2007年12月23日

怖い烏の赤ちゃん

2007/12/23

「怖い烏の赤ちゃん」       
中島公園はカラスの多いところです。特にカラスの子育てのシーズンには、気をつけなければなりません。 子育てのシーズン(夏)はとっくに過ぎていますが、来年の為に書き留めておきました。

中島公園のカラスはハシブトカラスとハシボソカラスの2種類ですが、数が多くて強そうなハシブトが気になります。クチバシが太くて、おでこが出っ張っているのが特徴です。
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(ハシブトカラス)

カラスの赤ちゃんには近づかないこと
一般的に気をつけなければいけないことを一つ挙げれば「赤ちゃんカラスには近づくな」ということです。

ある日、中島公園駅から入る銀杏並木の園路にカラスの赤ちゃんが地面に落ちたのか、ヨタヨタ歩いていました。

少し避けて通ろうかなと思っていたとき、前を歩いていた若者がしゃがんで触ろうとしたら、早速、親カラスが飛んできました。

私が何度も経験している急降下威嚇飛行です。ビックリした若者が慌てて逃げて行きましたが、カラスはしつっこく追いかけて行きました。

赤ちゃんを守る為の行為、でも怖いです
何で声をかけて注意しないのだと非難しないで下さい。私も知識としては知っていましたが、目の前で見たのはこれが始めてです。

それにカラスは脅かして追い払うだけで、滅多なことでは危害は加えません。このことは分っていても怖いですね。もう何十回と脅かされています。全部中島公園のそばに住むようになった、この6年間弱のことです。

威嚇飛行数十回、足蹴り数回、ドスンと体当たり1回
ほとんどは接近飛行です。シュウッと音がするときと、バタバタ音がするときがあります。後ろから来るのでどんな飛行コースか分りませんが、飛び去る方向を見て後ろから来たと思っています。

接触したのは5,6回、ドシンという感じで体ごとブッツケられたのが1回です。クチバシで突っつかれたことはありません。

赤ちゃんカラスを鳴き声で聞き分ける方法
赤ちゃんの声がしたら近づかない方が良いです。鳴き方ですが、ハシブトカラスは澄んだ声でカーカー鳴くのが成鳥で、赤ちゃんは甘えたような濁った声でガーガーと鳴きます。

ハシボソカラスもガーガーと濁った声でなくので区別が難しいですね。甘えた声がハシブトの赤ちゃんです。面倒でしたら、ガーガー聞こえたら避けて通ればよいと思います。ハシボソはハシブトに比べ数が少ないから、差支えないと思います。
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(ハシボソカラス)
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2007年12月22日

一触即発、直前回避

2007/12/22

「一触即発、直前回避」         
早いもので、同世代の3人でカラオケに行くようになって1年たった。 共通点と言えば、カラオケ初心者ということだけだ。 1ヶ月に1回、キチンと行っていたが、12月は3人の都合がつかず中止になってしまった。

私達のカラオケは3人で休みなしの3時間だから相当なものだ。身体に染み付かないはずはない。私の身体の中に月に1回、歌いまくるリズムが出来上がってしまった。

「他の人と行けばいいじゃないか。 オレが行ってやろうか」
「実は、事情があって、他人様に私の歌を聴かせるわけには行かないのです」
「なん〜だ、オンチか。オレはいいよ。お前の歌なんか聞いてないから」

これには深い訳があるのだが、長くなるので別の機会に譲ろう。 ダメで元々と思いながら、QPに声をかけてみると、あっさりとOKした。 もちろん、QPは私の「深い訳」を知っている。全て承知の上のOKだ。何の懸念もない。

「この日がいいね」と言うので、予定表を兼ねているカレンダーの12月7日の欄に「フタカラ」と書き込んだ。 お互いにカレンダーを見ながら、それぞれの予定をたてる習慣になっている。

