2008年01月13日

教えてくれる人に感謝

2008年01月13日
ある年の春頃のことだが、ラジオで中島公園の話をする機会があったが、その中で突然「あのオシドリはどうなりましたか?」と聞かれてしまった。
あのオシドリとは、たった1羽で越冬した鴨々川付近の雄のオシドリのことである。komadoriさんは「イケ面・オシドリ」と言うが、私にはオモチャの鳥の様に見える。

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「オシドリは高い木の洞に巣をつくります。今頃は山に帰っているかもしれません」と、したり顔で答えたが、実はこれ少し前にkomadoriさんから聞いたばかりの話だ。司会者が感心して肯くのをみて、気が咎め「人から聞いた話ですが」と付け加えた。
タグ:オシドリ
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2008年01月12日

スッキリした景観

2008/1/12

「スッキリした景観」          
3年前の夏のことだが、北海道庁でカメラの達人と会って写真の話をした。達人は立派なデジカメで親子鴨を撮っていた。

「(子ガモは)何羽ですか?」と話しかけると「さっきまで6羽だが、カラスにやられて今は5羽」と一部始終を話してくれた。

「カメラ長いんですか」と聞くと、「50年以上やっている」と達人。思わず「家一軒立つぐらい使ったでしょう」と口がすべった。 「写真屋だからな」と言われシュンとなってしまった。

達人は気を悪くする風でもなく「カメラは空間処理と時間処理だから・・・」とか、いろいろ教えてくれ「中島公園にはよくバラを撮りに行くよ」と言ってくれた。

いつも鉄パイプとロープで囲まれている中島公園のバラが気になっていたので、「中島公園のバラはロープが邪魔じゃないですか」と聞くと「ロープは撮らない、花だけ撮る」と当然の返事が返ってきた。

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「だけど、全体の景観を撮るとき邪魔でしょ」とたたみかけた。何とか邪魔と言って欲しかったのだ。すると思いがけない答えが返ってきた。

「公園は造園技師が造ったもので、作品にはならんのだよ」と。 中島公園は作品にはならないのかと、少しガッカリした。

私は花も中島公園の景観の一部と思い、ロープも鉄パイプも立入禁止表示も景観を妨げるだけのものと考えていた。しかし、写真の達人は作り物の景観など目もくれずバラだけを撮ると言うのだ。

それなら「ロープ」も「立入禁止札」も少しは役に立つだろう。ものぐさな人はロープをまたいで中に入ったりしないし、真面目な人は「立入禁止」を無視したりしないから。

それに、わざわざ達人が撮りに行くのだから、中島公園のバラは被写体としても貴重なものなのかなと少し見直した。 だから大事にしているつもりなのかなとも思った。 

約1年後、指定管理者制度という新しい制度が出来て公園の管理者が交代した。 新しい管理者は長年張ってあったロープをあっさりと撤去してしまった。

もともと不要なものだが、いくら意見を言っても管理者が交代しない限り受け入れてはもらえない。中島公園のバラの花壇を囲む、あのロープは景観を悪くしていただけのような気がする。

一体なんの役目を果たしていたのだろうか。不思議でならない。 ロープがなくなってスッキリした景観を観てホッとしている。 新しい業者は造園の専門家だと聞いて納得した。

以下は私の推測に過ぎないが、なぜ不要なロープが張られたか考えてみた。恐らく「バラのトゲで子供が怪我をした」と言う様な苦情があったのだと思う。 

ロープを張ったところで、手が届くのだから、怪我をする場合はする。 しかし、管理者としては「ロープを張って注意を喚起した」と言って責任を果たしているポーズをとることが出来る。 

ある意味ではまったく無責任な考えだ。 以上、勝手な推測で申し訳ないが、中島公園のあのロープからは、そんな推測しか浮かんでこない。

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2008年01月11日

カラオケデビュー

2008/1/11

「カラオケデビュー」       
「12月25日はクリスマス音楽祭です。男性は黒いスーツに蝶ネクタイをして下さい」と先生は言った。ここは高齢者対象の「やさしい英会話」教室。市内に5つある教室が1年に1回、合同でホールを借りきってイベントをやろうという趣向だ。 

