2008年01月31日

80歳のラブレター

2008/1/31

「80歳のラブレター」         
「早く80歳になりたいですね」
「分かる分かる。半分だけ元気も 楽じゃない。早く枯れたいんだな」
「人間として、もっと成長したいのです」
「なにっ! もう遅いから、あきらめろ」

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考えてみれば、ずいぶん狭い社会で暮らして来たものだ。 いろいろ転勤もしたが、何処に行っても職場中心の暮らしだ。地域住民と馴染むことはほとんどなかった。

言われるまでもなく「井の中の蛙」だ。 世間のことは何も知らない。このままで一生を終わるのかなと思ったら心細くなった。 

「世間を知るとは人を知ること」と思う。先ずは身近なところから始めてみたが…。

退職したからと言って、掌返すように「さあ、これからは地域と共に」と言ったところで、上手く行くはずがない。地域の壁は厚かった。

「そりゃそうだよ『井の中の蛙』に出る幕はない。どこにもないよ」
「60歳のラブレターって、ご存知ですか?」
「何んだ急に! 気色悪いぞ。いい年して」

「本になるのですから、本当の気持は書けないでしょうね」
「『私は一生あなたに首ったけ』とか書いてあったな。ホンマかいな」

「もし、私にラブレター来たら、どうしたらいいでしょうか?」
「あんたは、よけいな心配するからハゲるんだぞ」
「しかし、亡くなった方への想いには心打たれるものがありますね」
「うん」

38年間の職業生活で身についたのは我慢だけだった。しかし、退職後の解放感はまだ続いている。毎日が楽しい。 この7年間で在職時代の100倍以上笑ったと思う。 

新しい友達も沢山できた。客観的には友達未満かも知れないが、何処に行っても笑顔に出会えるのが嬉しい。 こんな楽しい経験は生まれて初めてのことである。

喜んでばかりはいられない。まだやり残したことがある。 しかし、これだけは誰にも言うことは出来ない。 心の深淵をさらけだしても、喜ぶ人はいない。 

今までの人生では今が一番充実している。しかし、こう言い切ってしまっていいのだろうか。いかにつまらない人生を歩んできたか、告白するようなものだ。

残り僅かだが70歳までは、何でも幅広く吸収したい。出来るだけ多くの人たちと接して、自分自身の幅を広げたい。 失われた38年間をとり戻してみたい。

「とり戻して、どうするんだ」
「普通の人になりたいのですね。みんな普通にふるまって仲良くしているではないですか」
「そう言えばあんたは、どこか無理をしているように見えるな。何か不自然だぞ」
「仮面をつけています。『行って参ります』と言って仮面をつけ、『ただいま』と言って外すのです」

孔子さまの言葉に「七十にして心の欲するところに従って、矩(のり)を踰(こ)えず」とある。 70歳になったら、自分の思い通りにふるまっても道に外れることがないような人になりたい。

その為に、修行をしているのだ。修行中は表に出せる顔はない。だから仮面を付けている。 70歳になったら、この仮面を外して自分の人生を堂々と歩みたいと思う。

「こんなことも考えているのですよ」
「なんだ、この80歳のラブレターというのは? 60歳の間違いではないか」

「60歳はとっくに過ぎました」
「なにっ! 自分で書く気か。その面で」

「顔ではありません。手でかきますよ」
「真面目な面して、気持悪いな」
「じゃあ、筆にします」
「… … …」

「実はですね。 ヒソヒソヒソ…」
「晩節を汚すんじゃない。俺は聞かなかったことにするよ」
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2008年01月30日

とりこさんへのメール

2008/1/30

「とりこさんへのメール」  
きれいで可愛い鴨のイラストをありがとうございます。 部品まで付けて頂きとても感謝しています。いつの日か、これら部品を使用して「動くカモマップ」を作成したいと考えています。

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春夏秋冬、変化するマップと、美しい中島公園の景色を背景に、可愛い鴨を自由自在に泳がせたいのです。実際の鴨は飛んだり歩いたり、潜ったり、寝たりしますが、当面の目標は泳ぐ鴨です。「泳ぐ鴨だけ」と言っても初心者の私にとっては大変な仕事です。

鴨も大きく分けて3種類、細分すると夏場の雄(ほぼ茶色)、成長過程の子などを加えればきりがありません。鴨の動きは更に複雑です。泳いで移動する以上、向きが頻繁に変わります。

川などの地形に沿った自然な動きは複雑です。北行きの鴨と南行きの鴨は形が正反対です。 向きを頻繁に変えるのは実用的でないので、適当な数で折り合いをつける必要があるし、同じような動きを一つに纏める作業も必要です。