さて、明日はいよいよ始めての「フタカラ」だなと思って、カレンダーを見ると、「フタカラ」の字に重ねて、二本の線が引いてあることに気が付いた。

「何ですか。この二本線は?」
「さっき、Yさんから電話があって食事に誘われたので、消したの」
「約束破るなら、ひと言いって下さい」
「あら! アンタだって、黙って書くじゃない」
「予定を書き入れるのはいいけれど、消すときはひと言断るのが普通でしょう」
「書くのも、消すのも同じじゃない!」

一度「同じ」と言ったら、いくら説明しても「違う」とは決して言わない。最高裁判所の判決のようなもので、決してひっくり返ることは無い。 不本意ながら、黙ってしまった。

「アンタこの人、知ってる。落語家なのよ」
「… … …」
「手が震える病気になったんだって、鳩に豆やろうとして、手のひらに豆のっけたら、手が震えて豆が左右に動くもんだから、鳩が困ってしまったんだって、アハハハハ〜」
「… … …」
「面白いね。アハハハハ〜」
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私が傷ついているのに気が付かない。なんて鈍い人だろう。 仕返ししてやろうと思った。 私はその落語家の真似をして、手のひらに豆を置いた形で、QPの前に突き出して、手が震える真似をしてやった。

左右に激しく振ってみた。 どうやら反応次第では、ただではすまないと理解したようだ。 QPは困った鳩の真似をして、一生懸命首を左右に振った。 
「アハハハハ〜」
「ワハハハハ〜」

こうして、一触即発の状態は直前に回避された。 
さて、「ノーベル平和賞」はどっちだ!

「どっちもどっちじゃないか」
「そんなことありません。一人で耐えて来た私が受けるべきでしょう。」
「どっちにしてもオレは悪者。その手はくわないよ」
「手は食わないで、豆だけ食べて下さい」
   … … … … … …
貴方は、どちらに平和賞を上げますか?
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2007年12月20日

母は強し、戦う母鴨

2007/12/20

「母は強し、戦う母鴨」         
初めて出会ったのは橋の上だった。「男運が悪くて、いつも騙されてしまう女は、橋から身を投げようとしている」これはフランス映画「橋の上の女」

橋の下の鴨の巣をじっと見ていると、女が声をかけてきた
「あれは何?」
よくぞ聞いて下さったとばかりに、鴨について話しだしたら去って行った。一瞬、私何か悪いこと言ったかなと考えたが、直ぐに分かった。同じカモでもカモ違い。私こそカモだ。

薄野のはずれで鴨が巣を作った
私達の場合は、私が藻山橋(南8西4)の上、卵の鴨たちは川の中にある石の窪みで母鴨に抱かれていた。 札幌の繁華街、薄野のはずれで鴨が巣を作った。 まさに酒場で咲いた花。可憐な鴨の赤ちゃんたちであった。

閉じ込められた母子鴨
7月18日8羽の赤ちゃんが巣立ったが、そこは鯉の放流場。母子鴨は閉じ込められてしまった。 鯉を逃がさない為、鴨の巣の上流と下流に鉄柵が設けられていたのである。 母鴨は必死で雛たちを川から地上へ誘導しようとするが、雛たちは石垣を登ることが出来ない。

放流場の中を、泳ぎまわって脱出できる場所を探し求める母子の姿が哀れでならない。 途方にくれた母鴨が立ちすくむと、雛達も母を囲むようにして、じっとしている。 外にだしてやりたいが、助けることは出来ない。 

徒に雛に触れば母鴨はパニックを起こすに決まっている。 しかも雛たちの泳ぎはアメンボのように速いのだ。 結果として追い回すことになってしまう。 助けようととしても、最悪の結果を招きかねない。じっと見守るしか手がないと悟った。

開放された母子鴨は中島公園に向う
翌日出勤してきた係員が母子鴨の窮状に気付き、鍵を外し鉄柵を上げて、外に出して上げた。鴨の母子は上流に向って泳ぎ、苦労の末、中島公園にたどり着いた。 

