2007年12月01日

首領の息子(前編)

2007/12/1

「首領の息子(前編)」          
私自身は「焼け跡生活体験者」です。戦争体験者と違ってインパクトはかなり小さいですが、それなりに特殊な経験と思っています。しかし、それは映画、テレビドラマ、小説等に正確に表現されることはありません。

アメリカ軍の空襲で家を失った人々は焼け跡から、焼けトタン・焼け焦げた木や木材を集めて住処を作り、バラックと呼んでいました。1949年の区画整理まで、焼け跡の象徴;バラックに住んでいた人は、A市においては僅かです。ほとんどの家は1947年までに、安普請とはいえ木造の家に変わりました。 

正確に言えば近所には我家同様のバラックが2、3軒ありました。一軒に何家族も住んでいるので、20人くらいいました。しかし、住人はドロボー、オカマ、売れない俳優、年老いた売春婦等で、住所不定です。差別するわけではありませんが、住人とは言えないと思います。

ドロボーはかなりエライ人で捕まったときは3面記事のトップに写真入で載りました。「窃盗団の首領」と書いてありましたが、穏やかな親切そうな人でした。 もちろん、親切なのには訳があります。
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兄達がA駅近くのレストランでご馳走になったりして、お世話になっていました。後で考えると、首領には7歳くらいの男の子がいたので、その子をよろしくと言う意味だと思います。レストランでご馳走になることが、とても羨ましかったので今でも覚えています。

小学生がレストランに行くのです。凄いでしょ。 現在60代以上の人で小学時代にレストランに行った経験のある人は、いったい何人いるでしょうか。

首領の息子は彼の父が逮捕されてから、近所の悪がきどもに苛められました。気の強い子なので、建築中の家の2階から下で遊んでいる悪がきどもに小便かけたりして、仕返しをしました。不意打ちですね。 

当時は戦後復興の真っ最中で、あちこちに建築中の家があり、子供たちの絶好の遊び場になっていました。
(昔はよかったでしょうか? -続く-)
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記