イラストの鴨は、とりこさんが、私が皆の前で披露した「カモマップ」の話がきっかけで作ってくれた作品ですから、大切に取り扱い、少しでも良い作品にして、好意に応えたいと思っています。
タグ:PC問題
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2008年01月29日

名刺代わりのHP

2008/1/29

「名刺代わりのHP」         
1月もあと少し。「中島パフェ」を始めて5年目を迎えた。今回は5回目の「1月の中島公園」だ。1年目は白紙の上に描くだけだった。

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          (札幌市中島公園)

2年目は、あの強烈な台風18号があり。3年目は一工夫しないといけないと思い「紅葉の撮影スポット案内」とした。そして、今年は「中島パフェ」運営についての想いを書いてみた。都心に位置する中島公園は都市化の影響を受け易い状況にある。私達の世代は、100年以上にわたり先人が守ってきた環境を、良好な状態に維持したまま次世代に引き継ぐ責任がある。

こう考えてサイトの運営をしている。思いつきで開設したが、更新を重ねている内に理解が深まり、このような考えに至った。当面の目標は、少しでも多くの人々に中島公園を知ってもらい、訪れてもらうことである。 

長い間職場中心の暮らしをしてきた。転勤して別な土地に行っても同じことだ。転居先でも「集団旅行者」のようなものだった。6年前に退職して、中島公園近くのマンションに転居した。 「さあ、これからは地域と共に」と思ったまではよいのだが…。

現実は水と油を混ぜるような厳しい作業の連続だった。やはり「名刺」が必要だと実感し、名刺代わりに「中島パフェ」を開設した。名刺には肩書きが必要。石原裕次郎のような有名人なら肩書きは不要だろう。しかし、まったくの無名人の場合、肩書きを付けないと、どんな人だか分からないのだ。 

とにかく、地域に知り合いは一人もいない。「私はこういう者です」と言わない限り話になならない。早速名刺を作り現在の活動を示す肩書きを入れた。肩書きで人とのつながりが出来、多くの人と知り合い、人生が豊かになった。世間のエライ人(立派な肩書きのある人)は退職後は肩書きを外した付き合いを勧めるが、肩書きが外れて、最初に必要になったのは、皮肉なことに新しい肩書きであった。 
タグ:PC問題
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2008年01月28日

ウェブサイト「中島パフェ」への想い

2008/1/28

「ウェブサイト中島パフェ」       
ブログについては、始めたばかりの初心者だが、5年前から札幌市中島公園に関するウェブサイト「中島パフェ」を運営している。

「中島パフェ」を開設し、更新を続けているうちに、中島公園の危うい立場に気が付いた。そして、中島公園を良好な状態で次世代に引き継ぎたいと思うようになった。

都市化の波に飲み込まれそうな姿が、徐々に見えてきたのだ。この公園を出来るだけ良い状態で次世代に引き継ぎたい。そのために役に立ちたいという想いが次第に強くなった。

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  (凍結した中島公園菖蒲池 2008年1月26日撮影)

最初にやるべきことは中島公園を知ってもらうことと考え「中島パフェ」をPRすることにした。

先ずアクセスを増やさなければPRにはならない。SEO(検索エンジン最適化)、ヤフー登録、DMOS(グーグルディレクトリ検索)登録等を行い、ある程度のアクセスは得られた。

しかし、その状態で頭打ちになった。何とか打開しなければと思ってはいるが、楽しみながら取り組んでいる。

目的は「由緒ある中島公園を良好な状態で次世代に引き継ぐこと」だが、そのためにアイデアを考えたりすることを楽しんでいる。

サイトの魅力アップの為にアドバンテージを生かしたい。アクセスを増やそうと思うなら、「役に立つ」とか「面白い」とか魅力的なサイトにする必要ががある。

その為には作り手自身が他者より優れたものをもっていなければならない。 

優れたものは自分自身の能力の中には見つけられなかったが、客観的状況として二つのアドバンテージがあることに気が付いた。 

それは「中島公園の近くに住んでいる」「自由時間を沢山もっている」ことである。このことは情報を確認し、更新を頻繁に行うためには、極めて有利なことと思う。

この二つのアドバンテージを生かしたホームページ作りが必要と考えている。
タグ:PC問題
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2008年01月27日

観光掲示板の誤表示

2008/1/27

「観光掲示板の誤表示」         
「中島公園クラブ掲示板」に次のような趣旨の書き込みがあった。
「中島公園地下鉄駅を出て左手5メートル公園入り口に『ガイドさっぽろ』という観光掲示板があります。地下鉄東西線とすべきところが南北線になっています。観光客が何も知らないで、その掲示板に従って行動しているのかと思うと なにか責任を感じます。