やっとたどり着いた新天地だが、猫やカラスなどの天敵も多く、ここも母子鴨にとっては地獄のような場所だった。

戦う母鴨、母は強し
すでに子鴨を3羽失った母鴨は残った子鴨を整列させて、注意を与えた 「カラスに気をつけましょう。泳ぐときは一列に並び、決して母さんから離れてはいけません。お前達の命は私が守ります」

母の注意は私の想像だが、あながち根拠の無いことではない。それらしい写真を見てほしい。別の親子鴨だが、これは同じく中島公園内の札幌コンサートホール・キタラ付近で撮影したものである。
雛を捕食しようとしたカラスに、母鴨は単身立ち向かい追い払ってしまった。 母は強し、戦う母鴨の姿を見て感動し手が震えた。 まるでドラマの一シーンのようだった。

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タグ:母子鴨
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2007年12月19日

鯉はなぜ消えた 

2007/12/19

「鯉はなぜ消えた 」       
〜菖蒲池の謎〜

突然、菖蒲池の鯉が全滅!
過ぎ去った2006年の冬、凍結した水面の下で一体なにが起こったのだろうか? 中島公園、菖蒲池の鯉が全滅したようだ。

公園の散歩者の噂では、鴨々川河川工事のとき、川の水を止めたことがあったので、池に入る水が減り、その結果酸素の供給が不足し、鯉が全滅したのではないかと言われている。死んだ鯉がぷかぷか浮いて来たそうだ。しかし、真偽のほどは分からない。

鴨たちも水場を失って右往左往
鴨々川河川工事のとき鴨の行動に異変があった。冬になると池が凍結するので、鴨たちは流れがあって凍らない鴨々川に生息地を変えて越冬する。 

肝心な鴨々川が、工事により水の流れがゆるくなった為、表面が凍結してしまったのだ。水場とエサを失った鴨たちは、中島公園上空を水場を求めて右往左往した。

後になって考えると、鴨は自由に飛べるので環境の変化に素早く対応できる。 それが私には異変に見えたのである。 そして、見えない部分で深刻な影響があるのではないかとの懸念が生じた。

氷の下でいったい何があったのか
その後、地元の新聞「Y新聞(1万6千部発行)」に記事を書く機会があったので、その懸念を次のように書いて載せた。 「(前略)しかし、問題もあります。工事の影響か、(中略)マガモの分布が大きく変わりました。おそらく他の野鳥、動植物についても大きな影響を受けているのではないでしょうか。(後略)」

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    (写真は凍結した菖蒲池、2006年1月撮影↑)

この時点では、どのような動植物に影響を与えるのか分からなかったが、今になって考えると、氷結した池の下で酸欠状態の鯉が死ぬ可能性はあると思う。 

偶然かも知れないが、これを書いている時点で(2006年の春)鯉を見た記憶がない。鯉だけなのか? 水草はどうなっているか? 疑問は尽きない。 

ただ、小さな魚(多分ウグイの稚魚と思う)が沢山泳いでいるのを見た。 4月29日、豊平館前の池でのことである。

5月4日の朝、確認の為、池の周りを一回りしましたが、鯉は一匹も見えなかった。 亀の死骸を一つ見けただけだ。

疑問は尽きない、消えた鯉はどこへ?
中島公園の観察を始めて5年になるが、こんなことは初めての経験だ。いつも朝の散歩をしている3人の方に尋ねたが、3人とも今年はまだ鯉を見ていない。去年までは氷が融けると鯉が見えたと答えてくれ、三人とも同じような疑問をもっていることが分かった。

あれから1年半、誰か鯉を知らないか
あれから1年半たった2007年秋になっても、鯉の姿はほとんど見られない。 2005年冬、池が凍結するまでは、菖蒲池のあちらこちらにいて、私達の目を楽しませてくれた鯉。 子供たちに池の主と言われ、親しまれていた鯉は、もう何処にもいない。一体何処に消えたのだろう。 不思議で悲しい出来事である。 鯉はなぜ消えたか、どなたか知っている人がいたら知らせてほしい。
タグ:事件事故
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2007年12月18日

告カラスにご注意!