毎年開いているそうだが、私にとっては初めての音楽祭だ。 正直言って、これはエライことになったと思った。小学校の学芸会以来、舞台など上がったことがないのだ。唯一の例外が*あのカラオケだが、私にとって最悪の結果になってしまった。今度は蝶ネクタイまでするのだからやりきれない気持だ。 
 
普通なら教室の片隅で大人しくしているところだが、こんな理不尽な要求を突きつけられて、黙ってはいられない。間髪入れず異議を唱えた。
「蝶ネクタイは持っていませんが…」。 私にとっては精一杯の抵抗だ。
「ご心配いりません。百円ショップで売ってます」と、軽くかわされてしまった。

この教室には分別のありそうなシニアが28人もいる。私が口火を切りさえすれば、「嫌だ。嫌よ」の大合唱が始まると期待したのだが…。
「一人ひとり買いに行くのも能がないので、私が取りまとめて買ってきましょう」と仰る方まで現れた。これも確かに分別だ。
それだけではない。事態は私の思惑に反する方向に、どんどん進んで行った。

「先生、女性は白いブラウスに黒のスカートがいいと思いますが…」
「胸に赤いバラをつけるのはどうでしょう」
「男性もつけてもいいですか?」

一体どうしたことだ! ここでは私の所属していた社会とはまったく違う常識が支配している。変わらなければならないのは私なのか? 信じたくはないが そうらしい。

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こんな苦労までして「やさしい英会話」にしがみつくのには訳がある。今まで参加したサークルは幾つもあるが、すべて三日以内に止めている。今度ばかりは1年は続けようと固く誓ったのだ。

こうして音楽祭は始まった。意外なことに、ほとんどの方々が、歌うときも見るときも、楽しそうに生き生きしている。 しかし、考えてみれば当然だ。嫌な人は来なくていいのだから。 

音楽祭には、4年で4回参加した。「英会話」といっても年末の音楽祭に備えて半分くらいは歌の練習だ。ただ歌うだけで特別な指導があるわけでない。だから4年間も続けられたのだと思う。

隣でAさんが、きれいな声で歌っているのが聞こえる 聞き耳を立てながら、小さな声で合わせたつもりで歌ってみるとなかなか気分がいい。こんなことを4年間も続けてきた。

去年Aさんがカラオケに誘ってくれた。Aさん達は私の「カラオケ禁止事件」を知っている。 不本意だろうが、4年も一緒に同じ歌を歌ってきた仲だ。長い付き合いなので、下手もオンチも承知のはずだ。その上でのお誘いなので喜んで応じた。 あれからもう1年になる。上達はしないが、充分楽しめた。

楽しめるには、ちゃんとした理由がある。上手いも下手も、パチパチもない。ひたすら順番がきたら歌うだけだが、これがなかなかいいのだ。評価も指導まがいの口出しもない。どだい、そんなこと出来るわけがない。お喋りに夢中で私の歌など聞いてないのだから。すべてが自然だ。 自分達がやりたい様にしていたら、楽しいカラオケ会になってしまった。

「カラオケ始めて1年たつので、そろそろカラオケデビューしようと思っています」
「そお」
「お仲間を誘って有料で行きたいと思っているのですが…」
「当たり前でしょ」
「そう言って頂いてホットしました。こんなメニューでいかがでしょうか?」

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「ハトポッポ10円、青い山脈100円、北の旅人1000円、昴10,000円…?」
「なに、これ?」
「私への歌代です。賛成してくれたでしょ」
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2008年01月10日

八窓庵倒壊から3年

2008/1/10

「八窓庵倒壊から3年」         
中島公園内日本庭園にある国指定重要文化財「八窓庵」が倒壊してもうじき3年になる。北海道では極めて珍しい400年の歴史をもつ茶室である。