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何処の誰に御願いしたらよいのか分かりませんが、遠来のお客さんのために直してあげてください。掲示板作成時からの間違いでしょう」

さっそく、確認に行ってみると、確かに東西線の南郷18丁目駅の付近に「地下鉄南北線」と書いてある。早速、担当機関に連絡した。札幌には地下鉄は3本しかない。地下鉄はもっとも重要な交通機関である。確認するのに1分もあれば充分だ。 何とも不可解な間違いである。私としては直ぐに直したいのだが、勝手に直すと「器物破損罪」になるのだろうか?

追記
掲示板に書き込みがあったのは2006年10月のことだった。さっそく、2ヶ所の関連機関に連絡したが、修正されないまま約1年間放置されたままだった。約1年後の2007年10月ごろに修正された。 誤記表示の上にワープロで打ったとみられる修正文字が貼ってあった。

当局が修正したのか、見かねた有志がしたことか分からない。私でも出来る作業だが勝手にやってはいけないと思ってやらなかった。その近くには大きな「中島公園案内板」があるが、そこには「ワタナベ文学館」と誰かがマジックのようなもので書き足してある。

渡辺淳一文学館は中島公園の至近の距離にあるが、案内板に書いてないので不便している訪問者が多い。私も一番多く聞かれる道順は、渡辺淳一文学館だ。どなたかが見かねて書き足したものと思われる。
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少し見難いが修正後の観光掲示板、南北線が東西線に修正。
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2008年01月26日

真冬の中島公園

2008年1月26日撮影
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地下鉄中島公園駅近くのイチョウ並木。

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札幌コンサートホール・キタラではホワイトイルミネーション。

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キタラでは光のグラデーション実施中。白一色の世界でカラーが映えている。

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林の向こうはホテル・ライフォート。遠い昔はここに市電終点の中島公園電停があり公園の表玄関だった。

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大通公園で見たことのある人も居ると思う。ホワイトイルミネーションの一部を借りて設置したもの。
タグ:夜景
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市営地下鉄駅名考

2008/1/26

「市営地下鉄駅名考」         
札幌の地下鉄が出来たとき感じたのは、全体に素人っぽいと言うことである。 駅名の付け方に基準をもっていないような気がする。

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例えば琴似駅、既にJR琴似駅がある。 そこから700mも離れているのに地下鉄琴似駅と名付けてしまった。 場所が違うのだから、異なる駅名を付けなければ乗客が混乱する。

現にJR琴似→次のバス停→地下鉄琴似駅と進むバスの中で、降り場所を間違えた乗客と運転手が口論しているのを見たことがある。双方にとって迷惑な話しだ。 別名にすべきだ。例えば、南琴似というように。 

地下鉄白石駅はもっと酷い、JR白石駅と2Km近くも離れているのに同じ駅名である。我こそは白石という地元の意見を反映しているのかも知れない。いずれにしろ、2Kmも離れている駅が同じ名前とは不便なことだ。

それとは逆に同じ場所にあるのに、あえて違う表記をするのも納得がいかない。JR札幌駅と区別する為に「さっぽろ」とかな書きにしている。

同じ場所にあるのだから、両方とも「札幌」で何の不都合もない。乗客は「札幌」を目指して乗るのだから、そこに着けばよい。JR新札幌駅と同じ場所の駅も「新さっぽろ」として、わざわざ表記を変えて区別しているが、その必要はない。

誤解の原因になるような駅名が一つ置きに並んでいるのが東豊線だ。 北13条東、環状通東、新道東、別に北13条、環状通、新道という駅名が使われている訳ではない。 

東と付ける必要はまったくない。駅名などのアナウンスは何となく聞いている場合が多い。前のほうを聞いていなくて、後ろだけで判断する場合もある。

語尾が「東」を、飛び飛びとは言え三つも並べられては迷惑だ。「東」を取っても間違える恐れもない。何の為についているか分からない「東」である。

以上、気になる駅名を挙げてみた。別名にする必要があるのに同じ名の駅。別名にする必要がないのに別名にしている駅。余分な表記がくっついていて間違え易くなっている駅等である。
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2008年01月25日

札幌地下鉄の欠陥

2008/1/25

「札幌地下鉄の欠陥」         
札幌市が地下鉄を整備したとき、その道の専門家はいなかったのだろうか。今でも不思議に思っている。例えばゴムタイヤ利用の軌道。線路が違う為、JRとの相互乗り入れを不可能にしている。