2007/12/18

「告カラスにご注意!」         
カラス、中島公園で見かけるのはハシブトカラスとハシボソカラスである。 カラスは立派な野鳥だ。 いない方がよいとは決して思わない。

しかし、多すぎる。カラスが増えるのは、一般的には無秩序な「ゴミ出し」といわれていますが、中島公園に限って言えば、原因の第一は「餌やり」と思う。

人がまくエサに群がっているカラスをよく見かける。カラスにエサをやっている人に「なぜ餌をやるの」と聞いたことがある。 その人はこう答えた「だって、可愛いもん。 私のことを覚えていてくれるし、芸も出来るんだよ」

札幌コンサートホール・キタラ近くのプラタナスの大木にカラスに関する注意書きが縛られている。上の方を見るとカラスの巣らしきものが見えた。
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 このような注意書きを見たら、知らん振りして立ち去るに限る。「巣があるのか〜。どこにあるのだろうな〜」とか思って、立ち止まってキョロキョロしてはいけない。 

そんな態度をとると、カラスに不審者と思われることがある。 チラッと見て普通に歩いて、速やかに立ち去るに限る。

カラスにとっては赤ちゃんを守る行為と聞いているが、人としてはカラスの赤ちゃんを苛めようなどと言う考えは全くないのだから理不尽この上もない。 カラスが利巧というのなら、この辺のことも理解してほしい。

自分が経験した範囲ではカラスの威嚇といっても頭を足で蹴られる程度で、そんなに痛さは感じない。 しかし、音とか鳴き声が迫力があって怖い。一度だけドンと体当たりをされて痛い思いをしたことがある。

 一番怖いのがバタバタと羽音をたてながら、カアカア鳴きながら追いかけるように飛んでくることだ。シュッと音がして頭を蹴られるのもハッとする。枝から枝に飛んでしつっこく追いかけられるのも嫌なものだ。

普通に歩いていればカラスに威嚇されることは、少ないと思う。 私の場合は、何か変わったことはないかと、常にキョロキョロしながら歩いているので、カラスに不審者と思われたようだ。

この2年くらいは注意を守り努めて不審者と思われないようにしているので、威嚇されることは非常に少なくなった。いずれにしろ、「カラスに注意」と書いてあるそばを、わざわざ散歩することはない。 必要があって通る場合は普通に歩きながら、速やかに離れた方がいいと思う。その方がカラスのためにもいいだろう。
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2007年12月17日

動物はつらいよ,鴨も!

2007/12/17

「動物はつらいよ,鴨も!」         
昨年、2006年夏の中島公園は少し変だった。菖蒲池から子供達に「主」と呼ばれていた、大きな鯉がいなくなった。そこらじゅうにいた鯉が、池から一匹残らず消えてしまったのだ。今年の夏になっても鯉は、たまに1匹、2匹と見れる程度だ。噂話はいろいろあるが、公式の発表はいまだにない。

毎年6月初旬に現れる親子鴨も変だった。 たった1羽、それもかなり大きくなったのが、鴨々川ホタル橋付近に親子で現れたそうだ。一体今まで何処に居たのだろう。それにしても1羽とは。その他の雛は捕食されたに違いない。

人間で言えば小学1年くらいである。私自身が親子鴨を見たのは6月25日だった。やはり、小学1年?4羽だった。巣立ち後2週間はたっていたと思う。結局、鴨の赤ちゃんに初めて出会ったのは7月20日だった。↓ 例年より1ヶ月以上も遅かった。
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7月19日まで赤ちゃんを見たことがなかった。私だけではない。誰に聞いても、同じだった。中島公園の鴨の巣立ちは普通、6月初旬頃。こんなに遅いのは初めてだった。

それだけではなかった。「孤児」まで現れた。 巣立ったばかりの赤ちゃん鴨、2羽である。親は一体どこに行ったのだろうか。可愛いなどと言ってはおられない。この子達の行く末が心配で仕方がなかった。 