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冬の雪害から守るため冬期間はプレハブ小屋で囲っていたが、プレハブ小屋そのものが雪の重みで倒壊してしまったのだから、どうしようもない。

現在復元工事中で早ければ今年の秋には復元される見込みである。

原因はプレハブの建築構造に問題があり、雪の重みに耐えられなかったことだが、もう一つの原因は、冬の八窓庵の存在がほとんど知られていないことと思う。

札幌に40年近く住んでいるが、冬の八窓庵が、閉鎖された日本庭園奥にあり、プレハブ小屋に囲まれていることを知ったのは、5年前のことである。ホームページ作成のため中島公園内を歩き回るようになって、初めて知ったことだ。

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今回は雪による倒壊事故だったが、世の中何があるか分からない。大切な文化財を庭園ごと閉鎖して、ひと気のない所に、しまって置くのはいかがなものか。 

大きなビルの中なら、話は分かる。しかし、ここは庭園だ。門を閉めても侵入者を防ぐことはできない。吹雪も積雪も地震も防げない。八窓庵を守るためには多くの人による監視が必要と思う。

日本庭園は冬も開放し、庭木を傷めない程度の除雪をして、人が通れるようにすれば、管理者の監視も行き届くし、散策する人がいち早く異常を見つけ、通報することもできる。

倒壊事故があったときは日本庭園は閉鎖されて無人となり、その中にある八窓庵は無人のプレハブ小屋の中にあった。周りには人っ子一人いない状態だったのだ。 

巡回管理も行われていなかったので、冬期間中まったく孤立していたのである。

倒壊の様子は百メートル以上離れている豊平館の窓から、たまたま見て居た人により発見された。

中島公園には冬でも毎日散歩する人が大勢いる。 外からプレハブ小屋を見れば、早期に異常を発見できる。 そうすれば今回のような倒壊事故は起こらなかったのではないだろうか。
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2008年01月09日

幻のインタビュー

2008/1/9

「幻のインタビュー」  
「私にとって写真は情報です。風景が入っていないと意味がありません。そこが何処か分からないからです」

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「けっきょく、中波さんは、きれいな写真は自分で撮って下さい、と言うのですね」。N記者にズバリ言われてしまった。北海道一のシェアを誇る、D社のことだから、記事にしてもらえば有難いと思い、いろいろ話した。口が滑って苦手な写真のことまで話してしまった。

しかも、私が運営するウェブサイト「中島パフェ」の将来構想をしっかりと示すことが出来なかった。延々1時間30分に及ぶインタビューも「いったい、どうまとめたらいいかな〜」と、困ったような記者の言葉を残して終わった。もちろん、記事にはならない。ただ、ここから多くのことを学んだ。 私なりの結論は「中島パフェ」運営の目的を地域貢献と明確化する。

そのための、しっかりした将来構想をもつ。そして、目先の目標は役に立つサイト。というものだった。先ほどの記者の言葉、「きれいな写真は自分で撮って」は、一つのヒントになり、「撮影スポット」案内のページを作ることにした。皆様のお役に立てば幸いと思う。

しっかりした将来構想をもって、的確な運営をしていれば、チャンスは再びめぐってくると思う。いつの日かまた、こんなメールが飛び込んでくるのではないかと夢想している。
「はじめまして。中島パフェをみつけました。やる気がびしびし伝わりますね。どういう方が、どんな構想を温めながらやっていらっしゃるのかと、興味を持ちました。ご連絡先をうかがえるとうれしいのですが。お茶でもいかがですか…」 
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2008年01月08日

困った人たち

2008/1/8

「困った人たち」  
「定年になったら家にこもっていないで、人の中に入って友達をつくりなさい」と識者と言われる綺麗な女性が、こともなげにテレビで言う。そりゃあ、地位も教養も美貌もある女性にとっては、友達をつくることなど朝飯前だろう。

