2007年12月06日

汽車弁家族(前編)

2007/12/6

「汽車弁家族(前編)」         
「また、名古屋の鯛めしか〜」
「贅沢言うんじゃないよ、裁判官だって餓死しているんだよ!」
昭和24年の我家の食卓での会話です。家の中は全国の汽車弁の空き箱でいっぱいでした。

バラック住まいとはいえ乞食ではないので「お恵みください」とは言えません。返す当てはないのですが、、一応「貸して下さい」と言います。「借りる・返さない」を繰り返しているうちに、どこからも相手にされない一家になってしまいました。

もう明日から食べる米はもちろん、芋もかぼちゃも、何もありません。「窮すれば通ず」といいますが、まさにその通りです。汽車弁の残りを食べることを思い付きました。しかし、A駅では家族6人分の弁当を確保することはできません。 弁当といっても食べ残しです。当時は弁当を残す人は非常に少ないのです。

そこで家族会議です。一家の存亡を託した会議ですから真剣です。協議の結果、場所はB駅の操車場、狙いは清掃前の客車と決定しました。

ここには全国各地から膨大な量の弁当の空き箱が集まって来ます。 
「飯もおかずもいっぱい残っているぞ〜!」
病床の父から力強い助言がありました。この界隈に詳しいのは父だけです。

場所が決まれば次は人事です。運搬役は中一の兄、検査役は母と決めました。衛生には人一倍うるさい母です。検査を通れば安心して食べることが出来ます。

次男と三男たる私はカマ焚き役です。当時は機関士の助手は「カマ焚き」と呼ばれ機関士への登竜門でした。機関士は少年達の憧れの的です。

経木の弁当箱だけでは燃料不足なので、「カマタキー、石炭ないぞ〜」と声がかかると「ガッテンだ」と応じ魚屋の傍にいって、空き箱を黙ってもらってきます。魚の油が沁みこんでいるので、めらめら燃えて気分がよかったです。

検査は先ず、見た目です。次は鼻で臭いをかぎ、最後にホンの少量を口に含んでみます。これで異常がなければ合格です。合格した「製品」は熱湯消毒を兼ねて蒸かします。そのとき役に立つのが弁当の空箱です。経木で出来ているので火が付き易くよく燃えます。包み紙から割り箸まで燃やせるのだから便利です。

これで我家の食糧問題は解決かと思い、ホッとしたのもつかの間。 思わぬ問題で頓挫してしまい、元の木阿弥となりました。 → --(後編)に続く--
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2006年1月鴨々川河川工事のため、冬の棲息場所となっている鴨々川が凍結し、水場を失った鴨は、同時にエサも失いました。 鴨は水場とエサを求めて中島公園上空を右往左往しました。

人間も衣食住を失えば、水場とエサを失った鴨と同じです。 幸いA市では水道管は破壊されなかったので、水道を共同で使うことが出来ました。 しかし、この鴨たちと同様にエサを求めて右往左往することになりました。 
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記