2羽の赤ちゃんはくっついたり、離れたりして、ピーピー鳴きながら母を捜しているようだった。その内、通りがかりの鴨に、ついて泳ぐようになったが、完全に無視されていた。鴨という動物は自分の子以外の子にはまったく関心がないようだ。

たまたま出会った4羽を連れた母鴨を、お母さんと勘違いしたのか、甘えるように近づくと、その母鴨の猛烈な攻撃にあい、1羽の赤ちゃんは重傷を負い、その後動かなくなった。もう1羽は翌日まで生き残ったが、それが見納めとなった。驚くべきことに、母鴨は他所の子鴨に対しては敵とみなす行動をとった。

動物はつらい。動物は厳しいと思った。2006年の菖蒲池は、なぜか荒模様だった。自然の移ろいは毎年同じようで、毎年違う。いつまでも興味の尽きることのない中島公園である。

今年は6月16日の札幌まつりの最終日に始めて母子鴨を見た。道庁などに比べるとかなり遅いお出ましだが、中島公園としては例年に比べて半月程度の遅れである。5組の母子鴨で、赤ちゃんは17羽と、平年並みだった。
タグ:母子鴨
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2007年12月16日

謎の家族(続編)

2007/12/16

「謎の家族(続編)」
 〜あばかれた謎〜
私が女中さんと信じていた女性達が、実は寮に泊まっている女工さんと、兄から聞かされてショックを受けた。

「信じられんな。食事の世話する人、風呂に入れる人、幼稚園の送り迎えしてくれる人、遊びに連れて行ってくれる人。あれはみんな会社の女工さんのサービス残業だって?」
「ヒマそうな人を見つけては、お前のお世話を頼んでいたんだよ」
「しかし、お袋は奥様と呼ばれていたし、オレは坊ちゃんとしてチヤホヤされていたよ」

「そりゃ、よかったな。ところで、お袋の夢を知ってるかい?」
「男の子は慶応、女の子はフェリス、そして上品な家庭だらう。散々聞かされたよ」
「自分の子供3人と女工さんを使って上品な家庭劇の練習をしていたんだよ」
「親父はどうした」
「出番なし。上品とはほど遠いからな。お前は親父にそっくりと言われていたな」

「それは後の話だろう。幼かったオレは彼女達の温かさ、優しさで救われていたような気がするんだ。仕事でもないのに、どうしてそこまでやってくれたのか不思議だね」
「そこがお袋の上手いところさ。あの食料難の時代に、寮の食事と宴会の料理を仕切っていた。つまり食料を握っていたんだよ。たいていの無理は通るものだ」

「それだけかなぁ。ところで、その食料一体どこから持ってきたんだ。簡単には手に入らない筈だよ」
「ちょっと言いにくいんだが、親父が会社で糧食関係の仕事をしていたので、ちょと融通を利かせたんだ」
「融通だって? それは横領じゃないか」

「早い話、そんなことだ。天網恢恢疎にして漏らさず。ちゃんと成敗されているよ。その後が大変だ、家はおん出されるし、食べるものも着る物もない... ...」
「おいおい、ちょっと待てよ。行き着いた先は足の踏み場のないほど狭い*バラックだ。誰が何を話そうと、話は家中筒抜けだよ」     
*焼け跡で拾った焼けトタンなどで作られた小屋

 「それがどうした」
「お袋は毎日のように、戦前の豊かで優雅な暮らしぶりを話していたじゃあないか。各界の名士や海軍士官との派手な交遊についても、よく話していたな。 ダンスもしたと言ってたぞ。 兄貴だって聞いていたはずだ!」
「うん、聞こえたな。耳にたこだった」

「しがない管理人だったことを、長いことオレに秘密にしていたのは、お袋が哀れと思ったからか? それとも、一人くらい素直に聞いた方がいいと思ったからか?」
「秘密? そんなことないよ。必要もないし」
「それなら何故、何十年も黙っていたんだ!」
「聞かれなかったからなぁ。それに...」