しかし、くたびれた無職の年金ジイサンにとってはこんな難しい「仕事」はない。友達どころか知り合いをつくるのも難しい。いろいろ試したがうまく行かない。例を挙げて書けば分かり易いと思うが、思い出したくないので省略させて頂く。けっきょく長年、業務処理に使っていたパソコンを利用することにした。 

パソコンのお陰で地域の方々と知り合い、定年後の暮らしが豊かになった。およそ6年前に退職して転居したが、転居先での暮らしは、近所に知人もなく寂しいものだった。少しでも地域にとけ込もうと、町内会の呼びかけに応じ鴨々川の清掃にも参加したが、知らない人たちの中で右往左往するばかりだった。

慣れないことをしても難しい。自分にできることは何かと考え、自己紹介を兼ねた、ホームページを開設することにした。内容は地域の人たちと話題を共有できるものにした。画像はその後知り合ったコミュニティFMラジオ「山鼻、あしたもいい天気!」の仲間たち。

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開設して1年くらいすると、地域情報のホームページを運営する人・FMラジオ局の地域番組担当者・地域の新聞を発行している人などと、次々に知り合うことができた。最初はメール、次はお会いして、と順序をふみ、自然な形で、お近づきになることができた。今ではホームページを通じての地域活動は、生きがいにもなっている。

冒頭のテレビの評論家の話にもどるが、「友達をつくりなさい」とか、もの凄く難しい結論を、あっさり前に出し、結論に結びつけるノウハウがぜんぜんない。「肩書きをはずして、お付き合いを」とも言うが、そもそも大部分の人たちは、テレビの貴女のような立派な肩書きをもっていないのだから、はずしようがない。

識者と言われる人が浮世離れした話を得意になってするのも不思議だし、それを感心して聞く人がいることも不思議。しかし、その人の話を受け売りをする人が身近にいる、となると不思議ではすまされない。困ったものだ。
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2008年01月07日

中島公園の観光資源

2008/1/7

「中島公園の観光資源」         
観光資源としてのロードヒーティング。
万里の長城は中国歴代王朝が北方遊牧民族の侵入を防ぐために築いた巨大な城壁。侵入を防ぐという目的で造られた。 

中島公園のロードヒーティングも中島公園のほぼ真ん中に位置する、札幌コンサートホール・キタラに行く為の通路に必要なものとして布設された。

ロードヒーティングは費用がかかりすぎるので、今では実用性がなくなっている。除雪の方が格段に安いし、滑るというのなら砂をまけばいい。

従って、これからはこのような施設が公園の中に造られることはないと思う。それ故に、ユニークな観光資源となり得ると考える。

「ロードヒーティングを使わないで、雪の下に眠らせて置くのはもったいないですよ」
「使えばお金がもったいないぞ!」

「夏靴で歩ける雪の無い園路を観光の目玉にして、得た収入を費用に当てればいいと思います」
「ただの道路が観光になるわけないだろう」

「水鳥の遊ぶ銀世界の中で1.5Kmに及ぶ雪の無い園路。しかも交通至便の都会のど真ん中です」
「ランニングコストが高すぎるぞ。オレだったら、そんな道路造らないぞ!」

「私だって造りません。これからは誰も造りません。だから珍しいものになって行くのです」
「造っちゃったから、観光に使えというのか」

「その通りです。ピサの斜塔を事務所に使いたいですか。明治時代の戦艦三笠で戦いますか? しかし、立派に観光資源としての役目を果たしているではないですか」

中島公園は南北に直結する地下鉄駅を二つももっている。藻岩山の景観、凍結した池の上に展開する真っ白な雪原、水鳥が泳ぐ鴨々川等の自然もある。

更に、鹿鳴館より古い豊平館、最高の音を鑑賞できるコンサートホール等の国指定重要文化財や文化施設がある。

それらを結ぶのが、ロードヒーティング園路である。観光の目玉になり得ると思う。例えば東京から、そのままの服装で札幌に来ても差し支えない。 

札幌市内は地下通路で結ばれている。 中島公園もロードヒーティングだから、夏靴のままで歩ける。 寒いというのなら防寒コートを貸し出せばよい。

しかし、靴はそうはいかない。 東京から履いて来た靴をそのまま使えるメリットは大きい。 これも観光の目玉になるだろう。

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「生まれ変わる都心」というのなら、中島公園を含めて考えた方がよい。 近代的な都市機能だけでなく、古い街、それに自然を加える。但し、足元だけは快適に安全に。

