2007年12月08日

魚屋シンちゃん(前編)

2007/12/8

「魚屋シンちゃん(前編)」         
小さな子供にとって母親はすべてですが、母親の方はいろいろです。 子がすべての母親は多いと思いますが、そうでない母親も少なくありません。 いくら貧乏でも子供のパンツ(下着)一枚ぐらいは用意することは出来ます。 

自分の不幸ばかりを嘆いていて、子供のことなど眼中にない母親もいます。なんといったって、母親になる資格試験はないのですから、こんなことがあっても不思議ではありません。

「身体検査はパンツ一枚と決まっているだろ。何でお前だけズボン、はいているんだ!早く脱げ!!」と先生は血相変えて怒ります。

しかし、パンツをはいていないのでズボンは脱げません。身体がガタガタ震え、大粒の涙がぽろぽろ出てきました。

フ○チンになるよりも、パンツ持っていないことが、クラスの皆にバレるほうが、恥ずかしいのです。

何故か、ひもじかった、寒かった記憶は残らない。覚えているのは、それらに伴う屈辱感だけです。小学3年でも屈辱感は充分感じます。

戦後4年もたつと貧しいとはいえ、暮らしは落ち着いてきています。多くの人々が倹約に倹約を重ね少しずつ生活を改善していたのに、我家だけが終戦直後のままです。母親が見栄っ張りで計画性がないからです。 戦前の豊かな生活が忘れられないのですね。

近所の魚屋も何もかも空襲で焼かれ、無一文からのスタートでしたが、そのとき既に小金持ちになっていました。親父は凄く厳しく、母子5人が奴隷のように働かされていました。特に長男が悲惨でした。シンちゃんという愛称の中学3年生。気の優しい子でした。

無一文から努力して、2、3年の間に小金もちになった魚屋さんはたいしたものですが、ここでも子供は不幸でした。 嫌な仕事は皆、子供の役目です。 不幸な子供同士はやがて協力しあうようになりました。 --後編に続く--
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この鳥は不幸な野鳥です。マヒワと思いますが、我家の窓ガラスに激突し、しばらくの間、飛べなくなりました。

幸せな生活は淡々と続きますが、不幸は突然やって来ます。国全体の不幸は私の生まれる前から始まっていましたが、我家の不幸は終戦により突然やって来ました。 父親が勤めていた航空機製造会社がつぶれたのです。
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記