「それに、なんだ」
「お前がお袋の話を真に受けていたとは知らなかったよ」
「オレが黙って聞いてるのを見れば、分かるはずだろう」
「分かるわけないよ。オレだって黙って聞いていたんだから」
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2007年12月15日

謎の家族(前編)

2007/12/15

「謎の家族(前編)」         
〜壊れた想い出〜 
東京から兄が来て、私の大切な「古き良き想い出」をぶち壊して帰って行った。

久しぶりに昔話などするからいけなかった。話している内に時代は次第に遡り、ついに戦前にまで行ってしまった。

「A市の家は大きかったな。門から玄関までが凄く遠かった。今で言う豪邸だな」と私。
「途中に大きな池のある庭があったな」兄。
「長い廊下を走って遊んで、よく叱られたものだ」
「オレは風呂で水泳の練習をしたよ」

「あの家での暮らしは唯一のいい想い出だな。 上流の暮らしもオレは5歳まで、兄貴は9歳まででおさらばだ。 戦後は貧乏のどん底へ急降下だったな」
「上流?一体どこの誰の話だ」
「もちろん、ウチの事さ。お屋敷に住んで美味いもの食って、お客さんは海軍のおエライさんや各界の名士。 お袋は奥様と呼ばれ、オレは坊ちゃんだ。 女中だっていっぱい、いたじゃあないか」

「女中......?」
しばし沈黙......。
「ああ、女工さんのことかね。 あの家は親父の勤めている会社のもので、故郷を離れて働いている女工さんの寮になっていたんだ」

「女工さん......?」
今度は、私が沈黙。

「聞いたことないぞ。 お袋がいつも『昔は何もかも女中が世話してくれて、なに不自由なく暮らしていた』と言ってたじゃないか」

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(写真は、この頃より約4年前、長男5歳、次男3歳、三男の私は1歳。2年後「お屋敷」へ転居)

「夢を見ていたのさ。 海軍のクラブもやっていたな。いわゆる宴会場だね。 お袋は寮の管理と宴会の仕事でてんてこ舞いだ。 それで女工さんをてなずけて、お前の面倒みさせていたんだよ」

何か変だ。そう言われても、にわかには信じ難い。 しかし、兄の話は辻褄が合っている。女子寮兼、宴会場として使える家なら大きくて当たり前だ。 

私は三男、他に二歳上の次男もいる。 この話が事実なら、なぜ二人とも、今まで何も話してくれなかったのだろう。 何十年もたってから、突然打ち明けられても戸惑うばかりである。 --後編に続く--
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2007年12月14日

私自身も思い出の人(後編)

2007/12/14

「私自身も思い出の人(後編)」         
QPに押されるるようにして、嫌々通った「英会話」だが、9ヶ月目にやっと、話し合える友人に恵まれた。 A子さんは親分肌で教室中、全部自分の友人にしないと気がすまないようだ。 お陰様で引っ込み思案の私も、晴れて友人の一人に加えさせてもらえた。

「いつも一人で寂しそうだから、声をかけて上げたのよ」と恩着せがましいのだが、大勢の中で一人ダンマリも、楽じゃないので有難かった。 

これがきっかけで皆さんとも打ち解けるようになり、1年後にはハワイ旅行にも参加した。 そして、これが生涯一番の楽しい想い出になったのである。
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その後もいろいろな場所で感じたことだが、世の中には要所々々に人と人を繋ぐ、接着剤みたいな人が配置されている。 

私は一つの素材となって接着剤で繋いでもらうことを覚えた。 最近ではどこに顔を出しても親しく話せる友人がいるような気がしている。

人慣れしてくると、長年趣味としてやってきたパソコンのグループにも入りたくなった。 そうして入ったのが、現在所属しているシニアネットである。

最初はパソコンの勉強をしようと意気込んでいたが、生まれつき緻密なことと、素早い処理は苦手だ。

3年間試行錯誤した末、ついにパソコンの勉強は諦めてしまい、好きな「人間研究」に精を出している。 エッセイは人間研究の発表の場と思っている。

   * * * * * * * * *

「最近、ますます楽しそうじゃあないか」と先輩会員Bさん。
「パソコンの勉強やめたんですよ」
「勉強やめたら、そんなに楽しいかい」

「ノロマですからパソコンは苦手です。その代わり、お掃除ボランティア始めましたよ。 鴨々川の清掃…。それから野外彫刻の清掃…」
「家の掃除もやらなくちゃダメだよ」
「世の為です。誰かがやらなくてはならないことです」
「家の掃除もな!!」