観光というものは日常では味わえない贅沢も含めて考えた方がいいのではないか。 財政が逼迫しているならば、あるものを有効に使う姿勢も必要と思う。
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2008年01月06日

これからの札幌

2008/1/6

「これからの札幌」          
札幌市の「広報さっぽろ」は毎年1月号で将来の札幌について語られる。これを読むのが楽しみだ。

今年は「生まれ変わる都心 創成川通、駅前通の今と これから」がテーマになっている。どうせなら、駅前通を札幌駅-大通-薄野-中島公園-幌平橋まで通して考えてみたらどうだろうか。

「こいの街、薄野は好きですか」
「大好きだ。金があれば毎日行きたい」
「藻山橋から鴨々川沿いの柳並木も、彼方に観える藻岩山もいいですね」

「夜しか行った事ないよ。ネオンしか見えないぞ」
「夜でも鴨々川の鯉は見えますよ。街灯で照らしてます」

「その鯉か。恋の街かと思ったよ。行きずりの恋とかさぁ」
「お寺や神社の多い所です。古い商店などもあります。残して置きたいですね」

JR札幌駅から幌平橋までの区間は平行した地下街、地下鉄と相乗して観光の目玉になり得る地域と思う。

衰退気味の薄野から中島公園までの地区は、寺や神社の多い所で、外国人観光客に日本情緒を味わってもらうのに最適ではないだろうか。

テーマごとに分類して、整備する考えはどうだろうか。例えば、北部は未来の街、南部は歴史の街、中島公園は札幌の自然、幌平橋は札幌の景観というふうにだ。

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幌平橋・ポートランド広場は藻岩山・豊平川・市街地を、一望に見渡せる絶好の景観スポットである。

歩く楽しさは冬でも必要だが、注目すべきは雪景色の中を快適に散策できる、中島公園内のロードヒーティング園路である。 費用の関係で現在は使用停止状態だが、これは一つの観光資源と考えていいと思う。
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2008年01月05日

新年夢地下通路(後編)

2008/1/5

「新年夢地下通路(後編)」         
みんなで担ごう、新年の夢 -地下通路-(後編)

札幌駅-大通間の地下通路の完成も時間の問題となった。これを更に700m延長すると、都市と自然が結合したユニークな「自然のある立体都市」札幌が誕生する。これが前編で描いた新年の夢。 後編では、これを更に検討し実現性を探りたいと思う。

地上に出れば公園内には約1.5kmにも及ぶロードヒーティング園路がある。夏靴のまま散策できるのである。経費の都合で、この数年ほとんど稼動していないが、観光でにぎわいをとり戻せば、その費用を負担出来るようになるだろう。

「ロードヒーティングの園路をコツ、コツ、と靴音をたてて歩いたときは、ホントに幸せな気分でした」
「そりゃ、贅沢だよ。一般道路でさえロードヒーティングは減らしているんだ」
「白銀の世界を軽い夏靴で、安心して歩けるんですからいいですね」
「金かかるよ。無駄遣いだよ。除雪の費用と比べてみれば分かるだろう」
「観光資源と考えたらどうでしょうか。他にこんな所ないのですから」

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(経費節減の為、この4年間ほとんど使用されていない)

凍結した菖蒲池の向こうに藻岩山を望み、鴨々川では水鳥にも出会える。北国の都市と自然が見事に融合している姿を世界中の人に見てもらいたい。これが私の描いた新年の夢である。夢とはいえ、700mの地下通路延長は実現可能で絵空事ではない。