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私は他の都市がJRと相互乗り入れになっている事実を知らなかった。 14年前、福岡に行ってビックリした。 地下鉄ホームで待っているとJRの客車が入ってきたのである。 

東京などで相互乗り入れしていても、同じ電車と言う感じで余り違和感がない。 ところが福岡では車体の横に大きく「JR」と書いた電車と言うより、客車と言うような感じなのが、堂々と地下鉄路線に乗り入れてくるのだ。 

この光景を見たとき最初は驚いたが、状況を理解した後は、なぜ札幌の地下鉄はこんな大きなメリットを棄ててゴムタイヤにしたのだと、改めてガッカリした。

もし、相互乗り入れ可能な線路だったら、その後の発展も大きく違っていただろう。小樽行き、滝川行き、千歳行き地下鉄などがあって、さぞかし便利なことと思うと残念である。

1月20日の北海道新聞に武蔵女子短大の平岡教授が次のように書いている。
「(前略)札幌の軌道系交通インフラは、JRと地下鉄の相互参入が実現しておらず、効果的なネットワークが構築されていないことが致命的欠陥である。しかし、この欠陥を逆に利用しよう。例えば東西線新さっぽろ駅と南北線真駒内駅を宅配貨物配送の基点とする(後略)」

詳しいことは省略するが「欠陥を逆に利用しよう」という考え方が気に入った。ゴムタイヤ方式の地下鉄は札幌だけではないだろうか。造ってしまったものを嘆いても仕方がない。この欠陥があるが故の利用法があるなら、こんな良いことはない。「宅配貨物配送」の他にもいろいろ検討する必要があると思う。

ゴムタイヤ方式は、それが生み出す粉塵の悪影響も問題になったが、最近は聞かれない。いったいどのように解決したのだろうか?
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2008年01月24日

情報誌の記事作成に協力

2008/1/24

「中島公園超大画像」         
去年の秋、「40歳からの仕事」という雑誌で「ノスタルジック中島公園」という特集を組んだ。私も札幌市文化資料室、札幌写真ライブラリーと共に記事作成に協力した。

協力と言っても古い写真は持っていないので、ホテルでお茶を飲みながら話をしただけだった。男性編集者も女性ライターも感じのよい人だった。

そのせいか、1時間の予定が2時間にもなってしまった。 私は6年前に中島公園の近くに転居した新住民なので「ノスタルジック中島公園」という話題に相応しくない人だった。私の話はあまり参考にならなかったと思う。それでは一体何を話していたかと言うと、雑談の類である。

私が所属しているシニアネットのこと、2ヶ月に一回担当している地元のFMコミュニティラジオのこと、入会したばかりの彫刻美術館友の会のこと、その他街の話題、ジャズなどの音楽の話など…。

機会があって、もう一度同じホテルでお会いすることになった。 そのとき編集者が雑誌編集のとき使った中島公園全景をビルの上から撮った写真を持って来てくれた。

場所選びなど撮影時の苦労話をしながら「自由に使っていいですよ」と言って、大きな写真を3枚下さった。 私には撮る事の出来ない、カメラマンの撮った写真を有難く頂いた。

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菖蒲池越しに見る藻岩山が美しいと、昔から言われているが、その間にビルが沢山建った。15階以上の高層マンションは7年前から建ち始めた。この写真は10階以上から撮っていると思う。この高さなら藻岩山も良く見えるが、地上からとなると、だいぶ見え難くなっている。
タグ:高所撮影
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2008年01月23日

俺は別にいいよ

2008/1/23

「俺は別にいいよ」  論文・屁理屈
ラジオで、ある天体写真家が話していた。人間が「地球に優しく」しようと、しまいと地球は50億年はもつ。「地球に優しく」との言い方はおかしいのではないか。温暖化で人類が滅びても地球の存在にはいささかの影響もない。 

聞いて目からうろこが落ちる思いをした。地球は氷河になろうと、火山の噴火で溶岩だらけになろうと生きて来た。温暖化で地球の海が倍になっても、全部海になっても地球はビクともしないで、太陽の周りを回っているだろう。

確かに温暖化は人類滅亡の危機であっても、地球存在の危機ではない。「それでも地球は回っている」。聞いたようなセリフだが、この状況にもぴったりだ。

「地球に優しく」と言うと、何か地球にやってあげているような気がする。何となく心地よい言葉だ。 人にとって優しい言葉。しかし、地球にとってはどうでもいい言葉。もし、地球に人と同じ耳と口があるのなら「俺は別にいいよ」と言うだろう。
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