎は絶対に解いてやろうと決意を新たにした。

〜巨悪に挑む?(上)おわり〜 続編は「深まる謎」。
ご期待下さい。
タグ:事件事故
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2008年03月23日

事実と真実の違い

2008/3/23

「事実と真実の違い」  
私が運営するウェブサイト「中島パフェ」には事実を書くことにしている。

そして、このブログには「真実」を書いているつもりである。 自分が考える「真実」であり、かなりの思い込みが含まれる。

「男のエッセイ」は自分自身の楽しみと自己紹介のつもりで書いている。 
人物も地名も仮称だが、「真実」を書いているつもりである。 

事実だけを書くと、いろいろ不都合が生じるので、フィクションという形をとっている。

登場人物に迷惑がかからないように配慮しているが、 一言でいうと事実に基づいた作り話である。作り話を含めた事実と言った方がより正確かもしれない。

私の感想を言うと事実だけでは「真実」は語れない。もちろん、ここで言う「真実」とはカッコ付きであり、私の思い込む真実である。

「男のエッセイ 巨悪に挑む男」公開に先立ち、言い訳じみたことを
ひと言、書かして頂いた。

「男はタフでなければ生きていけない。男は優しくなければ生きる資格がない」というのは、映画「人間の証明」のキャッチコピーであった。

「男のエッセイ」のキャッチコピーは
「冗談言わなきゃ生きていけない。真実なければ生きる資格がない」

<事実と真実の違いについて>
以下は、新聞学原論 1996.10.17 ブライアン・コバート氏 講演抜粋
いわゆるジャ−ナリズムにおける5Wのうち「いつ、どこで、だれが、何を」ということについて言うのは事実です。しかし表面には現れない「なぜ?」を見つけるのが真実を見つけるということなのです。これはとても大きな違いです。真実を追求するというのは、あらゆる事件や問題の背後にあるなぜ物事がそうなのか、またどのようにそうなのかを見つけることなのです。
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2008年03月22日

中島公園をきれいに

2008/3/22

「中島公園をきれいに」          
nakapaの運営する「中島パフェ」は役に立つホームページを目指しています。いつも無い知恵絞って役に立とうと努力していますが、今日は身体を使うことにしました。誰もやってないことをするのが、「中島パフェ」の真髄です。何かないかな。ありました。犬のおしっこの後始末です。これなら誰もやってないようです。沢山あって、やりがいあります。知恵も尽きたので身体をつかってみよう

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おしっこの黄色い跡があちらこちらに

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少し雪を削るだけで直ぐにきれいになった。

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