ハード以上に必要になるのがソフト、即ち運営方法である。世界に類をみない河川などの自然を含めた未来都市をどう運営するか、そのノウハウが必要になって来る。

先例が無いのでじっくり検討する必要がある。そして、利用面などのソフト面を詳細に検討すべきである。そうすれば、地下通路を中島公園まで延長するメリットが見えてくるはずだ。これを実現するか、しないかで札幌の未来は大きく変わって来ると思う。
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2008年01月04日

カラオケは辛いよ

2008/1/4

「カラオケは辛いよ」
「このコート10年も着ているんだけど、15万もしたかと思うとなかなか棄てられないね」元お金持ちのAさん。
「ほう〜ぉ。これは素晴らしいですね」とコートを見ながら私。
「それは私のよ、たった5万」と元先生。

「僕のアノラック、ベトナム製で7,800円」
と言ったところでしゃれにもならない。15万のコートをハンガーから外して触ってみた。手触りが良くて気持いい。 手にとって見るとふわりと軽い。いい臭いがした。

「いつまでも触ってないで、さっさと、曲選んで、あんたが先よ。一番若いんだから」。そうなのだ。ここでは私が一番若い。こうして、月1回のカラオケは始まった。始まったら最後、3人で3時間休み無しの3交替。お喋りは騒音の中で残った二人が大声でする。終わった頃には、もうガラガラのへとへとだ。

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考えてみれば、私は歌を禁じられている身だ。酔っ払いの言うことだから理屈もへったくれもない。ただ「お前は歌うな」の繰り返しで禁止されてしまった。ことの起こりは、およそ25年前、場末のキャバレー風大型飲み屋。酔いがまわった頃、誰が言うでもなく交代で歌おうということになった。
 
私はカラオケなどやったことが無いので「嫌だ」といったら、お節介なのが出て来て「オレが一緒に歌ってあげる」とか言って、私をグイグイ舞台に引っ張り上げた。

ところが、舞台に上がってみると、気が変わり、どんな風に歌ったか覚えてはいないが、3番まで気持ちよく歌ってしまった。 これが後で問題を引き起こすとは夢にも思わなかった。

それから、およそ半年後、男3人で飲んでいたら、酔っ払った一人が突然絡んできた。
「お前はなぁ〜、下手なくせになぜ歌うんだ!」
「順番だから歌えと言うから、仕方なく…」
「お前はなっ!歌えと言われても歌ったらダメなんだ」

首を振るな、傾げるな、声震わせるな、腰くねらすな、気分出すな、その他もろもろ、よくもこんなに覚えていたものだ。酔っ払っているから、同じことをなんども繰り返えす。延々と何時間も続き、家に帰ったら午前2時を回っていた。絡んだ同僚はカラオケの名手で、下手な人間を許せなかったのかも知れない。

酔って自分を失って無意識に出てきた言葉が「お前は歌うな」だ。世の中でこれほど真実な叫びはない。以後、私は24年間人前で歌ったことがない。

彼は礼儀正しい、親切な人だ。転勤のときも最後まで面倒を見てくれた。別な土地で再会したときも、自宅に呼んで歓待してくれた。彼は自分の言ったことを覚えているだろうか。こればかりは永遠の謎。お互いに触れたことがないのである。

私の歌が彼の心を深く傷つけたことを知ってから歌うのを止めた。決して禁止されたからではない。ここまで書いたら、なぜ始めたかも説明の必要があると思うが、長くなるので参考記事紹介 → カラオケデビュー

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カラオケも終わって料金の精算となった。
「今日は土曜日だから、高いんだって。一人380円よ!もう土曜に来るのは止そうね」

30%割引、飲み物無料券、シニア割引等、ありとあらゆる割引を駆使しているので、安いときは150円のこともあった。 
ふと足元を見ると洒落た靴が目に入った。
「いい靴ですね」

「分かる?足を怪我したとき、姉が見舞いに100万くれたから、25万で買っちゃった」
「そうですか。 稼いでくれた足へのお礼ですね」
「違うわ。痛みに耐えた自分にご褒美よ!」
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