2007年12月09日

魚屋シンちゃん(後編)

2007/12/9

「魚屋シンちゃん(後編)」         
隣の魚屋さんは確かに立派です。 空襲で焼かれて「無一文の衣食住なし」から立ち直って3年後には財産も蓄えたのですから。 しかし、妻子は奴隷のように働かされていました。 既に生活も安定していたのに、一向にたずなを緩めません。

親父は威張っていて、母親は唯々諾々と夫に従うだけ「子供ばかりが家の為」という感じでした。嫌な仕事は子供に押し付けます。活きの悪い売れ残りの魚を売るのは本当に大変でした。

シンちゃんは売れ残った魚をリヤカーに積んで売りに行かされますが、コースも時間もだいたい決まっていました。 坂の手前で待っていて、「押しましょうか」と声をかけると、少し笑って「うん」といいます。私の狙いは「さつま揚げ」や「はんぺん」です。そのまま食えますからね。

売れ残りですから活きも悪く「昨日買った魚が食えないから引き取れ」と要求する客もいました。シンちゃんは詫びて、黙って泣くだけで、決して魚を引き取ってお金を返したりしません。 客は諦めて、捨て台詞を残して帰りますが、シンちゃんはまだ泣いています。

そこで私の出番です。客が遠ざかったのを見定めて「バカヤロー、ションベンひっかけるぞ〜!」と聞こえないように怒鳴ります。シンちゃん、泣き止んで「食べるか」と言ってさつま揚げ一枚私にくれますが、売り物ですから自分は決して食べません。シンちゃんの親父は、金はあるけれど厳しいのです。

塀や壁にですが、たまには本当にひっかけます。口先だけでなく誠意を見せることが肝心です。シンちゃんがやりたくても出来ないことを、代わりにやって上げる。これが本当のサービスです。こうして私はシンちゃんの片腕となり、栄養補給に成功しました。

30年後、シンちゃんの家を見に行くと5階建てのビルになっていました。シンちゃんも当時のことを思い出さないはずはありません。私のことも覚えていると思います。「頭でっかちの可愛いやつだったな、まだ、生きているかな?」 

多分この世にはいないと思っているでしょう。生きているなら会いに来るはずです。私はそう確信しています。幼少時代の絆は強いのです。

しかし、私に限らず、我家の人間が近所だった人に会いに行くことはありません。合わせる顔がないのです。 我家だった場所は居酒屋になっていたので、入ってみました。もちろん知らない人が営業しています。あの辺に座ってご飯食べていたなとか、いろいろ思い出しました。

幼少の頃「くれ」とか「ちょうだい」とか言った記憶はありません。意識したわけではなく、そういう言葉が口から出なくなってしまったのです。

ちょうだいと言っては拒否されることを繰り返すうちに、言えなくなってしまったのです。「くれ」と言えるようになったのは大人になり生活が安定してからです。(完)

クリックすると元のサイズで表示します

渡りの途中か中島公園の菖蒲池でホウジロガモが見えた。何となく孤独な感じが漂い寂しそう。 一羽だけで来たのだろうか。

大都会の真ん中で同じような孤独を感じた。30年ぶりの故郷だが、迎える人はいない。魚屋の奥に包丁を握るシンちゃんの弟のケン坊が見えた。子供の頃の面影が残っているが、声をかけたくてもかけられない。仕方なく隣の居酒屋に入る。 そこは私が育った家の筈だが、「いらっしゃいませ!」と迎えられた。
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記