「ところで、私もシニアネットのホームページに、エッセイを載せてもらえるようになったんですよ」
「ほ〜ぉ、大喜びしてるね。張り切りすぎて変なこと書かないでくれよ。公式ページなんだから」

「変なことって何でしょうか」
「分からんのかい。あの、さぶいジョークだよ」
「どこが さぶいか言って下さい!」
「嫌だね。猫の首に鈴をつけるようなことは」
「猫って、私のことですか?」
「...........」
「大丈夫ですよ。ノロマですから。まだ、ネズミ獲ったことありません」 
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2007年12月13日

私自身も思い出の人(前編)

2007/12/13

「私自身も思い出の人(前編)」       
〜愉しいシニアライフ〜 
5年前の自分は、今の私とは違う。だから、5年前の私も「想い出の人」かも知れない。

シニアネットのお陰で豊かで愉しいシニアライフを送っている。この喜びを友人にも、お裾分けしてやろうと思い、入会を勧めたら「仕事でもないのに人の中に入って気を使うのはゴメンだね」と断られてしまった。

「おやっ?どこかで聞いたようなことを」と思ったら、5年ほど前の、私自身のセリフではないか。

その頃は、せっかく仕事を止めたのだから家でノンビリ暮らそうと思っていた。しかし、そうは問屋が卸さなかった。

1年もしない内に、QPに邪魔にされ、無理やり「老人福祉センター」に連れて行かれた。

「あんたは、何処に行っても三日坊主だね。今度は易しいところにしたから、1年間は止めたらダメだよ」ときつく言い渡された。

今度こそは押し込んでやろうというQPの意気込みに、押されるようにして入ったのが「やさしい英会話」教室である。 これが残りの人生を変えることになろうとは、夢にも思わなかった。

「やさしい」とうたっているだけあって、ちょこっと行った川柳・ヨガ・手話に比べて、確かに易しいと思った。 しかし、ここでも私はお客さん。教室の片隅で暗い顔してじっと座っているだけだった。

人並みに横のオジサンに話しかけたりするのだが、「旅行しない・山登れない、カラオケ・釣り・パークゴルフ・囲碁将棋出来ない」ことが分かると、それ以上話が続かないのだ。

9ヶ月目にやっと話し相手に恵まれた。 たまたま横に座ったA子さんが話しかけてくれたのである。 

まさに地獄に仏だ。一人でダンマリも楽でない。 金曜の朝は憂鬱だ。「今日は英語だよ」と言ってQPが尻を押す。どうして、こんなにお節介になってしまったのだろう。控えめな人と思っていたのに。

家をでても、このまま図書館にでも行こうかと思ったことが、何回もある。しかし、仕事人間の習性もまだ残っていて嫌々ながらでも足が「英会話」の方に向いてしまう。 さて、A子さんに話しかけられて、どうなっただろうか。 --後編に続く--
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中島公園の菖蒲池は冬になると凍結する。氷の上に雪が積もると、動物の足あとが見える。ミンクの足あとを見た人がいる。キタキツネと遭遇した人もいる。私もキタキツネらしい動物が、凍結した池の上を走るのを見た。犬でもない。猫でもない。目撃情報のあるキタキツネにちがいない。

新聞にもテレビにも出ていないので、札幌の話題にはなっていない、しかし私の運営するウェブサイト「中島パフェ」の「画像掲示板」の話題にはなっている。ミンクもキタキツネも場所によっては珍しくもないが、ここは人口190万の札幌市のやや南、都心と言ってもいい場所だ。 なんとも不思議でならない。
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